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海島健「アッラーの国のフットボール」のイメージ画像

海島健(うみしま・けん) 1965年、東京生まれ。一橋大学社会学部卒、97年よりバーレーンに在住し、バーレーン大学で日本語の講師を務めている。98年バーレーンでのガルフ杯のころからバーレーン代表の試合を見続け、現在は中東サッカー全般をウオッチしている。日本にはあまり入ってこない中東地域のサッカー情報を、バーレーン在住の海島健氏がお伝えします。

バーレーンサッカー界よどこに行く

11年03月01日 [18時37分]

 皆様もご存知のように、チュニジアのジャスミン革命に端を発した中東革命の波はオイル"リッチ"のイメージが先行しがちなGCC諸国にもやってきた。悲しいかな、我がバーレーンが舞台になった。2月17日と18日に起きた、政府軍によるデモ隊強制排除(死者7名)の後は大きな衝突はなく落ち着いてはきたが、問題解決への道のりは遠くまだまだ先行きは不透明である。もちろんバーレーンサッカー界にも大きな影響が及んでおり、フットボールどころではなくいろいろな意味で大混乱。というわけで、手短にバーレーンで起きた事件を振り返り、バーレーンサッカー界の現状をリポートしたい。ここ数年にわたって日本代表を苦しめたあのバーレーンサッカー界の英雄もとんでもない場所に登場します。

 チュニジアやエジプトで起きた革命に大きな刺激を受け、バーレーンでも反政府運動の機運が盛り上がった。ネット上でも反政府デモが呼びかけられ、2月14日あたりから大きなうねりとなった。特にマナマ中心部にある真珠広場にはシーア派を中心とする反政府グループが泊まり込みで抗議活動に突入。暴力的なことは一切していなかったのだが、政府は軍を差し向け17日未明に強制排除を実行。18日にも広場に戻ろうとした人々に発砲して、2日間で死者7名、負傷者多数(150名くらいといわれる)の惨事となった。この後バーレーン全土で起きた抗議活動はすさまじく、政府は一転して軍を真珠広場などから退却させた。この政府側の譲歩は非常に賢明だった。広場には反政府グループが戻ってきて勝利の雄たけびをあげ、現在も平和的な手法で抗議活動を続けている。ここ1週間ほどは反政府派と親政府派のデモや集会があちこちで行われており、中立的な市民や外国人はこのデモを横目に(あるいは避けて)日常生活をなんとか送っている状態だ。

 まずは個人的な話になるが、この強制排除の大混乱の直後、バーレーン大学が新学期を予定どおりスタートさせた(2月20日)のには驚いた。学生は半分くらいしか来ていなかったが、あの真珠広場に行っていたようで、女子学生までも参加していたのだ。2週目に入った現在、初めて姿を現した学生達に「真珠広場にいたんでしょ?」と聞くとみんな照れ笑いを返してくる。強制などはもちろんできないがあそこでの泊まり込み抗議はまだまだ何が起こるかわからないので、やめてほしいというのが本心だ。

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真珠広場周辺はテントや屋台が立ち並び、一見お祭りのような光景。炊き込みご飯(マッチブース)をふるまっている場面。腹がへってはいくさができん? いえいえ、もうこれ以上の衝突はさけなければ。

 生活が少しでも落ち着きを取り戻すと、「そうだ、バーレーンリーグやバーレーン代表などはどうなっているんだ」と気になるのは筆者の悲しい性。調べてみるとバーレーンプレミアリーグ(1部)などは続行中だった。2月20日もアル・リファvsアル・ムハラクという魅惑的なカードがあり、行ってみたかったが(コラムの更新もずっとしてないし、いいネタだ!)、街中が"戦争直後"でもあり外出を控えるようにというお達しもあちこちで出されていたので断念。こんな時期に国内リーグをのこのこ見に行って何らかの事件に巻き込まれたら、酔狂だけどアホすぎる。

 さて、この時期にはすでにバーレーンプレミアリーグも分裂の様相を示していたことを後で知った。アル・シャバブというチームがあるのだが、このチームはほとんど全員がシーア派の選手ということもあり、試合を放棄(公式記録は0-3の負け)して真珠広場の抗議活動に行ってしまった。他のクラブでも所属選手の一部が同広場に行ってしまい、残った選手でやりくりをしていた。一部リーグ所属の他の6クラブがバーレーンリーグの続行を望まないという意思表明を受けて、協会サイドもリーグの中断を決断。ガルフ杯(10年11月)、アジア杯(11年1月)の期間も準備期間を含めると長期のリーグ中断があったので、国内リーグが全くすすまないという事態に陥っている。例年10月くらいからスタートできるのですでに5カ月近く時間が経過しているが、第7節を消化しきれずにリーグがストップとはいくらなんでもありの中東蹴球とはいえ異常事態といえよう。やれやれ。

 真珠広場での強制排除のときは何人のリーグ所属サッカー選手があの場にいたのだろうか。負傷者が多数出たせいもあり、サルマニア病院などはパンク状態に陥った。あの時は救急車による怪我人の移送もままならなかったという報道もなされた。この救急車の部隊の一員としてバーレーンサッカー界の英雄、FWアラー・フバイルがボランティアで活躍していたというからすごい。アラー・フバイルはプロのサッカー選手になる前は救急車部隊の一員として働いており、この非常事態に再びお手伝いをかってでたのだろか。元日本代表のエースFW高原が大震災後にひっそりと救助活動に走り回るようなものといったらわかりやすいだろうか。こういった死人がでるような非常事態にあって、ほのぼのとさせてくれるトピックではあるが、何かが大きく狂っていることも間違いない。

 奇跡のW杯出場にあと1歩まで"のぼりつめた"バーレーンサッカー。混乱と後退はどこまでいくのか、心配になる。もちろん現状ではサッカーどころではなく大きな問題の解決が先ではあるが、あまりに不憫である。簡単なことではないが、反政府派と政府サイドには何とかいい妥協点を見つけてほしい。政治犯の大量釈放なども行われており、流れは悪くない。「リビアの次はバーレーンだ」などとも言われたが、リビアの現状がバーレーンのお手本であっていいわけはない。バーレーン流のウルトラCをみんなが望んでいるはずだから。

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これは抗議活動ではなく、1月のアジア杯でのウズベキスタンサポーター。1月はアジア杯でサッカー満喫、日本優勝で歓喜。2月は革命の季節に突入で、サッカーおあずけ、バーレーンサッカー崩壊寸前。2011年はすごい年になりそうだ。

<読者の皆様へ> いつもご愛読ありがとうございます。ご心配もおかけしております。お蔭様でかなり状況もよくなってきました。普通に中東サッカー情報をお届けできる日も近いものと期待しております。さて、今回のコラムではバーレーンの混乱状況についてもさしさわりのないと思われる程度で軽くふれました。ただし、コメント欄にてバーレーンの政治状況についてさらに踏み込んだ内容の質問があった場合、あまり答えられない、答えにくいことが多いことをあらかじめおことわりしておきます。あくまでも基本的には当コラムが中東(orイスラム圏)サッカーコラムであるということと、セキュリティー上の問題(政治などに関して何を話してもいいとは言いがたい)があるためです。従いまして、サッカーに重きを置いたコメントを歓迎とさせてください。今後ともよろしくお願いいたします。

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