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2009年6月12日

(9)宍戸と「チャンユー」「チャンジョー」

日活のニュー・ダイヤモンドライン。左から石原裕次郎さん、小林旭、赤木圭一郎さん、和田浩治さん、宍戸錠
日活のニュー・ダイヤモンドライン。左から石原裕次郎さん、小林旭、赤木圭一郎さん、和田浩治さん、宍戸錠

 宍戸錠(75)は石原裕次郎との出会いを、今でも鮮明に覚えている。

 1954年(昭和29年)、中断していた映画製作を再開した日活が新人俳優を公募した。宍戸はオーディションで入った「ニューフェイス」1期生だった。2年後の56年、日活撮影所の食堂に、足の長い男が入ってきた。裕次郎だった。

 「ジーンズとサンダルでふらっと入って来た男がいたんだ。すーっと近寄って来て『ジョーさんですよね!』って。俺は『あっ、はあ…』という感じだったよ。驚いたね」。

 同世代とはいえ、2年先輩だ。堂々とあいさつしたことに驚いた。しかも「ジョーさん」と、気安い呼び掛けをした。しかし、宍戸は裕次郎に嫌悪感を抱くことはまったくなかった。明るくて伸びやかな裕次郎を、すぐに好きになった。「チャンユー」「チャンジョー」と呼び合った。宍戸は「あいつはちゃんと、日活にどんな若手俳優がいるか、下調べをしてたんだと思うよ。分かってたんだ、どうあいさつして、どう親しくなるかって」と、堂々とした中にある礼儀正しい部分を見ていた。

 撮影現場でも、裕次郎の伸びやかさと細やかさが見られた。宍戸が初めて演技で裕次郎とからんだのが「今日に生きる」(59年)だった。

 「あんなにのびのびやる男は珍しかったよ。監督が『5㍍歩いて、右向いて、わあっとやって、向こうにハケて』なんて、ざっくりした演出する時もあんの。でもチャンユーは、ただ歩くだけでも絵になった。本当にただ歩くだけ。でも足は長いし、スタイルはいいし、たまんないよね」。

 また、遊びに繰り出すのを、まとめたのは裕次郎だった。

 「『今夜、赤坂に行くから、この指とまれ』って言うんだ。そうすると、10人くらいがわーっと、指にとまったよ。チャンユーは、車を手配して、店に電話して…という準備を細かくやってくれたんだ。マネジャーにしてもトップというくらいの気配りだったよ」。

 毎年6月の第1土曜日、日活の俳優、女優たちが集まる。今年も都内のホテルに30人近くが集まった。宣伝マンの上松康郎(83)は長門裕之と裕次郎の出会いを振り返った。「『僕、石原裕次郎です。あなたの作品、ションベンくさい映画館で見ましたよ』って言ったんだって。すごいよね」。それでいて、打ち上げでは「スタッフのみんなに、バーテンさんみたいに、お酒をつくってくれるんだ」と振り返った。

 懐に入り込む親しさと、気遣いのできる細やかさ。2つの面を知ると皆、チャンユーのとりこになった。(敬称略)【特別取材班】

 ◆宍戸錠(ししど・じょう)1933年(昭和8年)12月6日、大阪生まれ。54年、日活が募集した第1期ニューフェイスに合格し日大芸術学部を中退、55年「警察日記」でデビュー。「渡り鳥シリーズ」「拳銃無頼帖シリーズ」「流れ者シリーズ」などで、小林旭、故赤木圭一郎さんの敵役を軽妙に演じ人気者に。愛称は「エースのジョー」。映画やドラマ、CM、バラエティー番組など、幅広い分野で活躍。

 ◆裕次郎とビール 「ビールは水」と言うこともあるくらい、ビールが好きだったという。撮影所はアルコール禁止が普通だったが、「ビールが飲みたいなあ」と言う裕次郎のために、日活撮影所には専用の冷蔵庫が設置された。いつもキンキンに冷えたビールが入っていて、役者たちに憩いの時間を提供していた。規則にがんじがらめにならない、のんびりした時代だったこともうかがわれる。


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