このページの先頭



ここから共通メニュー

共通メニュー


ホーム > サッカー > 日本代表 > アジア杯2007 > コラム一覧 > 西村幸祐コラム > 個別記事


アジア杯2007特集

アジア杯特集のメニュー

西村幸祐「アジア杯透視図」

ハノイの決戦を振り返る

2007年7月26日

【日本-サウジアラビア】敗れて肩を落とすMF中村俊輔(撮影・たえ見朱実)
【日本-サウジアラビア】敗れて肩を落とすMF中村俊輔(撮影・たえ見朱実)

 ブックメーカーによれば事実上の決勝戦だったオーストラリア戦で何とかW杯の雪辱を果たした日本が準決勝に進出した。そして、サウジアラビアとの決戦はご承知のような結果(2-3)になった。日本は運よく7月7日の1次リーグ初戦のカタール戦から7月25日の準決勝までハノイから移動することなくアジア杯を戦った。そういう意味でも、今回の日本にとってのアジア杯の全ては、ハノイの決戦であった。

 準々決勝のオーストラリアは昨年のW杯メンバーが10名そろい、しかもビドゥカはイングランドのプレミアリーグ06-07シーズンで得点ランキング4位の、正真正銘のワールドクラスのFW。そんなビドゥカを完全に抑え込んだDF中沢の試合だったと言ってもいい。日本の組織プレー、特に守備ブロックは、オーストラリア戦で完璧に機能した。ほとんどが欧州で活躍する攻撃陣を中沢、阿部を中心に鈴木啓太と遠藤の両ボランチの上下動が封じきったからだ。

 確かに決勝点を獲れず、例によってGK川口の神憑(がか)りに依存するPK戦という危ない橋を渡らざるを得なかったが、オシム日本のベストゲームと言える試合だった。内容的にオーストラリアを完全に上回っていたのは、堅固な守備ブロックだけでなく、華麗なパスワークと共にボールを持たない選手の無駄走り(フリーランニング)が随所に見られ、多層的に攻撃の起点を作れたことだ。特に、巻の献身は筆舌に尽くしがたいものだった。

 にもかかわらず、そんな守備ブロックを持つ日本がサウジに“チンチン”にされるように3失点したのはなぜだろうか? そもそもオシム日本は、アジア杯に限らず失点が多い。また、攻撃面でも特にサウジ戦ではミドルシュートの少なさ、ドリブルで仕掛ける選手の不在と、これまで指摘されてきた弱点が大きくクローズアップされることになった。

 サッカーの定石の最初の手は相手の長所を消すことだが、サウジのドス・アンジョス監督は見事にそれを達成した。日本代表は相当研究されていて、高原には徹底マークがつき、何も仕事をさせなかった。と同時に、ボランチからの組み立てが緩慢になる瞬間を衝かれ、日本のお家芸だった「華麗なパスワーク」が封じられ、徹底的な鈴木、遠藤へのフォアチェックも早く、中村憲剛を機能させないことで中村俊輔も孤立させた。つまり、日本の中枢神経が完全に分断されてしまったのだ。

 しかし、オシム監督もスピードとテクニックのあるサウジの2トップに対し、3バックで臨めばいいことぐらい承知の上で、敢えてベストの布陣でない4バックで対応し、1次リーグからの戦術、メンバー編成を貫いた。つまり、オシムは実にリスキーな、つまり、危険な賭けに打って出ていたのだ。
 結論を書けば、今回の敗北とオシム監督の失敗は、ある意味、96年のアジア杯UAE大会の加茂日本の敗退と構造的に同じものだ。アジアレベルの1歩先を行く日本がたまたま負けたことに過ぎないのだ。これは決して暴論でなく、賛同者もいると思う。

 オシム監督のマンマークDFは個人の力の劣る日本では前時代的なあり得ないもので、守備ブロックを組織的に機能させるゾーンDFの方が遥かに効果的だという批判も正しい。だが、オシム監督は就任後1年で「日本のサッカー」を形成する作業の途中であり、どこまでのリスクに耐えられるかという実験を行っているのではないだろうか?
 96年のUAE大会の敗北と構造的に同じというのは、サッカーはレベルが高いものが必ずしも勝つとは限らないという、サッカーの常識を繰り返したという意味においてだ。

