緑湯
大切に受け継がれる「タイル絵」
銭湯といえば、壁いちめんに描かれた雄大な富士山の絵を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。
「緑湯」のタイル絵は、定番の富士ではなく、外国の風景画。男湯と女湯では違う風景が描かれている。ある時、お客さんから「男湯、女湯の入れ替えはないのですか」という問い合わせが店にあったそうだ。見る機会は訪れないであろう、もう片方のタイル絵を見たい! という気持ちが質問させたのではないだろうか。
「緑湯」のタイル絵は、色の付いた小さいタイルを貼り絵状にしてデザインしたもの。男湯には、スイス風の山、湖に浮かぶヨットと白鳥。雄大なイメージで、青や紫のさわやかな色使い。一方の女湯は、メルヘンチックなイメージ。オランダ風の風車の前に流れる川、可愛らしい家が建ち、ピンク色の混じった空には雲が浮かんでいる。
「緑湯」は先代の善七さんが昭和36年に創業。昭和50年から2代目のご主人・高橋善則さん(58)も一緒に銭湯経営を始められた。このタイル絵は先代の善七さんから受け継がれたもの。95年の阪神大震災の後、「緑湯」は1カ月かけてリニューアルした。でもこのタイル絵は銭湯の顔でもあり、家族全員の愛着も強く、そのまま残された。「緑湯」では、このタイル絵をはじめ、浴場内の壁や床、浴槽は手洗いで丁寧に行う。大きな亀の子タワシ、デッキブラシを駆使して「時間がかかっても、人間の手で手間ひまをかけるのが、一番きれいに洗えます」と奥様の秀美さんは話す。
女湯にはお馴染みの「ベビーベッド」。最近は利用者がほとんどいないため、設置してあるベッド数は減っている。このベビーベッド、昭和40年代頃の銭湯全盛期には、赤ちゃんを抱えた母親が銭湯にくるときは、まずはベッドの確保が優先、混雑で取り合い状態だった。混雑ぶりを物語るエピソードでは「正月2日の『初風呂』の利用者が大勢すぎて、カラン(蛇口)のお湯がなくなったこともありました」と秀美さんは当時を振り返る。
小さい子供のときは、自由に出入りできた男湯、女湯。その両湯の間に仕切られた浴場の壁。「緑湯」はリニューアルした95年まで、壁の上側の一部が、珍しいガラス造りになっていたそうだ。ガラスといっても、向こう側が透けて見えない「ガラスブロック」。昭和の香りが残る味のある壁だったが、仕切りにガラス素材を使用するのは、現在の風潮からは難しいかもしれない。
番台越しに女湯を覗こうとする男性の視線は、店側の工夫が伝わってくる「鉄壁ガード」でシャットアウトされる。木製の衝立とカーテンの仕切りで番台は囲まれている。そして営業時間の大半は、番台に奥様の秀美さんが座られる。驚くほどの「鉄壁ガード」でも、お客さんの中には「見えないか」と気にされる女性もいるらしい。しかし、番台でなく、脱衣所と切り離したカウンター形式とすると、店と客とのスキンシップ、銭湯特有の風情はなくなる。式亭三馬の代表作で江戸庶民を描く「浮世風呂」のような、井戸端会議を風呂に持ち込んだような銭湯の味わいを残すためには、「番台」制度は、やはり必須のアイテムなのだろう。

