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2011年3月20日

日系人に「こころの日本遺産」を見る

 先日、韓国へ行って驚いた。町に日本語があふれている。そういえば日本国内でも韓国語、中国語があちこちに見える。昔と違って国境がなくなってきたんだね。でも先人たちは異郷の地で苦労した。そんな面影を探して「日系人に『こころの日本遺産』を見る」-。

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「桑港金物」の屋号がいい。うま、ふね、せみ…カルタのようだ(米国・サンフランシスコ)

通底するのは“GAMAN”の心

 シリーズで取り上げてきた「こころの日本遺産」は、地図上の日本だけにあるものでもない。日本町、日系人社会という、日本からの移民が築いてきた、もう1つのれっきとした日本が海の向こうにあるのだ。
 そんな“外地”には、思いがけない「こころの日本遺産」が宝の山のようにザクザク…とまではいかないが、“内地”の日本では見られない“日本の遺産”があっても不思議ではない。
 20代の前半、日本が大阪万博に沸くころ、生家である教会を継ぐ事由で、不本意ながら広告会社を辞めて米国へ行く羽目になる。神学校なるカレッジに入学、学生に逆戻りという様である。ところは南カリフォルニアの、退屈を絵に描いたような田舎町。嫌いな授業と雑役労働奉仕に明け暮れ、アルコールもスモーキングもNGという、忍従の全寮制軟禁生活である。
 かつて、自分が描いていたアメリカの自由とは真逆の日々。1年も経たず逃げ出すのだが、その間、唯一の慰めと憩いは-日系2世が営む近隣のジャパニーズ・レストラン「Okuda」だった。ほっぺが落ちそうなほど美味な日本食を丼メシでむさぼるようにいただき、大将と将棋を指したり、女将(おかみ)ママには肩をもんでもらうように英語のツボを教わったり…やさぐれた心身にエキスが注がれる、それは砂漠の中のオアシスだった。

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「一世女性たちが残したもの」…継承される移民女性の日本遺産(米国・サンフランシスコ)


 1ドルが長らく360円だった時代である。日本からの所持金90ドルと、こっそり学外のバイトで稼いだ小金を使い果たしての退学、そして逃避行。裸一貫、無一文で転がり込んだ羅府(ロサンゼルス)でも、世話になった日系人の恩は忘れられない。日本町で出会った日系ファミリーは、ハンバーガーを腹一杯食べさせてくれて、後に移った桑港(サンフランシスコ)では、日系教会のカウチで寝かせてもらい、日本食堂の皿洗い職を得るまで食いつないだ。付け加えれば、国際結婚された戦争花嫁の慈悲に満ちた施しには、感謝し尽くせない。
 顧みれば、米国で生きていく上で、現地の文化に順応することで精いっぱいだった。それだけに日本人であることを意識する暇はなく、むしろ母国を排除することに苦慮した。そんな中、困窮した時の神頼みが同胞の日系人であったことが、時の流れとともに記憶の底から恥じ入るように湧き上がる。
 およそアメリカ人からは甘美と辛酸を余儀なく享受したが、日系人からは果報なことに有形無形の扶助しかいただいてない。第2次世界大戦時の日系人の強制収容という不条理な悲劇を乗り越え、アメリカ社会への同化と地位向上に尽くした、という史実。その軌跡がいばらの道だっただけに、頭が下がるのみである。
 折につけ、映画やテレビで取り上げる日系移民物語でも見られるように、通底するのは“GAMAN”(我慢)の心である。いみじくも日本にいる日本人が日常、とかくないがしろにしている言葉ではないか。
 それはまた“大文字”の歴史からこぼれ落ちた、異邦の地にひっそりと息づいて明滅するもの。国籍は米国でも、望郷のかなたに日本人としてのアイデンティティーに渇き希求する“こころ”であって、それこそがかけがえのない「こころの日本遺産」ではないか。

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二世、三世の美女連が「リトルトーキョー」の大通りをパレード(米国・ロサンゼルス)


