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KAZ 69年1月19日生まれ46歳。身長173cm、体重83kg。ゴルフデビュー98年10月。05年夏オフィシャルハンディ取得。現在は『12.8』。ヘッドスピード平均45m/s。持ち球はドローと言いたいところだがフック。好きなクラブはAW。一応、日刊スポーツ社員のサラリーマンゴルファー。ツイッター@kazkawata

44マグナム ロングインタビュー

12年02月25日 [00時00分]

どーもです。

44magnum.jpg今日はロックネタです! 日本ハードロックシーンをけん引してきた「44マグナム」が3月10日、東京・duo MUSIC EXCHANGEで44MAGNUM LIVE2012「RELOADED TO ATTACK」を行う。44マグナムは02年に再結成も、06年にボーカルのポールが若年性パーキンソン病であることを告白。息子のスティービーをサポートに迎えツインボーカルで活動してきたが、今回ポールが病気治療に専念することを決意。このライブから、ポールのDNAを継ぐスティービーが正式ボーカルとして参加することとなった。44マグナム第2章の幕開けとなるライブを前に、スティービー(写真中央)、ジミー(ギター=写真右)、ジョー(ドラム=写真左)を直撃した。

空前のハードロックブームが日本を席巻した80年代。44マグナムは、まさにその中心的存在だったはずだ。メンバー全員が金髪で、ド派手なメイクと衣装。今でこそ当たり前のルックスも、当時は比類なき存在だった。今回、デビューから解散・再結成、そして、ポールの病気離脱からスティービーの参加まで、44マグナムの歴史をメンバーにきいた。

44magnum1.jpg-古い話になりますが、44マグナムのデビューのいきさつは?
ジョー デビュー前から全国ツアーをやらせていただいて、色んな人の協力で雑誌とかに記事を出してもらい、それが話題になったのが一番大きなきっかけだと思います。

-ボクが存在を知ったのは、漫画「愛してナイト」だったのですが?
ジミー 多田かおるさんですね!

-「愛してナイト」で紹介されたのはデビュー前ですよね?
ジミー そうですね。きっかけとして、大きかったかもしれませんね。

-アマチュアの時代から既に全国的に名前は知れ渡っていましたよね?
ジョー ボクが最後に入ったときは高校2年生だったのですが、「全国まわれるか?」っていうのが条件だった。前任の伊賀さんの時に東京にも行っていたので、話題にはなっていましたが、どうも「伊賀さんじゃないドラマーで」ってことになったようで、思い出したようにボクに連絡がありましたね。

paul3.jpg-ジョーさんとポールさんの出会いは?
ジョー ポールと初めて会ったのは高校1年の時で、そのときは「マグナム44」という名前でした。当時のメンバーはだれも残っていませんね。ボクはスカウトされたんです。楽器屋のスタジオで練習終わって出てきたら、「後輩のバンドでドラマーを探しているから、やってみないか?」って。会ってみたら金髪の人が現れて、びっくりしましたよ!

-当時金髪は珍しい存在でしたよね?
ジョー いなかったですね。ボクは入って辞めてを繰り返して、3回目に入ったときが「全国まわれるか?」だったんです。

-ジミーさんは?
ジョー ジミーは2回目に入った時にいました。
ジミー ポールと知り合った時、ボクは別のバンドをやっていた。で、一緒にやろうって話になったけど、バンド名をどうしようかって。そのとき、ボクが「44マグナムでいいじゃん」って! ポールはボクに気を使って、「別の名前にしよう」といったけど、「マグナム44」が地元では知名度もあったしね。当時ジョーは学生だったから、なかなかオレたちみたいに、今でいうニートみたいな何もしていないやつらと時間があわないんですよ。
ジョー リハーサルが夜中だったりしますからね。ボクは次の日朝起きて学校に行かなきゃならないって(笑)
ジミー 俺たちは昼間まで寝てたけど(笑)

jimmy2.jpg-その当時、みなさんはもうプロになることを意識していたわけですよね?
ジミー プロになりたいって思っていましたね。

-学生だったジョーさんはどうだったんですか?
ジョー たくさんの人が来てくれて、盛り上がってくれるのはうれしかった。漠然とプロは意識していましたけど、ボクは実家の仕事を継がなきゃいけないと思っていましたから。

