2009年6月27日
(19)友和に「裕ちゃんでいいよ」

- 左から三浦友和、1人おいて舘ひろし、山口百恵さん、神田正輝
「迷惑が掛からなければいいけど」。三浦友和(57)は夫人の百恵(50)を連れて石原裕次郎の別荘に向かっていた。1983年(昭58)1月、ホノルル。年末からCM撮影でマウイ島に滞在していた。結婚4年目の夫人を同行させたことでマスコミから追いかけられ、行く先々で人だかりもできた。同時期ホノルルにいる予定の裕次郎から「遊びに来いよ」と誘われた。空港でも報道陣にキャッチされ、友和が対応した。あわただしさを感じながら、2人は裕次郎のコンドミニアムに到着した。
部屋は高層タワーの上層階。ドアを開けると眺望に圧倒された。夕日を浴びながらソファに座る裕次郎。「ガラス窓が映画のスクリーンのように大きくて、そこから夕日が差し込む。裕次郎さんが輝いてみえました。どこまでもスターだなって」。友和も当時出演していたドラマ「西部警察」に出演中の石原プロの俳優がそろっていた。渡哲也(67)をはじめ妻が同伴している俳優もいた。百恵は裕次郎と初対面。察した裕次郎夫人のまき子が声を掛けた。「さあ、こっちに座って」。百恵に笑みがこぼれた。渡の妻も百恵に話しかける。「石原軍団の中に僕ら夫婦が突然入ってきたようなもの。妻はみなさんと面識がなかったので緊張していましたが、随分気を使っていただきました。おかげで随分リラックスできました」。
ワイワイとなごやかにお酒を楽しみ、記念撮影も撮り合い、3時間ほどで散会した。三浦夫妻は「何もなくて良かった」と安心しながら帰路についた。
友和は前年82年スタートの「西部警察PART2」で裕次郎と初対面した。全国縦断ロケでは、病み上がりの裕次郎も週に数日参加した。石原プロの俳優やスタッフは裕次郎を「社長」と呼ぶ。友和は「僕にとって雲の上の人。石原さんと呼ぶのも違和感があった」。周りにならい「社長」と呼ぶと、裕次郎は「友和、社員じゃないんだからそりゃ変だろ」。そこで「どうお呼びすればいいのですか」とたずねると「裕ちゃんでいいよ」。「それは無理ですよ」と困り顔の友和を見て、裕次郎はニコッと笑った。「結局社長と呼びました」。
全国各地の大規模ロケでは撮影隊はどこでも歓待された。「通常のドラマの3倍以上のスタッフが大がかりなことをやる。普通は嫌がられるが裕次郎さんの冠があるとどこでも受け入れてくれる。やっぱりすごいなと思いました」。
裕次郎死去から16年。その生涯を描くドラマ「弟」の裕次郎役の出演依頼が届く。「あのカリスマ性や大スターであることは演技で表現できるものではありません」と断ったが、尊敬する渡に説得され、出演を決意。悩みながら演じたが、作品を見たまき子から喜びの言葉とシャンパンが届いた。演じて感じたことがあった。「裕次郎さんは世の中を明るくするため、お前が必要なんだと役割を与えられて生まれてきた人のような気がしてなりません」。(敬称略)【特別取材班】
◆裕次郎と六本木 戦後の東京を代表する繁華街は銀座だったが、57年ごろに六本木のクラブやバーが日本人を相手にするようになり、裕次郎も同地へ通い始めた。流行に敏感で、六本木族の草分けだった。俳優赤木圭一郎や、「ザ・スパイダース」のメンバーかまやつひろし、落語家林家三平(初代)らが遊び相手だった。焼き肉店などで、裕次郎が豪快に飲食する姿が見られたという。
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