 1970年、あの三島由紀夫の自決に居合わせなかったが、没後40年の「無縁社会」のいま、氏の残した日本の行方を憂える予言が殊のほか響く。「このまま行ったら“日本”はなくなって(中略)無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう」。
 日系人の生きようを見て、胸に手をあて省みたく思う。【ピート小林】


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神輿に日本男児の血が騒ぎ、大和撫子のハートが萌える―夏祭り(米国・サンフランシスコ)


バーガーよりうまかったビーフボール

 1986年(昭61)1月の終わり、私は仕事で米・ロサンゼルスにいた。
 小雪まじり。寒い。2月1日からの海外キャンプを取材するためで、この地は3度目だった。空港で、頼んであったドライバーと合流、ホテルへ向かった。明日はフロリダへ行かなければならない。
 「アメリカにも吉野家があるよ。ロスでの1号店だったかなぁ。確かこの辺りにある」
 車はダウンタウンをめざし走った。街中のマンホールの蓋(ふた)から蒸気が漏れ、すえた臭いとともに白い噴煙を巻き上げている。
 「雪も降ったからね。暖房につかうスチームの調節弁から漏れてくるのさ」。
 「食いたいな」。
 「?…」。
 「牛丼…」。
 ドライバーが噴き出した。何を物好きな、いつも日本で食っているだろう。そう言いたげだったが、手慣れたハンドルさばきで車はビルの路地を曲がった。
 「ただし、駐車は出来ない。信号待ちだって車を止めれば(強盗に)襲われる。徐行するから、その間に食ってこいよ」
 前方に見慣れたオレンジ色の看板が見えてきた。
 「ビーフボウル(牛丼)! グッドラック!」
 私が牛丼を食べている間、ひと回りしてくる、と言う。時間にしてせいぜい10分程度。その間に牛丼をたいらげ、再び徐行中の車に飛び乗れ、というわけだ。
 「了解」。
 車から飛び出し、店に飛び込む。人はまばらだ。オレンジ色のネオンサインが、路上の雪に反射して、入り口近くのカウンターを赤く染めている。1杯、いくらであったか。注文してすぐに牛丼は出てきたが、半分も食べないうちに背中でクラクションが鳴った。プラスチックのフォークを放り投げ、店を出た。
 ドライバーが聞いてきた。
 「米国製ビーフボウル。お味は?」。
 「バーガーよりうまい」-。【石井秀一】

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「顔はめ人形」のルーツは日本、チャンバラは日系人の心の故郷(米国・サンフランシスコ)


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ピート小林と歩く こころの日本遺産
ピート小林(ぴーと・こばやし)
 前世紀生まれ。駐留軍基地と米国で肉体労働者、バーテンダー、Brooks Brothers勤務などの後、広告業界へ。ME博報堂、電通などを経て独立。コピーライターでもあり、“さくらストーカー”の異名で桜前線を酔狂に追い、“ノスタルジジィ”の異称で「こころの日本遺産」を撮る酔眼カメラマンでもある。チープシックが金科玉条で「青春18きっぷ」のヘビーユーザー。青山学院大卒、サンフランシスコ・アート・インスティチュート写真科中退。著書に「アメリカ語トレーニング」(主婦の友社)「股旅桜」(日本カメラ特別付録)「美人のひと言」(PHP・英語ナビゲーター)「にっぽんお宝桜撮影行」(枻文庫)「北海道さくら旅」(北海道新聞社)。近著の全国の案山子(かかし)を訪ね歩く写真集「カカシバイブル」(東京書籍)は好評発売中。ホームページはこちら。
石井秀一(いしい・ひでかず)
 1953年(昭和28)、東京生まれ。78年、日刊スポーツ入社。80年秋、野球部へ異動。長嶋解任直後の巨人を担当、その後横浜大洋(現横浜)担当を経て、巨人担当キャップ、遊軍記者を歴任。野球デスク、野球部長、編集局次長。昨年より編集局文化社会部編集委員。

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