 日本が他国に対して圧倒的な戦術レベルの差を見せ付けた2000年レバノン大会でも、サウジ戦の川口の神憑り的なセーブがなければ負けていた可能性が高い試合だったという事実がそれを証明してくれる。
 しかも、あれから7年経ち、アジアのレベルは、特に中東のレベルは、カウンター一辺倒に頼ることがないように向上している。イラクもそうだが、サウジにとって、アウエーの東南アジアの大会で決勝進出を果たしたことは、この7年間東アジアの日本が頂点に君臨していたアジアのサッカー地図が大きく塗り替えられる蠢(しゅん)動であるかもしれないし、それが非常に興味深いのだ。結果的にアジア全体のレベルアップが見えてくるのでないだろうか。

 もちろん、AFCの大会運営能力の拙劣さや、審判のレベルの酷さなど足を引き摺(ず)る問題点は多くあるが、特に日本対サウジ戦のジャッジなど、あのオーストラリア人主審、にまるで準々決勝の復讐をされているように感じたのは私だけではないだろう。しかし、そんな問題点を多く孕みながらも、開催地のベトナム、インドネシアの爽やかな頑張りと観客の熱狂など、見るべきものが多い大会だ。

 日本が韓国との3位決定戦に臨むのも、サッカーの神様のあまりにも過ぎた悪ふざけだと言える。開催地はパレンバン。シンガポール陥落の3日前、昭和17年(1942)2月14日、※第2次大戦初期に陸軍落下傘部隊(第一挺身団)が降下した有名な地だ。パレンバンはスマトラ島の都市で、インドネシアを植民地支配していたオランダの石油基地の街だった。

 ※第2次大戦…通常はナチスドイツのポーランド侵攻に始まる欧州戦線と1937年に始まった日中戦争(支那事変、上海事変)、1941年に始まった太平洋戦争(大東亜戦争)を含めて第2次世界大戦という。

トラックバック

コメント

パレンバンといえば戦争記録画「神兵パレンバンに降下す」に描かれたとおり、日本軍が嚇々たる戦果を挙げた地です。これぞ英霊のお導きと言わずして何でしょう。韓国戦必勝祈願はもちろん靖国神社ですね。

投稿者:にわかサポーター|2007年7月27日 00:31

まだ早いですがこの大会を統括すると、実力があるチームがその力を発揮できない過酷な気象条件が際立った大会だったと思います。特に開催国で一番暑いベトナムを主戦場にしてきた日本でも、5試合目となれば疲労は相当溜まっていたのでしょう。サウジ戦はもろにその影響が出たようです。対するサウジは毎日35度を超えるベトナムと違い、30度を切るジャカルタでしたから、その分日本ほど影響を受けていなかったと思います。しかも日本VSサウジ戦はいつもと違い30度で風もあったというから、いつものように過酷な気象条件ではなかったのでしょう。しかしそのサウジも後半の残り20分では運動量がばったり落ちていました。オーストラリアもこの過酷な気象条件を克服できなかった国です。もっと涼しい国で開催されたら違った結果になったことでしょう。しかし与えられた条件で結果を残すことが一番重要だということも間違いないことです。