-実家は何を?
ジョー 扇子屋なんです。
ジミー ボクも後から知りましたけど、由緒あるデカイ老舗でね!
ジョー 親も当時バンドで飯を食っていくなんて聞いた事がないから、「2~3年すれば帰ってくるだろう」って思っていたみたいです。だからか、東京に出ることになったときも、大きな反対はなかったですね。

-それから、長いこと経ちますね
ジョー すっかり、帰るタイミングを無くしました(笑)

44magnum2.jpg-デビュー当時、全員金髪であの衣装はかなり強烈なインパクトだったと思いますが、あれはメンバーのアイデアだったのですか?
ジョー ディレクターのアイデアもありましたね。
ジミー ブリーチしての色入れは、全員何かしらはやっていたんですね。でも、一度に全員金髪になるタイミングはなかった。みんな都合があるから(笑) で、デビューでアー写(アーティスト写真)を撮るときにディレクターが、「全員金髪のほうがインパクトあるじゃん!」ってなったわけです。でも、ボクは「逆にダサくない?」って反対していたんですよ。でも、結局そうなりまして(笑)
ジョー あれ、撮影当日に、撮影をストップして全員美容院にいったんですよ。ポールは元々金髪だったら、ずっと待っていただけだったけど。当時、金髪にする人なんていないし、ブリーチ剤もあまり良くなくて。今でも覚えていますけど、店のブリーチ剤が途中で無くなった。
ジミー よく覚えているね!
joe2.jpgジョー だって、あれで熱出して倒れたから! ディレクターが横で「できるだけ白くしてくれ!」っていうもんだから。それで、1回で抜けないから3回もやった。で、頭皮をやけどして、次の日に髪の毛を触ると、かさぶたがワサワサって! ちょっとしたケガですよ。その後熱が出て、プロモーション活動は意識朦朧状態でしたね。
ジミー ジョーは当時、黒に赤だったよね。
ジョー 金髪はしたことが無かったですからね。
ジミー でも、その後は絶対金髪にしなかったですよ!

-なんで、ですか?
ジミー 「日本人はやっぱり黒だろう!」って(笑)

-実は色々と裏は大変だったわけですね
ジョー カメラマンも大変だったと思いますよ。撮影で来たら、いきなり「待ってて」ですからね。朝準備して、撮影開始が夜でしたからね。

44magnum4.jpg

-そして「DANGER」でデビュー。その後は、皆の知る通りライブバンドの神髄を見せつけるツアーの連続だったわけですが、やがて方向転換を計り、89年4月4日に解散となりますが・・・
ジミー 元々、ポール、バン、ジョーはアメリカンロックが好きで、ボクはブリティッシュロックが好きだったっていうのはあったんですね。80年代にニューロマンチックとか、いろんな流れが出てきたじゃないですか。その辺に感化された部分はあったわけです。昔でいうダンスミュージックとか、打ち込みとかがで出てきた時代でもあったし、そういうモノにも興味をもったし、試行錯誤をしたいなって。でも、そうなってくると、ナマでやる44マグナムの意味が無くなってしまうわけです。今でこそ、「メンバーが他のアーティストとユニットを組んだ」とか、「セッションで他の音楽性にトライしている」なんて当たり前のようにありますが、当時はなぜかわかりませんがご法度だった・・・というか、そういう発想もなかった。

-当時、ソロやコラボの活動は解散の前兆って感じでしたよね
ジミー そうそう。歌謡曲も盛り上がってきていましたしね。ボクらには、「バンド全体で動かなくては」という固定概念があってね。例えば、ジョーにしてみれば、プログレ的なテクニックって意識していたと思うし、ボクとかポールなんかは、16ビートの打ち込みにも興味があった。今なら、44マグナム以外の別の場所でトライすれば良かったと思えるけど、当時はバンドで動くという意識が強かったし、20代で未熟だったということもあって、意見が食い違ってバンドが分裂したっていうのはありますね。

