2009年7月04日
(24)石原軍団、今でも映画製作の夢

- 82年「西部警察」ニューマシン発表会で写真に納まる石原裕次郎(左)と渡哲也
「裕次郎さんなら一体どうするだろうか」。渡哲也(67)の頭の中にとっさに浮かんだのは、慕い尊敬し続けた石原裕次郎の顔だった。
2003年(平15)8月12日。石原プロが会社の威信をかけて制作に取り組んでいた連続ドラマ「西部警察2003」の撮影現場で事故が起きた。場所は名古屋。見物客5人が重軽傷を負った。都内で一報を受けた渡は決断に迫られていた。
けが人の状況を聞き、制作中止を即断した。名古屋にいる制作関係者の間には「もう少し様子を見てからでも」という意見もあったが渡は譲らなかった。「こちらで見学を許可しておいて事故に巻き込んだ。撮影の続行など考えられなかったですね」という。
裕次郎さんの顔が浮かんだのは、もう1つの決断に迫られていたからだ。「ファンに対してこれほどの事故を起こしておいて、果たして『石原プロ』を存続させていいものなのか」。渡は悩み抜いた。「裕次郎さんだったら、解散させるかも知れない」。
渡は裕次郎死去を受けて石原プロを引き継いだ。当初、同プロ小林正彦専務から社長就任を打診されたが「私はその器ではない。その度量もなければ、経営にも興味はない」と断った。それでも小林専務の再三にわたる説得と情熱にほだされて決意した。以来、生前とは別の形で裕次郎と向き合う日々が始まった。
「常に意識してきたのは石原裕次郎の名を絶対に汚さないこと。これだけは肝に銘じてきました。そしてもう1つ。大きな決断に迫られた時、裕次郎さんならどう判断するかを考えてみるということです」。
映画製作に対しても裕次郎さんの存在は今も切り離せない。没後もその遺志を引き継ぎ、常に映画製作を念頭に活動を続けてきた。
「構想はもちろん、脚本もいくつも完成させてきました。大がかりな撮影が必要なものについては、必要なものを専門メーカーに発注したこともあります」。
完成した脚本は社員全員で検討した。それでも石原プロは今も映画製作に乗り出していない。渡は「何もしていないわけじゃない。着手もした。それでもこれだと手応えを感じて前に進むことができるものに巡り合うことがなかった。我々にとって(裕次郎という)冠は、やはり大き過ぎるのかも知れません」。
模索は今も続いている。映画界の現状と自分たちの置かれた立場もしっかりと見据えながら、映画製作を夢見ている。「裕次郎さんならこんな時、どうするのだろう」。渡は今も裕次郎とともに生きている。(おわり=敬称略)【特別取材班】
◆裕次郎と渡 渡は日活入社直後、撮影所の食堂でトップスター裕次郎にあいさつに出向くと、裕次郎は立ち上がって握手を求め「石原裕次郎です。きみが渡哲也くんですか。頑張ってください」と応じ、これに渡が感激した。渡は裕次郎を慕い、裕次郎も「テツ」と呼んで面倒をみた。石原プロが映画興行の不振が重なり倒産危機と知ると、当時日活所属だった渡は貯金全額180万円を「お茶代にでも使ってください」と差し出して裕次郎を感激させた。後に渡は石原プロ入りするが、同社は立て直しのためテレビ界に進出。渡は映画への夢を抑え、裕次郎のためにドラマ出演を続けた。2人の誕生日はともに12月28日。
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