今回は4カ国の共同開催でしたが、どの会場も自国の試合以外は観客が疎らだったというのは残念です。これでは大会のステータスが落ちるでしょう。この地域の活性化をもくろんで開催地に選ばれたのでしょうが、大会主催者はこの現実を重く受け止めて欲しいです。4カ国共済というのは財政的に仕方ないとはいえ、マレーシアみたいに地元で惨敗するチームが出場しては大会の魅力がなくなります。ベトナムだけが決勝トーナメントに進出できただけですから、大会が盛り上がらないのは当然のことでしょう。こういったステータスのある大会は、開催するにふさわしい実力と運営能力がある国で開催しないと、アジアカップのレベルが落ちるということに危惧します。ベトナム以外がふがいない事実は今後の大会のあり方を大きく変えるきっかけになって欲しいです。彼らよりも出場するにふさわしかった国、例えばクウェートやヨルダン、シリアの中東勢や、北朝鮮などが出場したほうが大会がしまるというものです。マレーシアの無様な姿を見ると余計に感じます。
今後の日本代表ですが、日本はよほどのことがない限り4年間監督を一人に任せます。オシムが就任してまだ1年余りですから、彼の指導者としての経験と知識を発揮して欲しいです。現在はかつて指導した千葉の選手が指導方法に慣れているので多く召集されていますが、とりあえず今回で一度リセットして、W杯予選には他のメンバーでも対応できる完成度の高いチームを作って欲しいです。そして指導者として最後の花道になるであろうオシムのサッカー人生の集大成を見せて欲しいです。何故ここまで期待するかというと、日本は運がいいと思うからです。千葉がオシムを招聘しなければ、この世界的に評価の高い指導者が日本に目を向けることはなかったかあらです。そして時は流れて日本代表監督になっています。これを運がいいと思わなければなりません。

