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企画特集


2010年9月12日

伝言板を探して…

 かつての待ちあわせと言えば「駅」であった。どこの街も平板で、特徴がなかった。だから「駅で」と指定されれば誰もが間違うことが無かった。木造の、檻(おり)のような改札口近くにいつも伝言板が立っていてた。待ち人来たらず―業を煮やした人がチョークを握り締め書き殴った。ってな訳で今回のテーマは、さまざまな感情が吐露されたあの場所、「伝言板を探して…」―。

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 伝言板は広告板の裏にひっそり。「だれも使わないので」と駅員(常磐線・北柏駅)

活性化のアイデア募集

 伝言板。スーパーなんかで見かける「子猫あげます」「家庭教師やります」みたいなものではない。駅の改札口の近くにあって、待ち合わせの目印として重用されていた、あの黒板である。その伝言板が急速に姿を消してしまった。

 ひと昔前までは、誰かと待ち合わせるのは今ほど容易ではなく、お互いに不安を抱いての約束であった。初めて会う人なら、その日の服装なんかも伝え合って、相手が異性ならキンチョーして? 待ち合わせたものだった。交通機関の遅れはもちろん、のっぴきならない用事のために、はたまた待ち合わせ日時のカン違いも覚悟に入れて。会えれば、ま、ホッと胸をなでおろしたものだった。待ち合わせそのものが、今風にいえばちょっとしたイベントであり、そんな間をとりもつモノが、駅に備え付けられた伝言板だったのである。

 「○○さん、先に行くからね」「○○時まで待った。もう帰る。嫌い!○○」…白墨で書かれた肉声のメッセージが、伝言板の役割を見事に果たしていた。そもそも「伝言」を書くことは、一方通行でしかない。一定の時間が来て消される前に、相手にどう伝達されていくのか。それは伝言板のみぞ知るロマン。究極のアナログ行為といえる。

 携帯電話の普及が伝言板を追いやった、と思いきや、どうもそれだけではないらしい。何しろ落書き大国・ニッポン。絵文字や漫画から、暗号じみたもの、それに人目をはばかる内容のものまでが伝言板に殴り書きされた始末だったらしい。明らかに伝言板の役割を逸脱したものとして、直ちに消してもイタチごっこで、業を煮やした駅員が終日、伝言板の見張りをした、という話も伝わる。


 携帯電話が理由なら泣く子も黙る時代の流れだが、落書きのたぐいが伝言板を追い払った要因となれば―この国の公序良俗を超えたやるせなさと寂しさを感ぜざるを得ない。かつてはやった声の伝言板というべき「伝言ダイヤル」とも無縁ではなかろう。電脳遊戯が駅の伝言板に伝播(でんぱ)した現象とかで、メディアの同調とかサブカルチャーとかで平然として括(くく)る識者がいるが、どうにも本末転倒で気がめいってくる。

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 阿佐ヶ谷駅の伝言板。誰からも無視されていた

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 「六時間後は消します」と、伝言なき「伝言板」(名古屋市営地下鉄・亀島駅)


 伝言板は、駅の利用者にとって「待ち合わせ」以外にも有効な使い道があるはずだ。例えば、台風で電車がストップした時などには伝達力を発揮する。駅員は拡声器で構内アナウンスをするものの、得てしてよく聞こえず詳細までは分かりにくい。代替の最寄り駅へ誘導を図られても、道順が分からない。口頭アナウンスの限界というものだ。

 例えば、伝言板に絵解き地図を描いて、刻々と変わる遅延状況をチョークで書くのはどうだろう。状況がコロコロ変わっても、黒板消しが秘密兵器だ。痕跡を残さずに最新状況を届けられる。駅員さんが総出で仮に十人力でも、伝言板なら百人力になったりするわけである。

 ―って言っても、いわば平時以外のために、駅は伝言板の撤去をやめたり復活に動いたりするであろうか。であれば、ほとんど絶滅しかけている駅の伝言板を活性化するアイデアをもっと募集したら、と素朴に思う。

 その歴史、百余年。新聞の、身内への緊急告知も担った尋ね人欄として、いわば人生劇場でもあった駅の「伝言板」。その行間には、まぎれもない人間模様があった。

 ひるがえって、「伝言」や「言付け」の大事さがいつの間にか軽んじられ、疎んじられもするこの国で、伝言板の存在意義は決して軽くない! 【ピート小林】


 

クニに帰りたい!


