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2009年6月25日

(17)藤・芦川の結婚取り持つ

61年7月 映画「あいつと私」の撮影を行った石原裕次郎と芦川いづみ
61年7月 映画「あいつと私」の撮影を行った石原裕次郎と芦川いづみ

 62年に日活からデビューした藤竜也(67)は、7歳上の看板スター石原裕次郎にかわいがられた1人だ。妻芦川いづみ(73)は裕次郎の相手役で人気者になり、日活を支える看板女優だった。その後、ダンディズムを象徴する名優として活躍する藤も、出会ったころは撮影の時には大部屋にいる駆け出しだった。映画界では同じ会社のスター同士の結婚ですらタブーとされていた時代。そんな“格差婚”が日活に許してもらえるわけがない。藤の悩みは深かった。

 「僕とは全然違って、家内は雲の上の人だった。それでも好きになっちゃった。僕が簡単に『スターの女優さんと結婚したい』と会社に言っても、ややこしいことになる。結婚は決めたんだけど、どうしようかな…と思っていた」。

 ある日、裕次郎に「付き合っている女の子はいるのか?」と聞かれた。芦川と正直には言えない。苦し紛れに「いないこともないんですけど…。大学生です」と答えたが心苦しかった。

 「石原さんにウソをつくのは嫌だった。数日後、事前連絡なしに、昼間に石原さんの家を訪ねた。石原さんはまだ寝ておられたので、お庭で日光浴をしながら待った。そのうち起きてきて、いづみさんのことを話しました。『反対されるかな、怒られるかな』と思ったけど、石原さんは『良かった、良かった』って喜んでくれて。夜中まで一緒に飲みました」。

 あらためて芦川と2人で裕次郎に会うと、裕次郎は「よし、オレに任せろ。タツは何も心配しなくていいから。オレがちゃんとしてやるから」と励ました。自分も60年に共演者の北原三枝(現石原まき子)と結婚する際、スター同士のため会社に猛反対された。それでも、2人で数週間米国に脱出するという強硬手段で認めさせた経緯があり、人ごととは思えなかった。

 約1週間後、藤は裕次郎から『今日、タツ来い』と連絡を受けた。芦川と裕次郎宅を訪問し、しばらく玄関横の小部屋で待機した。呼ばれて別室に入ると、日活の重役陣が並んでいた。

 「僕の結婚の件だけで呼んだのか、別の用事があったのか、分かりません。石原さんが『芦川いづみさんとタツがこういうことになったから、よろしく』と一言。重役の皆さんは、何も言いませんでした」。

 藤夫妻の結婚式は68年、都内の日活ホテルで行われた。裕次郎は藤にタキシードを贈るなど、最後まで面倒見がよかった。

 「仲人は別の方でしたけど、石原さんが段取りとか、全部やってくれました。結婚費用は、僕の貯金の中でやりました。お金がなかったから、食事はサンドイッチと鶏の空揚げなどを出しただけでした」。

 俳優と女優の挙式としては地味だったが、底流には裕次郎の生き方があった。

 「僕も強情なところがあるし、突っ張るのは平気。そういうのは、石原さんから教わったような気がする。『(結婚式は)自分でできる範囲でやればいいんだ』ってね。直接言われたわけじゃないけど」。(敬称略)【特別取材班】

 ◆裕次郎と赤木圭一郎 赤木は58年(昭33)に日活第4期ニューフェースとして入社。同年に裕次郎主演「紅の翼」に出演。59年「若い川の流れ」など裕次郎映画に出演後、宍戸錠を敵役にした「拳銃無頼帖」シリーズでスターに。裕次郎は同じ湘南育ちもあって赤木をかわいがり、自宅にもよく泊めた。赤木は61年、裕次郎が志賀高原でスキーをして骨折し入院した慶応病院に見舞いに訪れた2日後、日活撮影所内でゴーカートを運転中に事故死。21歳だった。


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