投稿者:ジェームス|2007年7月27日 02:01

オシム監督の実験との分析。目からウロコです。
負けは残念だけど、スリリングな展開で、日本代表の個性みたいなものが見えたきがしました。

投稿者:福田豊|2007年7月27日 07:02

 サウジFWは強かった。疲労もあるはずだが、必要な時にはMAXのスピードと瞬発力が発揮されていた。
  日本は守備的MFの能力が足りない。遠藤も憲剛も俊輔も以前より守備に走っているかもしれんが、奪う強さは無い。阿部も中沢も暑さと連戦で疲労が溜まり、守備での人数をかけての囲い込みができる時間がほとんど無かった。必要なタイミングでチームの意識を統一して囲い込めないと、高い攻撃力があるチームにはやられる。また豪州戦よりもボールを保持できることから、選手の心理に「豪州戦よりも力が発揮し易い」という印象ができてしまったうようだ。
  更に後手に回って全体が前がかりにならざるを得ず、日本DFは走る距離が増え、サウジFWにはスペースができる。そして更に疲労する。日本MFは囲い込めない・・。以上のことから、走れて頑強でパスが配れる守備的MFが必要。まあ今回オシムは欧州の所属チームに慣れるべき選手は、チームでのポジション奪取を邪魔しないために、そして国内選手の経験値増大・実力把握・育成の両方を考えて召集しなかっただけだと思う。願わくば稲本と中田浩等と国内組が切磋琢磨して2010年までにチーム力をMAXまで向上させて欲しい。しかし優勝できないのは痛かった。コンフェデは2010年のために本当に良い経験ができるから、チームとしてサッカー協会として・・TV中継にも影響があると思う・・本番の質に。
  オシムの意図はとてもチームに反映されていて、できる限りボールキープの時間を長くするポゼッション・サッカー!それも確実に良い攻撃ができる可能性が高確率になるまでミスなくボールを保持し続けることを意図していた。メンバーもパスコースを見つける能力が高い選手で固められて、個人でボールを保持することはあまり選択しないことが求められていた。特に今大会では・・。理由はポゼッションをまず高めて相手にボールを渡さないサッカーが日本のサッカーという意識を定着させるためだった・・と感じる。もちろんチャンスになればゴールへの仕掛けを始めるのだが、ここでも後半の最後になるまで強引さは影をひそめた。
  オシムは「考えて走るサッカー」と言っている。いくらポゼッションを高めても、それは目的ではない。選手は考えて、目的のゴールへ個人でトライする判断をする回数も増やすべき。オシムは「考える・・」の中にそれも含んでいる。状況を考えて判断・決断できることが選手に求められている考えるだ!試合前やハーフタイムに全体の傾向や一部の具体的指示はできても、試合中にはいくらでも全体の傾向とは相反する局面が発生する。得点経過や時間帯によっても最初の監督の指示とは異なった判断をするべき時もある。監督の読みが全く外れる時もある。たとえ歴史上の名将と呼ばれた監督でも現代欧州のトップの監督でも!その場面で監督の指示を超えて動けない選手は、優秀な選手に必要な能力に欠けている・・ということになる。(引退した中田はこの面の能力が極めて高かった。けれど人間心理を推し量る能力は不足していた。)
  更に前半初めのチャンス続出の場面で、最後の仕掛けを多くの選択肢の中から「パスで崩す」の一本槍でゴールを奪おうとする単純さは、上述の判断能力に欠ける面も影響している。選手がサッカーを知らない。確実性、協調性を好み、責任を嫌う国民性は「パスで崩す」には向いているかもしれない。けれどそれだけがゴールへの道ではない。ゴールへ繋がる多くの道を理解して、その全てにトライできてこそゴールへの確率が上がる!またそれを実行することこそチームに合った複数のゴールへの道(得点パターン)を選手自身が実感して見つける方法だ!(すでに強力な得点パターンを持っているならば別だけれど・・日本代表にはまだ無い)だからやはり全てのゴールへの道をトライしなければ・・。
  まず相手に守備の困難度を増大させられる。何をしてくるかわからない・・。これは重要なこと。どんなにパスが上手くても、「パスで来る」と読めるのでは守備の困難度は小さくなる。たくさんの手を持つ、敵にそれを意識させる。そのためにも前半の最初に圧倒的攻勢を現出できた時点でパスだけでなく、ミドルシュート、ドリブル、強引な仕掛け、こぼれ玉への飛び込み等のトライを必死でしなければならなかった。
  前半の15分までは誰が見ても日本の圧倒的優勢・・しかしそこで必死になって点を奪わなければ、優勢さを保持し続けられるとは限らないのが、サッカー!サウジもW杯の常連国・・それには理由がある、例え個人頼みに見えようとも・・。もし選手が本当にサッカーを知っているならば、あの優勢な時間帯にもっと必死になって1点2点と奪いに・・強引に奪いにいかなければならなかった。それが選手だけで判断できないと「考えるサッカー」の前提条件が足りないことになる。今回選手も少しは学んだと思うけれど・・。遠藤、俊輔、憲剛あたりにはその意識が足りない。高原、中沢、川口くらいかな・・あと稲本!?もっと意識して欲しい。でも美しいサッカー、興奮できるサッカーに向かっては明らかに進歩がある・・あとは勝負強さ。やはり中盤より前の選手で気迫が見えた選手は高原と巻くらい。(巻、下手だけど・・まあ気迫は少しある)闘利王のケガで阿部が中盤に居なくなったのも影響したか?阿部のシュートは技と気迫が結晶した美しいゴールだった。手首捻挫してた、アレ。一瞬手首折れたかと心配した。高原に1点決めて欲しかった。エースだけどまだ頼れるエースまではいってない。サウジ戦で決めてくれてたら・・頼れるエースまでなってたのに・・惜しい。まだ2010年までは時間がある・・精進して解脱してくれ~高原~!
  フィリピンでスタースポーツで見ました。打ち合いに見えたのでしょう・・イギリス人の名物解説者は素晴らしいエキサイティングな試合だった・・と言ってくれてました。アジア杯2007の試合の中では、そう感じます・・が、まだ日本代表選手の一部に(疲労の影響は大きいとは判ってはいるけれど・・)気迫が・・勝ちたい気持ちが足りない選手(MF)に感じました。最も質が高い選手たちであることは、わかりますが・・サッカーは質だけではありません。質は基準の1つに過ぎず、気迫が時には質を上回って勝負を決定することがあることは、歴史が証明するところです。試合から簡単に消えてしまう選手はレギュラーとしては他の選手の負担と疲労を大きくする存在になります。一瞬でゴールを陥れる能力も毎試合発揮されなければ、絶対的レギュラーとはできない・・と感じます。
  韓国戦・・ベンチの選手がたくさん出場するでしょう。オシムは選手を無理させて壊すのは嫌いですから。勝負は5分・・今までいい試合をしていたのは日本ですが、選手代えますし、両チームとも疲労が大きいので普段の能力より試合の状況で勝負が決定されるように感じます。その時大きく働くのが気迫です。韓国の気迫は日本戦で小さくなることはありません。日本も気迫で押し返して(もちろんパスを生かして)欲しいと願っています。(次回予選免除の日程で強豪国との対戦を組んで研鑽して経験値向上が可能になるしね!)やはり韓国を黙らせるには直接たたくのが一番だし、やはり良いライバルと思う。W杯がサッカー代表チームの最終的目標だし、そこで1度でもベスト4は賞賛できても、貶める資格は誰にも無い。判定ミスもサッカー。日韓W杯2002の韓国戦もTVで見てたけど、言われるほどの判定ミスは2回くらい。大きな誤りだけどそれもサッカー。1986年の準決勝アルゼンチン対イングランドでのマラドーナやアルゼンチンの2対1に悪口言う日本人がいないのに、平等じゃない感じがする。1点はマラドーナの神の手です!やられた方は悔しいけど、それをも覆す反発力(能力+気迫)が無いと大きな大会は勝ち進めない。今回のアジアカップでの日本代表はそれがまだ不足している・・ということだと思う。韓国戦で選手がそこを感じていて欲しい。サブ組が多くていきなりコンビを合わせるのは困難とは思うけど・・。長くてすみません・・載せて下さい。せっかく書いちゃったので。面白いこと書いたと思うのですが?

