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おくやみ
松本竜助さん(元タレント)が脳出血のため死去
漫才コンビ「紳助・竜介」で一世を風靡(び)した元タレント松本竜助さん(まつもと・りゅうすけ、本名・稔=みのる)が06年4月1日午前5時2分、大阪市内の病院で脳出血のため亡くなった。49歳。50歳を機に再び漫才をする約束をしていた相方の島田紳助(50)は「ネタ合わせ、嫌やったんやろ」と号泣。竜助さんを「戦友」と呼び「アホ、ボケしか言うことない。悔しい」と声を振り絞った。また竜助さんが自叙伝を執筆中だったことも分かった。
50歳になったら再び漫才をする-。そう約束していた誕生日(6日)まであと5日、緊急入院から10日で、竜助さんは力尽きた。半生を振り返る自叙伝を執筆中だったが、それを出版することもできなかった。志半ばで短い一生を終えた相方に代わって、紳助がこの日夕、都内で会見した。
竜助さんは先月22日、勤務先で頭痛を訴え、緊急入院。意識はなく、すぐに開頭手術を受けた。紳助はこの間の容体を「よくって植物状態。ICU(集中治療室)おってもしゃあないから(29日に)一般病棟に、と。死んでいくのを待つだけやった」と説明した。
関係者によると、31日から熱と心拍数が上がり、けいれんが起きた。1日未明、妃加子夫人と長女がアラーム音に気付いたが既に心拍停止状態。長男はみとることはできなかったという。
紳助は、竜助さんが倒れた22日は沖縄にいたが、奥さんからの電話で一報を受け、翌23日に大阪の病院に駆けつけた。「手握ったら、握り返してくれた気がしたんやけど、もう脳死状態やった。今思えば錯覚やった」。大粒の涙を流しながら、その時の様子を話した。「竜と50歳なったらやろう言うてた。おれ、あと6時間で50歳やった」。見舞ったのは23日午後6時ごろで、紳助は24日が50歳の誕生日だった。紳助は親友の明石家さんま(50)にも電話で相談しながら、3回、見舞ったという。
紳助と竜助さんは、85年の解散まで実質的に8年間コンビで活動。漫才ブームに乗り大活躍した。解散後、紳助は成功し、竜助さんは98年に事業に失敗し、1億2000万円の負債を抱えて自己破産した。竜助さんを「戦友」と呼ぶ紳助は「僕と出会わんかったら売れへんかったから、普通の人生あったんちゃうか。売れてプレッシャーなって、生き急いだんちゃうか。真剣に悩んでる」とやりきれない思いをこぼした。
紳助は「師匠」とも尊敬する上岡龍太郎さんが余力を残して引退し、第2の人生を歩んだことに共感し、親しい人に「オレも時期が来たらテレビを離れる」と漏らしていた。その構想に竜助さんとの漫才復活もあった。「ネタ合わせで怒られんの嫌やから寝てんのかと腹立ってきて…。今はアホ、ボケしか言うことない」。約束を果たさず旅立った竜助さんにみせた怒りが、悲しみの深さを物語った。
竜助さん波乱の49年、自己破産も
激しく駆け抜けた49年だった。元タレント松本竜助さんは大阪市内の高校を卒業し、食品会社に就職したが退社。75年、紳助と出会い、漫才師を志した。漫才ブームに乗り、リーゼントにつなぎのファッションでネタを繰るスタイルが「ツッパリ漫才」と呼ばれ、大人気となった。
天才肌の紳助は「おれは10回やったら8回は手え抜くけど、竜助はいっつも全力やった」と振り返る。竜助さんはせっかちな性格で、早口で聞き取りづらいことが多く、けいこでも失敗が多かった。しかし、紳助が怒ると、翌日にはしっかりネタをマスターしてくるなど努力家だった。
人気絶頂だった85年にコンビを解散すると、竜助さんは喫茶店、居酒屋、アダルトビデオ制作などを手がけるが失敗し、98年に自己破産した。それでも相方への思いは変わらなかった。紳助は「おれの悪口言ってんの聞いたことない。いっつも『おれが紳助の一番最初のファンや』『紳助は天才や。売れると思ってた』言うて、自分のことのように自慢してた」と話す。
破産後は風俗リポーターやビデオ映画などに出演し再起を図ったが、紳助から生活の様子を聞かれると「大丈夫や」と言い張ったという。紳助が女性社員への暴行事件で謹慎した時には何度も紳助の自宅を訪ね「お前はおれとは違う天才やから大丈夫や」と励ましていた。
人生の絶頂を象徴したつなぎの衣装や、再結成に備えて1年前に新調した白いつなぎは、大切に自宅に保管されていた。
関係者悲しみの声
タレント山田邦子(45) 「ひょうきん族」で初めて1人、お別れになってしまいました。あの通りの優しい方で、慣れていない私にいつも声を掛けてくれました。やっとみんなで集まれるかなというような時期が来ただけに残念です。もう1度「紳竜」を見たかったです。
オール巨人(54) 2日前に竜ちゃんの夢を見ました。思い出が多すぎて、次から次へと出てきて、悲しみが増してきます。
オール阪神(49) 竜ちゃんとは同期みたいなもんで、昔はよく遊んだ記憶があります。漫才ブームという戦国時代の中を生きてきた友人が1人でも減るととても寂しいです。
ザ・ぼんちのぼんちおさむ(53) 漫才ブームで一緒に競い合った戦友でした。紳助と「50歳になったらやる」と言っていたし、楽しさもしんどさも知ってたから、竜助も再び漫才をやりたかったんでしょう。
西川のりお(54) 弟が亡くなったような気がする。あいつのことをもう注意もできない、怒ることもできない、ケンカもできないと思うと悲しくなる。おれの家で「将来、売れてスターになろう!」という話を朝までしゃべって、翌朝寝坊して花月の舞台に遅刻したことは忘れないよ。
B&B島田洋七(56) 芸人になって一番ショックな出来事でした。今日も舞台で漫才をしながら、頭の中ではずっと竜助のことを考えていた。芸人だから売れる時期も売れない時期もあるけど、もうちょっと頑張って欲しかったね。普段は冗談ばかり言っていたが、紳助と2人で「兄さん」と言って僕の後についてきた。とてもかわいい後輩でした。
- ◆松本竜助
- 1956年(昭和31年)4月6日、徳島県生まれ。75年、松本竜介として島田紳助と出会う。78年、NHK上方漫才コンテスト優秀敢闘賞など受賞。ビートきよし、島田洋八らで「うなずきトリオ」を結成したことも。85年にコンビを解消し「竜助」に改名。自己破産後、新聞詠(よ)み河内家菊水丸に弟子入りし「ピンポン丸」を名乗ったことも。02年、長男と「M-1グランプリ」に出場。家族は妻と1男1女。
- ◆葬儀日程
- ▼通夜 2日午後7時半から大阪市北区長柄西1の6の14、大阪北玉泉院で
- ▼告別式 3日午後2時から同所で
- ▼喪主 妻松本妃加子(ひかこ)さん