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2011年2月27日

“旧町名”で暮らそうぜ、日本人

 戦前の町名は味があった。町名を聞くだけで、その町がどんなところか理解できたのである。職人町であるのか、門前町なのか、商人町なのか。ひとの息遣いが確かに伝わってきたあの町名、どこへ行った。ってな訳で今回は「“旧町名”で暮らそうぜ、日本人」。

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萬町二→万町? 判じ物のような表示板にぞっこん(栃木県栃木市)

忽然と消えた地名 あれれ、ここはどこ?

 喉元過ぎれば何とやらで、あれだけ物議を呼んだ「平成の大合併」も終了してほぼ1年、この国は川の流れのように時が過ぎていく。
 全国の市町村が半分近くに減少、さまざまな地名が消えては、生まれた。そのはざまで揺れ動き、また翻弄(ほんろう)されもした住民にとって苦渋の合併劇だったはずだが、時間が消しゴムの役を果たしたのか、表向きは何事もなかったかのようである。そこが、なんとも怖い。
 桜や案山子(かかし)をはじめとする「こころの日本遺産」の採集で、まず列島をスタコラ歩く。すると市町村の名が、あれれ何の脈絡もなく変身しているのにあぜんとしては、往生する。いっときは新・市町村名リストの新聞切り抜きを律義に携行してたが、どこかに霧散してしまいお手上げである。 
 地図を見ながらせっかく覚えた難読な地名や、旅枕で知った由来ある土地が、忽然(こつぜん)と消えうせている。「ここはどこ、私はだれ?」状態に陥っては、なぜまた? と首をかしげるような新ネームが澄まし顔でデンと居座っている。権力にはアンチであまのじゃくの気がある輩、いっぺんに居心地が悪くなって、そんな所からは早々に退散する。

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「住所の一部です」の郵便番号は036-8193でした(青森県弘前市)


 多くは市の名だが、あえてここで取り上げるまでもなく誇大呼称どころか不当表示だったり、病膏肓(こうこう)の中央願望だったり、利権がらみの捏造(ねつぞう)だったり…いやはや何とも情けない国である。幸いにもボツになった好例として、太平洋市(千葉県)、南セントレア市(愛知県)が挙がるが、誕生した新名とてこれらと大同小異に思える。住民は他人の嘲笑を待たず、さぞ恥ずかしい思いをしているのでは、と同情を禁じ得ない。
 地名の専門家の弁を借りれば、「日本列島は世界で最も濃密に歴史的・伝統的地名が多数残されている地域で、人類共通の文化遺産」であるそうだ。これ幸いとばかり意を強くして、慣れ親しんだ旧地名をあえて使っては“変人”扱いされたりする。世の中には旧暦で暮らす風雅な人がいるように、旧地名で暮らす人間がいてもいいはずである。思えば、昭和の大合併で由緒ある町名が消え、一斉に味気ない“丁目”になった記憶がある。従順だけが人の道ではあるまい。そんな人間の生の声と叫びをもっと発露させたい、と思う。

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界わいの町名表示板は竹の香りがする、昔町・竹原(広島県竹原市)


 地名だけでなく駅名だってそうだ。江戸では、東京スカイツリーの12年春の開業に合わせ、玄関口の「業平橋」駅が「とうきょうスカイツリー」駅に改称されるという。平安の歌人・在原業平に由来、80年近く親しまれた名なのにである。また周辺の複合施設の名は「東京スカイツリータウン」だという。節操のない国・ニッポンなのだが、おいおい、いいかげんにしてくれである。
 奥歯にものが挟まったような気分で、しがないトボトボ歩きを続ける。留飲が下がるのは、地名を大切にしている町名表示板に出くわすときだ。横町の角を曲がった出合い頭なんかだと、ウキウキ後ずさりしてもう1度やってみたくなる!
 町名案内図も、そういうたぐいだ。商店名だけでなく民家の個人名までが詳細に記された地図を見つけると、拍手したくなる。はげかかっていたり、風雪の年月を感じさせて、当節の個人情報ウンヌンなんてくそ食らえである。昔の人はこの図を頼りにして歩き相手方を訪ねたのだろう。そんな地域住民の要望があがめられ遺産として残してあるのだろうか。もし自治体がこうした看板をおとがめなしとしているのであれば、近来まれな快挙と言いたい。
 時は、早春賦。列島のそこかしこでかくれんぼしている日本の誇れる光景を、いち早く見つけに行くのだ。【ピート小林】

