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メイ牛山さん(元祖カリスマ美容師)が心不全のため死去

 日本における美容家の草分け的存在で、90歳を超えても美容界の最前線で活躍していたメイ牛山さん(めい・うしやま、本名・牛山マサコ)が07年12月13日午後2時48分、心不全のため東京都内の病院で死去していたことが16日、分かった。96歳。山口県出身。葬儀・告別式は近親者で済ませた。来年1月26日、東京都港区六本木6の4の1、ハリウッドビューティプラザでお別れの会を開く。喪主はハリウッド株式会社社長の二男勝利(かつとし)氏。

 関係者によると、牛山さんは今夏の暑さで一時体調を崩して入院。退院後は元気を取り戻したが、11月に入り再び体調を崩した。「季節が良くなるころまで」と再び入院したが、13日、勝利さんら家族に見守られ、息を引き取った。体調を崩すまでは毎日、六本木にある「ハリウッドビューティプラザ」のサロンに出て、現役の美容家として仕事をこなしていたという。

 公式ブログ「メイ牛山の美容百科」は、今月10日まで更新されていた。最後の更新となった「クリスマスの思い出」では、等身大もある大きなツリーの横で、トレードマークのお団子ヘアに着物姿でほほ笑む牛山さんの写真とともに、クリスマスを心待ちにした様子が書き込まれていた。

 おしゃれ好きの少女だった牛山さんは、18歳で上京し、1932年(昭7)、ハリウッド美容講習所に入所。独創的な技術や感性で新聞や雑誌にヘアスタイルを発表、皇族や政財界夫人、女優など多くのセレブを顧客に持つ、元祖カリスマ美容師だった。「ハリウッド化粧品」創設者の牛山清人氏と39年に結婚後は、メイ牛山の名で活躍。マスカラを発売するなど、まだ女性が自由におしゃれを楽しめなかった戦前の日本で、さまざまな化粧法や美容術を開発、発表した。

 戦時中は店を閉めて疎開したが、戦後は清人氏とともに欧米諸国を回り、現地の美容学校で技術や理論を学んだ。今では当たり前となった美顔術など、当時最先端だった手法を日本に持ち帰った。米国を象徴する「ハリウッド」の名前を冠したブランド名の化粧品開発にも意欲的に取り組み、日本で最初の美容番組(58年)も手掛けた。肌(SKIN)、体(BODY)、心(MIND)のバランスを重視する「SBM美容法」が持論だった。

 健康食の研究でも知られ、清人さんが77歳ですい臓がんと診断された際は、自宅で1日3回食事を手作りし、91歳まで支えた。牛山さんは、70年以上にわたって日本美容界のパイオニアであり続けたとともに、結婚、子育てしながら仕事もするキャリアウーマンの草分け的存在でもあった。



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