-当時は情報が無かった時代なので、周りにいたファンとしては知る術が無かった。「ロッキンf」しか無い時代です。記憶では、バンド分裂の原因は「音楽性の違い」「打ち込み音楽へのトライ」だったような・・・
ジミー まぁ、あの時の傷は今でも残っていますね(笑) そういうモノは一生消えませんから。
ジョー でも、あの時「音楽性をどうするか?」という問題は、本当にメンバー同士で何度も何度も話あったんです。「やっぱり、今までの路線をキープするのがプロなんじゃないか」とか、色々話しました。今でも覚えているのは、「ロブ・ハルフォードは、ジューダス・プリーストの音楽が一番好きなのか?」って話したことです。あれだけ長くやっている間に、色々やりたいことがあったと思うんです。でも、あれをやり続けているのは、「ファンのため」だとボクは思ったんですね。「だから、やり続けるのがオレたちの義務なんじゃないか?」って。でも、それぞれの可能性や魅力に負けたのかもしれません。

-どんなプロの世界でも、長く続けるということ自体がプロかもしれませんよね。自分たちのやりたいことをやって周りがついてきてくれれば理想ですが、それぞれ違う価値観を持った人間がひとつのものを作り上げていこうとすると、やはりぶつかり合いはさけられないと思います。それでも、やり通すっていうのは、まさにプロ根性ですよね。
ジョー そうですね。だから、本当に何度も何度も悩みました。以前は、ハードロックという枠の中では、自分たちが好きなカラーを出しても、ファンがついてきてくれた感はありました。それはそれでうぬぼれかもしれませんけど、自分たちの好きなことをやってもファンがついてきてくれると勘違いしてしまったのかもしれませんね。
ジミー 44マグナムのメンバーの中に、バンドを引っ張れるようなメンバーがいなかったんですね、多分。44マグナムは、だれがリーダーっていうのは決まっていなかったんです。ステージやインタビューでポールが前面に立つことが多かったけど、「オレがリーダー」っていうのはいなかった。44マグナムはボーカリストのバックバンドではなかったし、メンバーがみないいバランス感を保っていたバンドなんです。

-メンバー同士のミーティングで色んなことが決められていたわけですね?
ジミー 特に初期の段階は、そうでした。でも、デビューして時間が経過すると、普段の生活の中でメンバー同士顔を合わせる機会がどんどん減っていくわけです。そうなると、メンバー同士の会話が、マネージャーを仲介した会話になってくるんです。まぁ、これがよくあるバンドの分裂の前兆ってやつなんですが・・・。そういう風になっちゃったんです。

-44マグナムにもあったわけですね
ジミー 今でこそ色々経験したおかげで失ったものもわかるけど、当時はまだ先のことを考える能力なんて無かった。
ジョー 音楽シーンもいろんなジャンルで盛り上がっていたし、世の中はバブルに向かっている時代でしたからね。

-80年代半ばでしたよね?
ジョー そう、だから周りも盛り上がっていたし。自分たちもわからなくなったことがあると思います。

-けじめという形かはわかりませんが、結果的に89年に解散となったわけですが・・・
ジョー 解散の話に関しては、ボクは知らないんです。先に脱退しているので。とにかく、次のドラマーが入って活動していたのは聞いていました。最終的に解散になるというのは、マネージャーから聞きました。
ジミー 当時のマネージャーが、「もう、解散した方がいいだろう」っていう話になって。「どう思う」じゃなくて、もう解散が既定路線というか、それに向かって突っ走ってしまった感じだった。