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古色蒼然たる表示板があやなす、修学院離宮の路地(京都市左京区)


街の名は住む人たちの記憶に結びつく

 池波正太郎さんがエッセー「小説の散歩みち」の中で、こんな記述を残している。
 「少年のころ、私が住んでいたのは浅草の永住町であった。この町名はいま[元浅草]という、吐気をもよおすような町名に木っ端役人どもが変えてしまった」。
 池波さんが生まれたのは隅田川のほとり、今戸橋(ここも今は欄干が残っているだけで、江戸時代はこの橋の下、山谷堀から小舟で吉原に上がったのである)近くの聖天町だった。
 聖天町は今、浅草6、7丁目と表記する。浅草猿若町、浅草象潟町、浅草馬道、浅草七軒町、浅草芝崎町など消えて久しい。懐かしい町名を見かけるのは三社祭の、みこしの駒札、もしくは地下鉄の駅名ぐらいである。
 日本橋の上に高速道路を通したのも、隅田川をコンクリート張りにしたのもすべて「木っ端役人ども」のせいである。
 多くは、東京オリンピックの1964年(昭39)から66年にかけて町名が変更されている。
 時代の変革期、近代化を推し進めた結果であろうが、いかにも味気ない、無機質な町名の羅列は、行政の効率化だけがその目的ではなかったか。東京の町のことなど、これっぽっちも考えちゃいないのである。
 町名は、その町に住む人たちの記憶に結び付いている。
 「私が住んでいた浅草永住町にも<美登松>という洋食屋があって、私は小遣いがたまると、ここへ駆けつけたものである」。
 メニューに「合皿(あいざら)」というものがあったそうで、ポテトサラダとカツレツとメンチボールが盛り合わされ、そのうまさは比類がない、と書いている。
 合皿は永住町と結び付いている。その味が、町名なのである。【石井秀一】

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民家の個人名がしっかり記された案内図に惚れる(福井県越前市)


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ピート小林と歩く こころの日本遺産
ピート小林(ぴーと・こばやし)
 前世紀生まれ。駐留軍基地と米国で肉体労働者、バーテンダー、Brooks Brothers勤務などの後、広告業界へ。ME博報堂、電通などを経て独立。コピーライターでもあり、“さくらストーカー”の異名で桜前線を酔狂に追い、“ノスタルジジィ”の異称で「こころの日本遺産」を撮る酔眼カメラマンでもある。チープシックが金科玉条で「青春18きっぷ」のヘビーユーザー。青山学院大卒、サンフランシスコ・アート・インスティチュート写真科中退。著書に「アメリカ語トレーニング」(主婦の友社)「股旅桜」(日本カメラ特別付録)「美人のひと言」(PHP・英語ナビゲーター)「にっぽんお宝桜撮影行」(枻文庫)「北海道さくら旅」(北海道新聞社)。近著の全国の案山子(かかし)を訪ね歩く写真集「カカシバイブル」(東京書籍)は好評発売中。ホームページはこちら。
石井秀一(いしい・ひでかず)
 1953年(昭和28)、東京生まれ。78年、日刊スポーツ入社。80年秋、野球部へ異動。長嶋解任直後の巨人を担当、その後横浜大洋(現横浜)担当を経て、巨人担当キャップ、遊軍記者を歴任。野球デスク、野球部長、編集局次長。昨年より編集局文化社会部編集委員。

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