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2009年6月17日

(11)松方「初対面でいい思い出」

自宅の庭でトレーニングする石原裕次郎をいたわるまき子
自宅の庭でトレーニングする石原裕次郎をいたわるまき子

 松方弘樹(66)は、あこがれだった裕次郎と初めてあいさつを交わした日、いきなり自宅にまで連れて行かれた。そして、何杯ものグラスを開け朝まで飲み明かした。

 忘れもしない66年12月のことだった。東京・千代田区にあった日活ホテルのバーで1人酒を飲んでいた松方に、遠くから「おーい、おーい」と呼ぶ声がした。「シルエットからすごく姿形のいい人なのは分かった。でも照明が暗くて顔が見えない。誰だろうと思いながら近づいたら裕次郎さん。そりゃ、びっくりしましたよ」。当時は所属する映画会社ごとに活動が制限される五社協定が存在した。東映の松方と日活の裕次郎とでは仕事上の接点は一切ない。「お前、暇か?」「はい」「そうか。じゃ、おれの家に行こう」。戸惑いや遠慮の生まれる余地さえない。24歳の松方はすでに大スターだった8歳上の裕次郎の言葉にただ従った。

 東京・成城の自宅に到着すると、約10段の階段を上った玄関先で5年前に結婚したばかりのまき子が出迎えてくれた。「階段の下からパーンアップして、最初に視界に入ったのが足。うわー、まっすぐできれいな足だなと思って階段を上がったら北原三枝(まき子の女優名)だった。当時の日本人からすると破格のスタイルですよ」。松方は「せっけんのにおいのする女が好きだ」と裕次郎が言っていたのを覚えている。「小またの切れ上がった、まさに言葉どおりの女性が目の前にいたマコ姉ちゃんでした」。

 愛用のソファに寝そべり、まき子のひざ枕でいつものブランデーを口にする裕次郎。BGMに流れたのは、レコーディングを終えたばかりの「夜霧よ今夜も有難う」と「粋な別れ」だった。「お前、どっちがいい?」。そのころ、レコード会社テイチクでは、どちらの曲をA面にするかで意見が割れていた。松方は「『夜霧-』の方が歌いやすいけど、『粋な-』の方が好きです」と感想を口にした。翌年2月にA面を「夜霧-」にして発売されたレコードは、わずか数カ月で100万枚を突破する大ヒットになった。

 グラスを手に、ときおりうとうとする裕次郎。まき子が「裕ちゃん、風邪をひかないでね」と優しく声をかける。松方も「そろそろ帰ります」とまき子に小声でささやくと「おいお前、もっと飲め」。目を覚ました裕次郎が引き留めた。そんなことを何回か繰り返しながら、気がつくと夜が明けていた。松方が裕次郎の生前、自宅を訪問したのはこれが最初で最後。「歌のタイトルじゃないけど、裕次郎さん、初対面でいい思い出をありがとうです」。(敬称略)【特別取材班】

 ◆松方弘樹(まつかた・ひろき)本名・目黒浩樹。1942年(昭17)7月23日、東京都生まれ。高3で父の近衛十四郎が所属する東映に入社。同年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でデビュー。以来、数多くの時代劇、任きょう映画に主演。テレビは「名奉行遠山の金さん」「刑事貴族」「HOTEL」など。映画監督としては03年に「OKITE・やくざの詩」を手掛けた。プロデューサーとしては「蔵」で95年度日刊スポーツ映画大賞石原裕次郎賞を受賞。今年はNHK大河ドラマ「天地人」で徳川家康役、映画「THE CODE」「TAJOMARU」に出演。血液型A。

 ◆裕次郎と洋服 10代のころからおしゃれに興味を持った。父親のスーツを自分の寸法に仕立て直し、革ジャンを着こなした。自ら洋服のデザインを手掛け、襟やポケットの形、裏地まで的確に指示したという。専属デザイナーに発注した洋服は、5000着以上。結婚式やステージ上の衣装など、大量の洋服の収納場所に困り、自宅の屋根裏を改造して、ガウンやセーター類を並べていた。


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