2009年6月26日
(18)藤・妻孝行の陰に天国の目

- 60年9月 映画「あした晴れるか」の撮影ロケを行った石原裕次郎と芦川いづみ
石原裕次郎に日活の重役を説得してもらい、芦川いづみ(73)との結婚を導いてもらうほどの間柄だった藤竜也(67)は、日大在学中に日活の関係者にスカウトされ、62年に俳優デビューした。7歳年上の裕次郎は「嵐を呼ぶ男」(57年)などの主演映画がヒットし、日活の看板スターとして君臨していた。
「石原さんの映画はよく見てました。立っているだけで、存在感があった。その時代の青年の香りがしました。僕が俳優になった後、どこかで石原さんのマネをしちゃう。一番光り輝いているから。それは完全な間違いでした」。
裕次郎にあこがれていた新人俳優に、出会いのチャンスが訪れた。アクションの練習で所属した技闘部の忘年会に出席。後輩の面倒見が良かった裕次郎も参加し、盛り上がった。
「他の仲間と一緒に呼んでもらって、末席に座っていた。その時に初めて石原さんと会いましたね。あんまり身近にいるんで、緊張して、興奮して、悪酔いしちゃった。ひどく酔っぱらって、気が付いたら、石原さんのお宅にいた。泊めていただいたんですよ。早朝にこそこそっと帰って、撮影所で平謝り。みんなに笑われましたねえ」。
恐縮しきりの一夜を経て、大スターとの距離は一気に縮まった。共演時には、撮影所から裕次郎を自身の車の助手席に乗せ、自宅に送り届けて、一緒に飲んだ。横浜まで車を飛ばしたこともあった。
「最初の出会いがあってから、とてもかわいがってくれた。成城の家によく呼んでくれて、『タツ、ウチに来て日光浴しろよ。プールで泳げよ』ってね。飲みに行く時は『お前が運転しろ』って言われて、僕のブルーバードに乗ってもらった。石原さんは運転手付きの高級車で通っていたけど、そういうのは好きじゃなかったみたい」。
69年公開の映画「嵐の勇者たち」で共演したのを最後に、裕次郎は石原プロでの活動に集中。藤との交流は少なくなった。
「石原さんの結婚記念日(12月2日)に毎年やっているパーティーに、家内は昔から行ってましてね。石原さんが『タツはどうした? 元気か?』って言っていたと聞くと、なんか緊張しちゃう。新人だった昔と同じですよ」。
芦川は日活の看板女優として、裕次郎や妻まき子と共演。藤も裕次郎と一緒に映画9作品に出演したが、70年代以降はスタジオですれ違い、短くあいさつする程度だった。「申し訳なくて、ごあいさつに行かなきゃ」と思いつつ、裕次郎が亡くなる数年前にようやく自宅へ訪問。会うのはこれが最後になった。
「その時に写真を一緒に撮らせてもらって、今でも家に飾ってあります。僕ら夫婦が一緒になる時、お世話になりましたからね。妻を大事にしなきゃ、天国の石原さんにぶん殴られるよ(笑い)」。裕次郎に代わって助手席には芦川が座り続けた。夫妻は昨年、結婚40周年を迎えた。(この項終わり=敬称略)【特別取材班】
◆裕次郎の酒豪伝説 慶大在学中、友人2人と熱海へ旅行に出かけ、居酒屋に入った。話が弾み、次々とビールを注文。数時間飲み続け、店を出る時にビール瓶の本数を数えたら、43本だったという。裕次郎はビールも好んだが、ビール党というわけでもなく、日本酒をはじめ、ワイン、ブランデー、ウイスキーなど好き嫌いなくアルコールを楽しんだ。深酔いして乱れた姿を見た人はほとんどなく、常に明るい酒だったという。
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