投稿者:匿名|2007年7月27日 16:32

以前西村さん主催の某サイトでお世話になっておりました"カイザー"と申します。お久しぶりです。

さて、ボクも西村さんと同じ視点で今大会を観ていました。
従来から言われているような、組織の中に埋没しない個性/個人を組織化して、組織で守り、組織で攻める、その「日本代表のスタンダード/日本代表のスタイル」をハッキリと確立するべく組織と個のバランスを実験中の日本。それでも結果を出さなければ窮地に立つという監督という大変な仕事に従事しているイピチャ・オシムさん。
残念ながら4位に終わった代表について、鴎外の言葉を借りるなら、

「日本はまだ普請中だ」

となるのでしょうか。常に現在進行形である「菩薩行」に匹敵するような美しい言葉だと思いますが、その美しい言葉も少なくともワールドカップ最終予選にはその「日本代表の形」が見えてこなければならない訳で、決して「絵に描いた餅」に終わらせてはいけないですよね。

今回のアジア各国のレベルアップを観れば、南アフリカ大会のアジア予選が簡単なものにならないであろうことは予測がつきますし、10年前のようなドラマ、あるいは2年前のようなハッピーエンドになるとは誰も保証してくれない。ドーハのようなことにならないとは誰も言えないはずです。
アジアを勝ち抜いて本大会へ駒を進めることが容易ではないのは何を今更です。

「日本代表のスタンダード/スタイル」をハッキリさせて、そのコンセプトを定着させ、アジアを勝ち抜いて、南アフリカでそのスタイルを深化させることることがプロフェッショナルとしての、また日本を愛してくれているオシムさん(及び日本サッカー協会)の腕の見せ所だと思います。またそれはとても大切なフェーズだと思うので、あせらず(?)やり遂げて欲しいものです。

とはいえ、目先の試合で結果も出していかないと非難を浴びるのは勝負事の常で仕方が無いですが、最終的な「結果」は「日本スタイルでの本大会出場」なので、各メディアもそこを見失って欲しくないです・・・にしても、代表監督は大変な仕事ですね~。

オシムさんも、日本サッカー協会も頑張れ!

投稿者:カイザー@元2002club|2007年7月29日 12:20

西村氏の「リスキー・オシム」ともいうべき視点は面白く、僕もそんなオシムが好きです。守備のマンマークは本当にこれからどうなるのでしょうね。ここも興味深い。

ジェームズさん
オシムへの期待は僕も大賛成です。極めて論理的であるから、長期的に一歩一歩チームを作っていくことができるという、そういった監督としての広く、根本的な力量を感じます。マスコミ教育とかサポーター教育とか、両者に向けて一ゲームの総括の仕方にまで言及してみせるとか、一国のサッカー文化、否、スポーツ文化の歴史の育成という狙いまで感じます。
日本は野球観戦の歴史的伝統が染みついており、球場の観衆はまるで得点周辺以外は見ていないといった観がありますが、オシムはそれを現に崩してきましたね。負けたガーナ戦を褒めて見せ、勝ったペルー戦をガーナ戦より悪かったと言ってみせる。結局、「結果オーライ」総括、得点周辺だけの総括じゃそのチーム、スポーツの将来も国の伝統もあったものじゃないと語っているのでしょう。「勝利を強制されていて」、よそから名選手を集めるので若手を育てられず、チーム戦略もコロコロと変わるどっかの「強豪」球団じゃ伝統も何もないと、そういうことなのでしょうね。

