めがね温泉
レンズの町に息づいた「進化する湯」
生野区を南北に貫く今里筋を南下、田島地区、村田病院の南の通りを入ったところに個性的な名前の銭湯はある。「この銭湯ができた当時、昭和20~30年頃までは、生野区はレンズ産業が盛んやってん。プラスチックじゃない、ガラスレンズや。東洋一やで」。2代目ご主人の宮前博一さん(51)は得意げに教えてくれた。「田島のめがねレンズ」は、“生野区よいとこ田島のめがね”と明治・大正の古い本にも紹介されているように、その名を知られた。お客さんも関連工場の労働者が多く、店名も「めがね温泉」とした。正確には前の営業者から看板ごと引き継いだ。「銭湯自体は大正時代からここにあった」。
生野は銭湯の町といっても過言ではないほど風呂屋が密集する。「密度やったら日本一や」。思えば源ヶ橋温泉や福徳温泉といった個性豊かな湯も、生野の湯だった。「数が多い理由? お客さんのニーズがあるからやろ」。一方で「どうすればお客さんが来てくれるかを考えている風呂が多いんやろ」。そう言うご主人は“日本一”の生野を束ねる浴場組合理事長でもある。
「めがね温泉」も例に漏れず、浴室中に珍しい湯船が目につく。例えば、露天風呂はピンクソルトとブラックソルトの岩塩風呂だ。「ピンク」は鉄分を多く含む塩で冷え性や肩こりに効果的な「熱の湯」、一方の「ブラック」は酸化還元力に優れるとのこと。他にもサウナは富士山溶岩の放熱効果を取り入れたり、ゲルマニウムやラドンスチーム。湯は白湯仕立てで、これらを順々に入って回るのも楽しい。
もちろん、馴染み客を喜ばせるだけではない。新しい客、現代っ子に来てもらえるかが勝負だと言う。「今の子供は銭湯来たことないって言うけど、当然や。その両親が来たことないねんもん。スーパー銭湯しか行ったことない子が、どうやったら来るかが大事や」。なるほど、改装を重ねた浴場は訪れるに度に新しい発見がある。最近まで試みた「トウガラシ湯」はご主人自ら鶴橋の市場で買い求めた唐辛子を刻んで湯に馴染ませた。「誰も教えてくれへんから、アイデアは自分で編み出す」。平成8年には番台を廃しロビー化。これも人前で裸になったことがない現代っ子を意識した。決して色めがねで現代を見ず、自分のビジョンで「楽しい湯、飽きない風呂」を考え、進化を止めない。
一方で「銭湯は日本文化そのもの」と言い切る。「子供が地域の大人に社会のマナーやルールを含めて勉強する場」。確かに浴室で走ったり、他人に迷惑を掛けるような行動は、知らないおじさんが怒鳴りつけていた。そんな空気が今も確かにここにはあるようだ。「うちは小学生の客も多い。日曜の午後は学校ごとにグループで連れ持って来る」。浴場の課題に「若い世代をいかに取り込むか」というテーマがあったが、ここでは問題にもしない。「自分がお金払って行きたいと思う風呂を形にしてるだけ」。ご主人の快活な発言と自信。自分の曇ったレンズ越しに見えたご主人の笑顔に、「銭湯」はこれからも残ると確信した。

