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大木金太郎さん(元プロレスラー)が心不全のため死去

061027-1.jpgNWFヘビー級選手権試合で、アントニオ猪木(左)と対戦する大木金太郎さん(共同)

 1960年代から70年代にかけて強烈な頭突きで人気を博した元プロレスラー、大木金太郎(本名・金一)さんが06年10月26日、心不全のため韓国・ソウル市内の病院で死去した。77歳だった。大木さんは韓国から密航して力道山の日本プロレスに入門。得意技「原爆頭突き」で故ジャイアント馬場、アントニオ猪木らと名勝負を繰り広げた。82年に韓国に戻ったが、10年以上前から頭突きの後遺症と糖尿病、内臓疾患などに悩まされ療養生活を送っていた。

 大木さんの代名詞でもあった頭突きが皮肉にも、寿命を縮める原因になった。10年以上前から頭突きの後遺症による脳血管疾患などに苦しみ、入退院を繰り返していた。最近は車いす生活で、体重は全盛期の130キロから半減。25日朝、危篤に陥り、この日力尽きた。

 力道山にあこがれ58年、漁船で日本に密入国。逮捕されたが、拘置所から手紙で力道山に身元引受人を依頼し、日本プロレスに入門した。その後は馬場、猪木とともに三羽がらすとして活躍。日本プロレス崩壊後は、新日本、全日本、国際と渡り歩き、頭突きを武器に、猪木や馬場と名勝負を繰り広げた。

 「覚悟して玄界灘を越えてきたのなら、どんなつらいことがあっても我慢しろ」。入門の日の力道山の言葉は忘れたことがなかったという。「原爆頭突き」が生まれたのも恩師のおかげだった。ある日、ガラスの灰皿で頭をたたかれた。「痛かったけど、痛いって顔はできませんでした」(大木さん)。平然としていたら、力道山から「これからは頭突きだ」と進言された。同じ朝鮮半島出身の恩師は人生の師でもあった。

 力道山とは対照的に、大木さんは早くから朝鮮半島出身を公言し「韓国の猛虎」とも呼ばれた。63年12月の力道山死後は、師匠の夢を実現するため、母国のプロレスの発展に尽くし、82年の帰国後は国民勲章を受章するなど「韓国の力道山」になった。

猪木「燃え尽きたんだな」

 大木さんの訃報(ふほう)を聞いたアントニオ猪木は、この日午後4時すぎに韓国へ向かった。現地では大木さんが入院していた病院で行われる日本の通夜にあたる式に参列する。空港で「何年も闘病する姿を見てきただけに燃え尽きたんだなと思う」と話した。

 60年(昭和35)の入門以来の付き合いになる。「デビュー戦の相手を務めてもらった。当時の若手で最も強い人だった」。一方でふだんは兄のように接してくれたという。「オレが力道山に殴られた後、よく焼き肉に連れて行ってもらった」。大木さんが病に倒れてからは何度も韓国へ足を運んだ。今年6月のパーティーで会ったのが最後だった。11月24日にソウルで開催する猪木-アリ戦30周年記念興行「イノキゲノム」で追悼セレモニーを行う。

ノアが追悼10カウント

 ノアは26日名古屋大会の試合開始前、出場全選手がリングを囲み、10カウントゴングを鳴らして大木さんを追悼した。直接の参戦はないが、広報担当者は「韓国での試合に来場してもらったり、選手やスタッフを食事に招待してくれた。我々にとっても恩人」と話した。また、新日本は29日の神戸大会、全日本も同日の福岡大会で10カウントゴングなど追悼セレモニーを行う。

関係者悲しみの声

 新日本・坂口征二相談役 今年2月に猪木さんらと囲む会を開いたばかりだった。車いすで来日した大木さんとは楽しく過ごしたのだが…。馬場さんに続いて寂しいね。

 新日本・山本小鉄顧問 入門直後の練習でたたきのめされ、プロのすごさを感じた。体を作るために給料を食事につぎ込むなど、プロ意識を勉強させられた。

 ノア・百田光雄 日本プロレスでは格が違いすぎて戦えなかったが、81年に全日本の韓国遠征でタッグを組ませてもらった。強烈な頭突きが印象的だった。

 無我ワールド・藤波辰爾 新弟子に「頑張りなさい」と声を掛けるなど他の先輩とは違う優しさがあった。大木さんとの時間はつかの間の安らぎだった。

 新日本・星野勘太郎 4、5年前から猪木さんと見舞いに行っていた。6月に会ったときは車いすから立ち上がる姿に回復ぶりを感じていただけに残念です。

<大木金太郎さんの名勝負>

 ◆ボボ・ブラジル戦(72年12月1日) 日本プロレスの横浜大会で、同じ頭突き必殺技にするブラジルと、インターナショナルヘビー級王座決定戦で激突。頭突きの応酬の末に敗れたが、3日後の広島大会での再戦で王座奪取に成功。

 ◆猪木戦(74年10月10日) 新日本の蔵前大会で、デビュー戦の相手だった猪木と再戦。12発の頭突き乱打で追い詰めたが、13分13秒、岩石落とし固めで仕留められた。2人は試合後、抱き合って涙を流した。

 ◆馬場戦(75年10月30日) 全日本の蔵前大会で、盟友の馬場と対戦。腹と頭に頭突きを連打して馬場の額を割ったが、最後はランニング・ネックブリーカードロップを浴びて、体固めで敗れた。

◆大木金太郎(おおき・きんたろう、本名・金一)
 1929年(昭和4年)2月24日、韓国全羅南道生まれ。58年、力道山にあこがれて日本に密入国。逮捕されたが、59年11月、日本プロレスに入門。翌年入門した馬場、猪木とともに「若手三羽がらす」と呼ばれた。日本プロレス分裂後は全日本、新日本、国際で活躍。72年12月にはボボ・ブラジルを破りインターナショナルヘビー級王座を獲得した。81年に帰国。韓国では国民的英雄で94、00年に国民勲章を授与された。現役時代は185センチ、122キロ。


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