匿名さん。
お見事な総括と思いました。その総体としての観点、チーム評価は僕がここのあちこちに書いたものとほぼ一緒です。特にオシムのチーム戦略、及び攻撃の弱点と、修正方向については。ただ、以下は意見が全く違う。
①中田はともかく稲本はもう呼ばれないと思うし、松井でも大黒でもオシムのチームにぽっと入ってすぐ付いていける人は少ないと思う。俊輔でも2ゲーム、高原でも1ゲームかかりました。その間の練習期間も入れてです。走り続けることを前提にした速い判断のワンタッチ、ツータッチ・プレー(ジーコ時代よりも総タッチ数に占めるこの割合が1・5倍以上に増えたらしい)に付いていけないからでしょう。俊輔も「これが一番難しいこと」と語っていますし、高原は全盛期の磐田やアルゼンチンでこれに慣れているはずです。
②大切な「囲い込んでのボール奪取」についても一言。
オシムはこれを凄く重視しています。そもそもボランチを多く選んでいるというのは、ポリバレントの中でもこの力を重視しているからだ。今野、阿部、啓太、憲剛、遠藤。そしてこの憲剛や俊輔が特に、いつもこう命じられているらしいです。「守備の時はもっとガツンといけ」。①の力とこの力はオシムサッカーのいわば土台だと、僕は思う。そして憲剛や俊輔は①に優れ②を鍛え中、啓太や今野は②に優れ①を鍛え中と見たらどうだろうかと思うのです。鍛え中といっても、「二つの力が合わさったら、世界レベル選手」というようなレベルなのでしょうが。なお「ガツンといく」のは小さくてもできる。みんなでパスの出所を塞いでから、小さな一人がアジリティーでもってでっかい相手の足下にちょこんと足をだして、奪うかミスパスをさせればよい。これ、結構みんな上手くなりましたよ。

以上の二つはオシムのポゼッションサッカーの土台であって、アジリティーを過信しすぎたジーコ時代から非常に進歩した点だと思うのです。これに得点力が加われば、随分進歩したアジアでも優勝できたはずですが、日本はおっしゃるようにやはりボールの回しすぎでしょうね。「ドフリーの選手を作ろうとしすぎ」というのか「シュート責任を避けている」というのか。この点は昔鹿島の柳沢に集中した批判と同じですが、とにかくゴール前でも周囲が見えているには違いないのでから、闇雲に打つよりは将来性があります。上記①の長所は、ゴール前でも必ず生きてくると確信するものです。

投稿者:文科系|2007年8月 2日 12:13

コメント投稿(承認後に公開されます)

バックナンバー

プロフィル

 1952年(昭和27年)東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科中退。在学中に第6次『三田文学』の編集を担当、80年代後半から主にスポーツをテーマに作家、ジャーナリストとしての活動を開始した。93年のW杯予選からサッカーの取材も開始。02年W杯日韓大会取材後は、拉致問題、歴史問題などスポーツ以外の分野にも活動を広げている。
 著書は「ホンダ・イン・ザ・レース」(93年・講談社)、「八咫烏(ヤタガラス)の軌跡」(02年・出版芸術社)など多数。新著は「反日の超克」(PHP研究所)。
ホームページはこちら

ほかのコラムを読む

海島健
イラクに始まりイラクに終わった、さよならアジア杯
セルジオ越後
オシム監督更迭せず…川淵会長責任逃れ
オシム語録
「われわれはリスクを冒している」
市川雄介
豪州戦はオシムジャパンのベストゲーム


このページの先頭へ