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2008年12月14日

社会環境が変わってもモータースポーツの魅力は不変だ

 <モータースポーツの未来のために=1> 1週間前、突然に発表された「ホンダF1撤退」のニュースは世間に大きな衝撃を与え、新聞、テレビ、インターネットなど、日本のさまざまなマスメディアを通じて報じられた。普段は自動車レースに何の関心もない人も、この日ばかりはこうした報道に触れ、その多くはこう考えたに違いない。「なるほど、あのホンダがF1を辞めなきゃならないんだから、このご時勢、自動車レースなんかやってる場合じゃないんだよなぁ…」と。

 もちろん、ホンダが撤退を決めたF1が年間4~500億円もの予算を必要とする「極めて特殊なカテゴリー」であったことをきちんと理解する必要があるだろう。事実、ホンダはF1以外のすべてのモータースポーツ活動も停止すると言っているワケではない。それゆえ、ホンダの撤退がダメ押しの「警鐘」となったのかもしれないが、F1でもようやく大幅なコスト削減への動きが現実化しはじめている。だから、ここ数年のF1があまりにも高コストな「怪物カテゴリー」であったからこそ、ホンダはこれほど唐突な形で「撤退」を決断せざるを得なかった…つまり、本質的な問題はF1の異常な高コスト性にあったと今回の問題をとらえることも、「モータースポーツの内側の視点」に立てば可能だと思う。

 だが、皮肉なことに普段自動車レースに興味も持っていない=日本の社会においてはおそらくマジョリティーを占める人たちにとって、「F1」や「ホンダ」というタームは彼らが「モータースポーツ」や「自動車レース」という言葉から思い浮かべる数少ないキーワードであり、そうしたイメージの象徴として機能している。彼らはそもそも「F1が他のレースと比べ、いかに高コストなカテゴリーであるか?」という特殊性など理解する必要もないし、逆に、こうして一般メディアで報じられた「F1」や「ホンダ」に関するニュースを「自動車レース」「モータースポーツ」のイメージへと直結させ、それが「モータースポーツの世界の外側」、つまり世間一般の認識を形成してゆくことになるのである。

 僕は今回のホンダF1撤退を、ここ数年、モータースポーツ全体に対して強まりつつあった「逆風」が、初めてめて目に見える形で表面化したにすぎないと思っている。F1に関して言えば、自動車メーカーが主役となったこの10年の流れの中で技術競争が過熱し、参戦コストの高騰はとっくの昔に常識的な限界を超えていた。そして誰もがそれを感じながら、結局はぞれぞれの目先の利益を優先した結果、そうした状況はコントロールされず、彼らはバブルと化したF1の世界で「不毛なパワーゲーム」を何年も続けてきたのだ。だが、こうした「拡大」が永遠に続くことなどあり得ない。サブプライムの破綻に端を発した今回の経済危機が彼らにとって「予想外の出来事」だったとしても、いずれ、この無制限な拡大に終わりが来ることはあの場にいた誰もが分かっていたはずだ。

 F1への「逆風」はこうしたコストの問題だけではない。やはりこの10年で大きく変化した環境問題に対する意識の高まりとともに、自動車と社会の関係やモータリゼーションに対する人々の認識もまた大きく変わりつつあり、それは自動車メーカー主導の流れを強めてきたF1をも大きく揺さぶり始めていた。「マシンを作り、それで競い合うことが楽しい」という純粋なモータースポーツの世界であればハナシは別だが、自動車メーカーが主体となって戦う近年のF1のようなレースは、必然的に自動車メーカーのイメージを市場にアピールするマーケティングの手段としての機能を持っている。そして、レースを通じてアピールされる「イメージ」には、その企業の技術力や品質はもちろん、彼らのモータリゼーション全体に対するビジョンなどが含まれことになる。

