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企画特集


2009年6月24日

(16)ボスが看取ったのはゴリだけ

82年9月、「太陽にほえろ」10周年パーティーで談笑する竜雷太(左)と石原裕次郎
82年9月、「太陽にほえろ」10周年パーティーで談笑する竜雷太(左)と石原裕次郎

 日本テレビの刑事ドラマ「太陽にほえろ!」が1972年(昭47)から始まった当初からのキャラクターだったゴリこと石塚誠巡査長が、ついに殉職する日がやってきた。12年目のことだった。

 ボスこと藤堂捜査一係長を演じた石原裕次郎に竜は、テレビには長く出続けることが大切と言い、結果、「太陽に-」は世代を超えた人気番組に成長した。裕次郎は竜に感謝の気持ちを持っていたのかもしれない。ゴリの殉職シーンでは、ボスが救急車に一緒に乗り込み、最期をみとったのだ。多くの刑事が殉職したが、ボスがみとったのはゴリだけだった。

 竜は「殉職は僕にとっての卒業のようなものでしたから、ボスにはうれしく卒業します、と言いました。私の殉職シーンだけボスが付き添って、みとってくれたことは私の自慢です。本当にうれしかったです。もちろん、岡田プロデューサーをはじめとした方が、どういう殉職にするか決めるわけですが、ボスが芝居で気持ちを見せてくれたのかもしれません」と話す。

 ドラマを企画し、裕次郎に出演交渉し、かかわり続けた岡田晋吉プロデューサーは「石原さんも竜君には何か思うところがあったのだと思います。制作サイドも『太陽にほえろ!』を支えてくれた竜君にお礼を言いたい気持ちを強く持っていました。番組も2時間に延長して『特別番組』としました」と言う。裕次郎は寡黙で、感謝の気持ちを雄弁に語るタイプではない。竜が言うように芝居で、竜の卒業を祝福してくれたのだ。

 最初は渋々テレビの世界にやってきた裕次郎だったが、貪欲(どんよく)に、しかしスマートに、ドラマ制作のノウハウを吸収していった。

 「ボスはいつもにこにこ笑ってて、『今度の台本はどんな話だ?』なんて聞いたりするんだ。でも、本当は全部知ってた。セリフは現場で覚え、台本は読んでいない、なんて言われたけど違うよ。そうやっていろんな人に語らせて説明させることで、台本をどう作って、どこを直せばいいかを研究していたんですよ。研究熱心で、頭のいい方でしたから、脚本、撮影、お金をどこにどう使うかなど、自分で学んだ方法を、石原プロに投げ掛けたりもしたんでしょうね」。

 81年に解離性大動脈瘤(りゅう)で手術したのを最初に、「太陽に-」の後半は、裕次郎にとっては病との闘いでもあった。竜をはじめ出演者たちには、どっしり構えていたボスの不在はこたえた。「(入院中の)ボスに会いに行くと迷惑かなと思ってましたが、今思うと甘えておけばよかった。何を話すというのではないですが、あの方の大きさに触れていたかった。亡くなってからも存在が消えることはないです。まさにボスでした。いつか乗り越えてやる、なんて存在ではないんです。いつまでもこの差は埋まりません」。

 竜は今でも裕次郎を「ボス」以外の呼び方では呼べない。(敬称略=この項終わり)【特別取材班】

 ◆裕次郎と元祖会 大学時代に湘南で一緒に遊んでいた仲間15人で結成した。裕次郎は、のちの若者たちの代名詞「太陽族」の象徴として知られるが、「太陽族のもとになったのはおれたちだから」と仲間を集めて元祖会と名付け、年に何回か集まって飲み会を開いたり、ゴルフを楽しんだ。そろいのブレザーも作り、ポケット部分には「元祖」と刺しゅうを入れた。裕次郎は元祖会について「忘れることのできない青春の思い出」と語っている。


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