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おくやみ
津田博明氏(グリーンツダ名誉会長)が死去肺炎のため死去
津田博明名誉会長の遺影
プロボクシング世界王者の井岡弘樹、山口圭司を育てたグリーンツダジム名誉会長の津田博明(つだ・ひろあき)氏が07年2月5日午前4時45分、肺炎のため大阪市西成区の病院で死去した。62歳。長崎県出身。自宅は大阪市西成区天下茶屋2の21の6。通夜はこの日、大阪市西成区松1の7の4、仏現寺で営まれた。葬儀・告別式は6日午後3時から同所で行われる。喪主は妻セツ子(せつこ)さん。ジム会長、プロモーターとして手腕を発揮し、現在タレントの赤井英和も指導。98年に脳内出血で倒れてからは、闘病生活が続いていた。
関西のボクシング界を引っ張ってきた津田名誉会長が、力尽きた。98年1月に脳内出血で倒れ、左半身が不自由となった。それでも同4月に名古屋で3階級制覇を狙った井岡の世界戦には車いすで駆け付けた。03年、会長職を息子栄治氏に譲り、自らは名誉会長に就任。05年3月には再び脳内出血を起こし、意識不明の状態が続いていた。1週間前には肺炎を患い、容体が悪化した。
「ボクシングは男のロマン、夢なんですよ」。80年2月、大阪・西成に前身の愛寿ジムを創設した。練習生は、後に「浪速のロッキー」と形容されたタレント赤井英和だけ。近所の公園にサンドバッグをつるして屋外で指導した。後に文化住宅の1階を改装。畳の上にマットを敷いてリングをつくった。10坪の小さなジムからの出発だった。
「無名の中の超一流ジムをつくり上げる」。目標を掲げて帝拳、ヨネクラなどの老舗ジムに対抗した。井岡を含めて6人の世界王者を育てた名トレーナーの故エディ・タウンゼントさんも招聘(しょうへい)。会長在任中に2階級制覇した井岡弘樹、山口圭司の2人の世界王者をはじめ、東洋太平洋王者3人、日本王者9人を輩出。大阪帝拳と並ぶ西日本トップ級のチャンピオンメーカーとなった。
ボクシングに情熱をかけた人生。自宅で訃報(ふほう)を聞いた現グリーンツダジム会長の妻セツ子さんは気丈に「エディさんとウチの人と井岡さんが一緒にやっていたころが、一番思い出に残っています」と話した。
関係者悲しみの声
一番弟子のタレント赤井英和(47) 指導を受け始めた当時は津田名誉会長はタクシー運転手をしており、仕事の空き時間にボクシングを教わった。「公園のジャングルジムにロープをかけてリングをつくってくれて…。僕は(世界王者になれずに)全然だめだったけど、汗だくの時に文化住宅の前で背中に水を掛けてもらったのを覚えている」と沈痛な表情で恩人の死を悼んだ。
大阪帝拳ジムの吉井清前会長(74) いい相棒を亡くしました。彼はちょうど年がひと回り下で、いつも切磋琢磨(せっさたくま)していた。ボクシングにかける情熱は並外れていた。選手を作ることに熱心で、協会のこともよく考えていた。井岡君が世界王者になって「死んでも思い残すことはない」と言っていたのを思い出します。
日本人3人目の世界2階級制覇を果たした井岡弘樹氏 世界戦で勝って、会長とリング上で両手で握手した時の笑顔が忘れられない。本当に寂しい。
同ジム現WBA世界ミニマム級暫定王者の高山勝成(23) 高山は03年10月にエディタウンゼントジムから移籍。津田名誉会長が意識不明となった05年3月の1カ月後に、世界王座を初めて手にした。「倒れる前に会長には『ウチのジムに来てくれてありがとう』とよく言われました。世界へのチャンスをつくってもらったし、拾ってもらって本当に感謝しています」と話した。
元WBA世界ライトフライ級王者・山口圭司氏 ボクシングが好きで、選手の面倒見も良かった。熱心に教えてもらったし、技術もすごい人。世界王者になれたのは会長のおかげです。非常に残念です。
グリーンツダからデビューした前WBA世界ライトフライ級王者・亀田興毅 ボクシングのことをアドバイスしていただいて、本当にお世話になった。非常に残念です。
- ◆津田博明(つだ・ひろあき)
- 1944年(昭和19年)3月15日、長崎生まれ。実家は網元だったが、高校進学前に倒産。17歳で大阪に出てボクシングと出会う。22歳でトレーナーとなり、80年に独立。赤井、井岡ら多数のボクサーを育てた。井岡に日本最年少で世界タイトルを取らせ、日本人2選手による日本初のダブル世界戦を行うなどプロモーターとしても活躍した。