 21世紀に入る前後、世界の自動車産業が大規模な再編成の時代を迎えていた中で、それぞれのメーカーが生き残りをかけ、自分たちの強力な「ブランドイメージ」を確立しようと必死だった時期に「世界市場に存在感を示す格好のツール」として注目されたのがF1であった。そして先に述べたように、過去10年間のF1はそうした自動車メーカーの巨大な資金力によって急激な成長と拡大を続けてきた。また、それは最近までアメリカの好景気に支えられていた主要先進国、さらには新興国の急激な経済成長を背景に「高級感」や「高性能」「希少性」などラグジュアリーな生活への志向とリンクしてきた。

 しかし、こうした流れとはある意味対極にある「環境問題への関心の高まり」や「終わりなき拡大・成長を基本とした経済観、世界観への疑念」「来るべき化石燃料の枯渇に向けたエネルギー問題の根本的な転換」など、21世紀は新たな問題意識、あるいは新たな文明観が急速に広がりを見せている時代でもある。そして、世界の自動車産業は否応なしにこうした新たな文明観への対応を迫られている。企業の価値が、言い換えれば自動車メーカーのブランドイメージが「環境対策への取り組み」に代表されるような、こうした新たな文明観への対応によって左右される傾向が強まっていくなかで、自動車レースがそれに相反するネガティブな要素として「分かりやすい標的」となるのは、ある意味、避けられないことかもしれない。

 各社が「数百億円の予算を投じ、華麗な雰囲気のサーキットで巨大なパワーやスピードを競い合うF1GPの世界」は、環境問題やエコや持続可能な社会の追求といった、いわゆる「ソトコト」な価値観の反対側にイメージされるモノであり、特にF1のようなレースは多くの人の注目を浴びるがゆえに、そうした価値観にとって格好の攻撃材料となる。世界経済がここ数年のバブルに浮かれているうちは良かったが(いまだに中東など一部の新興経済発展国はその熱に浮かれているようだが…)、今回のように、一度経済のバブルがはじければ、世の中のラグジュアリー志向など一気に吹き飛んで、21世紀型の新たな文明観への傾斜は(それがたとえ表面的なものであっても)今後、急激に強まっていくことになるだろう。そうした流れの中、F1は、いや、すべてのモータースポーツがさらに強い逆風にさらされることになるはずだ。

 だが、20年近く自動車レースという世界で生きてきた僕は、それでもなお「モータースポーツの未来」を信じたい。おそらく、人類が「初めて2本の足で走りはじめた瞬間」から存在したであろう、スピードへのあこがれと競争心、自動車という機械と人間が一体となって肉体を超えたスピードの限界へと挑むメカニカルスポーツならではの魅力、厳しい戦いの中で多くの知恵が注ぎ込まれる技術への挑戦、そして、コース上で競い合うマシンが生み出す興奮やそれを支える人たちの織り成すドラマ…。こうしたモータースポーツが持つ本質的な魅力は、これまで述べてきたような社会状況の変化があったとしても、それだけで失われてしまうモノでも、また、頭ごなしに否定されるべきモノでもないと思うのだ。

 とはいえ、この強い逆風の中で自動車レースの未来を切り開くためには、この世界もまた、大きな意識の転換を迫られていることも事実だ。それでは「モータースポーツの未来」を切り開くために、今、何が求められているのだろうか? 次回はまず「環境問題とモータースポーツ」といテーマについて日欧の状況を比較してみたい。(続く)


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F1放浪記
川喜田研(かわきた・けん)
 1965年(昭和40年)4月20日、横浜生まれ。91年から「F1速報」、「レーシングオン」のスタッフライターとして働き、99年からフリーのF1ジャーナリストに。  現在は「スポルティーバ」(集英社)「カーグラフィック」(二玄社)などに執筆中。  愛称の「ちんぱん」は、成人男子とは思えないほどの落ち着きの無さ(本人は旺盛な好奇心ゆえと認識していますが…)や、締め切り直前のパニック状態(昔は編集部で跳ねたり、踊ったり、叫び声を上げたりという奇行を演じていたようです)がチンパンジーに似ていたことに由来する。

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