-解散に関してはメンバー同士の話し合いではなかった?
ジミー そうですね。当時は、もうメンバー同士でも滅多に会わなかった。

-長く続けていくことの難しさですかね? 当然、まだ若かったといおうのもあるでしょうし
ジミー お互いのエゴをうまく昇華できなかったのかもしれません。


Ignition.jpg-離れ離れになった44マグナムがもう1度やろうということになったきっかけは?
ジョー 「IGNITION」を作るときですね。
ジミー これもまたマネージャーを通してなんです。解散してからは、ポールもジョーもバーでたまに会う程度だし、バンは酒を飲まないから全く会わなかったんだけど、マネージャーが「ジョーはマグナム再結成に前向きだ」とか、「ポールもやりたがっている」とか言うんです。で、「オレもやってもいい」ってなって。マネージャーから聞く話では、解散当時の冷えきった考えじゃなくて、みんな色んなことを許せたというか、昇華できたのかなって思って。そのノリで、ポールと頻繁に連絡を取るようになった。オレは前向きにマグナムをやりたいと思っていましたね。
ジョー マネージャーから「ビジネスになる話じゃないかもしれないけど、どうだ?」って言われたんです。だからボクは「ポールはどう言っているんだ?」て。「ポールは自分がやっているような音楽をやりたいんじゃないのか?」って聞いたら、「ポールはマグナムをやりたがっている」っていうんです。だから、ポールに直接聞いたんですよ、「昔みたいにハードロックやるの?」って。そしたら、「歌いたい」って。それを本人からきいたので、「だったら、協力するよ」って。ジミーは「やる」って聞いていたけど、バンちゃんが引退していたから、そこだけ未定のままだったけど。

-でも、「IGNITION」にはバンさんも参加されていますよね
ジミー 参加しています。90年代半ばからそういう話は出てきていて、当時のマネージャーが仲を取りもった形になったのかな。マグナム解散以降自分のやりたかったR&Bとか、打ち込み系とか系統の違う音楽もやったし、コンポーザーとしても活動した。やりたいことはやったし、納得もしているんだけど、やっぱり、パブリックなイメージとして「44マグナムのジミー」っていうのがあるわけです。マグナム解散以降"広瀬さとし"の名前でやってきたけど、どこに行っても、何をやっても、「44マグナムのジミー」なんです。おかしな話ですけど、"広瀬さとし"として「44マグナムのジミー」に勝ちたいなっていう思いが、当時は強かったんです。でも途中で「そうじゃないじゃん!」って思えるようになって。ちょっと大人になれた気がします。それで、ポールと連絡を取るようにもなったし、ジョーとの確執とか、いろいろあったことを元に戻す努力をしようって思うようになった。バンドを建て直すために色々話し合ってプランニングしてもそれだけじゃ意味がないから、とにかく「やってみよう」って。やってみないことには、何も始まらないって思いましたね。

-では、「IGNITION」の時はある種手探りだった? まだ、確執もあった?
ジミー まぁ、今でもあるかもしれないから(笑)
ジョー 本当はそこで、ライブもやらないかという話もあったけど、2つの理由からできなかったんです。ボクがSNAKE HIP SHAKEっていうZIGGYの変名バンドなんですけど、そのバンドを動かさなきゃいけない時期で、ものすごく多忙だったのと、「IGNITION」というアルバムが、作ったときはシンプルなハードロックだったのですが、結局色んな編集を重ねているうちに、バンドがライブですぐ再現できるものでは無くなってしまったんです。

-正直、ボクも聞いたときにはびっくりしたのを覚えています。80年代の44マグナムを期待していた部分は多分にあったので
ジミー インダストリアルロックというか・・・。あれで周りのファンはみんな引きましたからね!! まぁ、世の中の流れに乗ったわけではないけど、当時クールと思った音楽をやったつもりなんです。でも、再結成したモノの、ある種解散当時の要因・手法が残っていたという意味では、完璧ではなかった。

-結局ライブもできず、22マグナムのセッション程度でしたが・・・
ジミー スケジュール的にどうにもならなかったし、そういう意味では今よりはバンドの温度も寒かった、微妙に・・・。それとね、ポールが今でこそパーキンソン病だとわかっていますが、当時からちょっと調子悪かったというのもありました。

-ポールさんが若年性パーキンソン病患者だと告白したのが06年でしたが、メンバーの間でわかった時はどうだったのでしょうか?
ジョー ボクが聞いたのは04~05年だったと思いますが、今の44マグナムのマネージャーと「マシン」をやっているときで、そのマネージャーの身内にもパーキンソン病患者がいたので、その辺の対処法とか病院とかをポールに連絡したのを覚えています。
ジミー 「IGNITION」のレコーディング終わりくらいから、「体調が悪い」っていっていたのは覚えています。
ジョー 最初ね、「モノを落としたり、つまずいたりする」っていっていて、「歳だかから仕方がないか」と思っていたみたいです。でも、「なんか違う」と思って病院に行ったみたいです。最初は病院でもわからなかったようだけど。
ジミー 今ほどパーキンソン病が認識されていなかったころですからね。正直44マグナムを再結成したけど、「無理かな・・・」という感じもあった。


stivie4c.jpg-そして、スティービーさんの登場となりますが、参加のきっかけは?
スティービー 当時のスタッフの方から話をもらったんです。「ポールを手伝って、マグナムをサポートしてくれないか」って。

