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おくやみ

内山田洋さん(クールファイブのリーダー)が肺がんのため死去

 「長崎は今日も雨だった」などのヒット曲で知られるコーラスグループ、内山田洋とクールファイブのリーダー内山田洋さんが、06年11月3日午前に肺がんのため入院先の横浜市青葉区の昭和大藤が丘病院で亡くなっていたことが5日、分かった。70歳だった。既に近親者で密葬を済ませたという。

 今年4月に体調不良を訴えて検査入院し、そのまま自宅に戻ることなく帰らぬ人となった。全国的な人気グループのリーダーだけに、関係者はファンとの「お別れの会」実施を検討している。喪主などは未定。

 内山田さんは57年から福岡県の白木原ベースキャンプなどで演奏活動を始め、その後は福岡や長崎のキャバレーやクラブを中心に活動。67年に長崎市でグループを結成した。翌68年に前川清(58)がボーカルとして参加し、69年2月に「長崎は今日も雨だった」でレコードデビュー。同曲が大ヒットし、NHK紅白歌合戦にも出場した。

 だが、87年に前川がグループを脱退してからは人気が急降下。96年には新メンバーを加えて「再び長崎」を発表したが、ファンには違和感が払しょくできず、自然解散状態になってしまった。

 内山田さんは高校時代に水泳の選手として活躍。芸能界入りしてからも水着を持ち歩き、地方のホテルで空き時間を見つけては水泳を楽しむスポーツマンだった。腕立て伏せを週3日150回のペースを欠かさず、体調管理には人一倍気を使っていた。

 昨年10月、夕刊紙の取材を受けた際には「最近は僕ひとりで営業のステージを務めることが多い。若い女性がいると、KinKi Kidsの『硝子の少年』を披露する。内山田のステージは楽しいと評判いいんです」などと元気に話していた。昨夏には20代の女性と「内山田洋とクールガールズ」を結成したとして「ステージに張りが出てきた」と笑顔をみせるなど、最後まで音楽活動への意欲は衰えなかった。

関係者悲しみの声

 前川清 リーダーがお亡くなりになったことは今日、事務所からの電話で知りました。本当にショックで、今も信じられない気持ちです。(87年に)脱退してからは、テレビ局で偶然に1度お会いしただけ。その時には「お久しぶりです」とあいさつをしたのですが、それが最後の会話になってしまいました。会わなくても、新しく女性メンバーを入れた話などを聞くと、頑張ってらっしゃるなと自分にも大きな励みになりましたよ。思い出はたくさんありすぎます。グループに自分を拾ってもらった当時はまだ子どもでしたから、とても大事にしてもらった。親以上に自分のことを考えてくれた方です。今の自分があるのはリーダーのおかげです。心よりご冥福をお祈りします。

主なヒット曲

 長崎は今日も雨だった(69年、73万枚)逢わずに愛して(69年、70万枚)噂の女(70年、50万枚)港の別れ唄(71年、23万枚)そして、神戸(72年、31万枚)中の島ブルース(75年、46万枚)東京砂漠(76年、17万枚)西海ブルース(77年、12万枚)

◆内山田洋(うちやまだ・ひろし)本名・内山田道生(みちお)。
 1936年(昭和11年)6月6日、福岡県生まれ。同県の白木原米軍基地で音楽活動を始め、67年に内山田洋とクールファイブを結成。長崎のクラブを中心に活動し、自主制作した「涙こがした恋」が有線放送で人気になる。69年、メジャーデビュー曲「長崎は今日も雨だった」が大ヒットし、同年日本レコード大賞新人賞受賞。NHK紅白歌合戦には11回出場した。92年にメンバーを大幅に入れ替え、活動を再開。


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