 駅から消えたもの、と言えば伝言板があった。

  ♪どこかに故郷の香りをのせて~

 と、歌ったのは井沢八郎だった。「上野は俺らの心の駅」で、集団就職列車は1954年(昭29)4月5日15時33分青森発上野行き臨時夜行列車から運行開始され、1975年(昭50)までの21年間、ほっぺを赤く染めた幼き就職者を東京へ送り続けた。

 駅舎の隅に必ず伝言板があって、「先に行く」「待ちあわせ場所変更」など数行の伝言に交じって、時折「クニに帰りたい」という絶叫調の文言を見つけた。欄外に「六時間過ぎたものは消します」と非情な注意書き。都会に疲れた若者の、望郷の、こころの叫びは、時間が来れば黒板消しに容赦なく抹殺される。

 携帯電話、PHS、ちょっと前まではポケベルというシロモノがはびこって、伝言板はその使命を終えたようである。JR東日本の東京本社が管轄する78駅で、伝言板が設置されているのは阿佐ケ谷駅、北柏駅の2駅だけで、ほとんど利用されていない、という。

 もっとも捨てる神あれば拾う神、の例えで小田急線下北沢駅の南口に07年、伝言板が復活した。民間非営利団体(NPO)が設置したというのがいかにも現代的だが、かつての「伝言」は「メッセージ」といった風情で、

 「マーボーナス定食 お腹いっぱい」

 「母とたこ焼き」

 と無邪気なものである。

 駅は、人との出会いの場であった。携帯電話のおかげで出会いは確実になった。「来るのやら、来ないのやら」とヤキモキすることもなく、当たり前のように人は出会い、別れてゆく。

 不確実が日常から消えて、人の交わりもまた、味気ないものになった。
     ◆
 伝言板は1904年(明37)、東海道線の新橋駅など8つの駅に「告知板」という名称で設置されたのが始まりという。 【石井秀一】

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 駅前にある、NPO団体設置の伝言板(小田急線・下北沢駅)

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ピート小林と歩く こころの日本遺産
ピート小林(ぴーと・こばやし)
 前世紀生まれ。駐留軍基地と米国で肉体労働者、バーテンダー、Brooks Brothers勤務などの後、広告業界へ。ME博報堂、電通などを経て独立。コピーライターでもあり、“さくらストーカー”の異名で桜前線を酔狂に追い、“ノスタルジジィ”の異称で「こころの日本遺産」を撮る酔眼カメラマンでもある。チープシックが金科玉条で「青春18きっぷ」のヘビーユーザー。青山学院大卒、サンフランシスコ・アート・インスティチュート写真科中退。著書に「アメリカ語トレーニング」(主婦の友社)「股旅桜」(日本カメラ特別付録)「美人のひと言」(PHP・英語ナビゲーター)「にっぽんお宝桜撮影行」(枻文庫)「北海道さくら旅」(北海道新聞社)。近著の全国の案山子(かかし)を訪ね歩く写真集「カカシバイブル」(東京書籍)は好評発売中。ホームページはこちら。
石井秀一(いしい・ひでかず)
 1953年(昭和28)、東京生まれ。78年、日刊スポーツ入社。80年秋、野球部へ異動。長嶋解任直後の巨人を担当、その後横浜大洋(現横浜)担当を経て、巨人担当キャップ、遊軍記者を歴任。野球デスク、野球部長、編集局次長。昨年より編集局文化社会部編集委員。

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