-自分からではなかった?
スティービー はい。個人的には44マグナムのファンでしたけど、恐れ多くて自分からなんて・・・

-44マグナムのファンだった?
スティービー はい! 高校時代には自分のバンドでコピーとかもしていましたから!
ジョー 初耳だ!!
ジミー ポールからツインボーカルでという話はなかったの?
スティービー 44マグナムに関しては無かったです。

-44マグナムをやるってことに対してのプレッシャーは、親子だからこそ大きいものもあるのではないでしょうか?
スティービー もちろん、親子だし、父親と一緒というプレッシャーもありました。

-44マグナムを認識したのはいつくらいですか?
スティービー 物心つくころには、もう認識していました。子供のころから、連れられていましたから。

-自然に入ってきたわけですね。でも、そこで自分が歌うことになるとは?
スティービー 全く思っていなかったし、イメージさえもしていませんでした。

-逆に父親と一緒にやることで、支えになった部分もありますか?
スティービー 父親という意味では安心感もあったと思います。でも、あこがれのアーティストと同じステージに立つというプレッシャーは大きかったです。親子だけど、ライバルみたいな部分もありますからね。

-こういう時代、親子でできるというのは奇跡的な素晴らしいことかもしれません
ジミー 本当に素晴らしいことだと思います。

-やろうと思ってできることでもないですからね!
ジミー 最初ツインボーカルでやるってことになったとき、「どうなの?」って意見も多かったんですよ! 新しいことをやろうとすると、みんな最初は反対するから(笑)

-逆に、スティービーさんの参加が決まって、初めてリハをしたときの印象はどうでした?
ジョー 声がそっくりなんでびっくりしました!
ジミー そっくりだったね。
ジョー 最初のころは、リハでどっちがポールの声かわからなかったくらいですから。

-ナマライブを見ていなくてすみませんが、スティービーさんの情報を知らずにwebで見たときに、「また、そっくりな声の若手を見つけてきたな!」って思ったくらいです
ジョー それは難しいです。オーディションしても、みつからないかも(笑)

-でも、ジャーニーがスティーヴ・ペリーにそっくりな声のボーカルを探し続けているように、44マグナムもポールの声を捜し続けるのかなって!
ジミー そういうわけではないですね。スティービーも今はちょっと声も変わってきたけど、最初のころはホントによく似ていましたね。

-楽曲を作る際に従来通りのイメージで作りやすいとかありますか?
ジミー
 音域が近いので、曲は今までの感じで作れますね。スティービーのほうが若干高いかな。ポールの方が、下が出ている感じだけど、音域は同じくらいだと思います
ジョー 昔の曲をやっても、どれもちゃんと歌えるからね。

-今回のライブから、スティービーさんがワンマンになるわけですが、意気込みは?
スティービー 看板を背負うってことですからね・・・。プレッシャーはありますが、やりがいはあります。44マグナムが長く作ってきた歴史に恥じないように、やりたいです。
ジミー 老舗の若旦那みたいだな!!

jimmy4c.jpg-80年代の44マグナムを期待しているファンも多いと思いますが、今ある44マグナムは2012年の44マグナムだし、ポールさんの息子さんだけどポールさんでは無いわけですから、これから作られていく歴史に期待したいですね。
ジミー バンドは人間がやっているものだし、そういう意味では"生きもの"です。芸術集団といったらカッコ良過ぎですけど、メンバーの生きざまがあっての44マグナムだしね。昔は試行錯誤で失敗することも多かったけど、ポールがパーキンソン病になってスティービーが参加してツインボーカルになった件も、ポールが治療に専念するためにライブを退いてスティービーに歌ってもらうことも、間違った方向性ではないと確信しています。ポールがいつかパーキンソン病が不治の病じゃなくなって、また44マグナムに戻ってこれるまで、スティービーと頑張らないとね!
ジョー 医学も日進月歩なので、ボクらが活動している間に良くなる方法が見つかるかもしれない。先日も、脳内の金属が影響を与えているという説が発表されていましたからね。
スティービー 日々新しい発見があるようなので、近い将来に治療法が確立されるかもしれません。
ジョー ポールが、いつか44マグナムに帰ってくることを信じてします。
ジミー ボクが病気になって息子がギターやっていたら、ボクなら息子に「代わりにギターギター弾いてくれ!」っていうと思います。それで、ボクがダメなら、ずっと息子に「やってくれ!」っていっちゃいますね。世代を超えてマグナムが続くのもいいかなって思います。

-以前ラウドネスの高崎晃さんが、「メンバーの子供を集めてラウドネスをやらせてみたい」っていっていましたよ。
ジミー いいですね~!
ジョー (笑)

-とはいえ、ミュージシャンは親子だからといって単純に引き継げるものでもないし、かなりレアケースだと思います
ジミー そうですね。音楽の価値観って、文化だと思うんです。そういう意味では、ボクらとスティービーは世代も違うし、聞いてきた音楽も違うはずなんです。でも、その価値観を共有できるわけですから、これは音楽の素晴らしさだと思います。

-今の時代に好きなことをできるスティービーさんは、もしかしたら環境的に恵まれているかもしれません。でも、これはあくまでもきっかけであり、これからの道は自分の力で切り開いて行かなくてはならないわけですからね
ジョー スティービーは、自分でポールを父親として選んで生まれてきたのだと思いますよ。
ジミー お父さんくさいね! でも、最近本当に思うけど、ボクらメンバーは血がつながっているわけでもないけど、親戚縁者よりも濃い付き合いがあるわけです。44マグナムがデビューしたころはバブル前で、今の時代に似ている部分があると思います。デビュー後のバブル期に色んな誘惑があって、当時年齢的にも未熟だったボクらはいろんな失敗をしたけど、その失敗があったからこそいろんな経験も出来た。スティービーは、バブルを経験していないしね。ホントに色んな経験を積んできた。そういう意味では、運命とか感じますよね。スティービーの年齢はかなり下だけど、人間として持っている資質は一緒だと思っているから。

joe4c.jpg-最後に、当日ライブに来てくれるであろうファンにメッセージをお願いします
ジミー この編成でやるのは初めてで、まだリハもスタートしていませんが(※インタビュー実施日時点)、絶対にいいライブを作れる自信はあります。ポールが休憩している44マグナムかもしれませんが、スティービーが入ることで新しい44マグナムの可能性も見えてくるだろうし、今回のライブを機にエキサイティングで刺激のある44マグナムに期待して欲しいです。
ジョー 間違いなくいいステージにする自信はあります。新型44マグナムをよろしくお願いします。
スティービー ロックのカッコよさを、自分が窓口になって若い世代にも伝えられたらいいですね!

(芸能)

コメント(6)

44マグナムまでフォローされているとは!

そういえば
バンとグランドスラムを組んだRUDYが、また最前線に帰ってきましたよ。今度のバンドは、山田信夫とです。

Firesoleさん
どーもです。
44マグナムも大好きでしたからね!!
山田信夫さんも以前1度インタビューしましたが、改めてインタビューしたいですね!!

え!
のぶさん、このブログで登場してますか?

Firesoleさん
どーもです。
ブログを始める前のことだったので、このブログには登場していません。紙面ですね!

機会を作ってインタビューしたいですね!!

素晴らしいインタビューだ。
ポールには不屈の闘志でなんとか難病に
打ち勝ってもらいたいです。
新生マグナム頑張れ!!

ポンコツさん
どーもです。
ありがとうございます。
ポールさんの頑張りは、同じ難病と向き合う方への活力にもつながると思います。ポールさんにもインタビューができるとうれしいですが、体調の問題もありますからね。

いちファンとしても、応援していきたいと思います。

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