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2009年6月06日

(5)勝新と玉緒のケンカ仲裁

1982年11月29日 勝新太郎バースデーショーで歌う石原裕次郎(右)と勝新太郎
1982年11月29日 勝新太郎バースデーショーで歌う石原裕次郎(右)と勝新太郎

 その日中村玉緒は、友人と夕食をともにして帰宅した。少し不機嫌だった。午前中に夫の勝新太郎と激しい口論になった。きっかけはささいなことだった。玉緒は「では別れます」という言葉は飲み込んだものの、怒りは収まりそうもなかった。勝は「座頭市」のロケがあるため、だんまりを決め込む玉緒を置いて、そのまま京都に向かった。

 午後9時すぎだった。自宅の電話が鳴った。京都の定宿のホテルからだった。受話器を耳に当てると独特のしゃがれ声が聞こえた。「玉緒か。今ちょっと代わるから」。勝だった。少し間を置き、低く優しい声が耳元に響いた。「もしもし玉緒ちゃん?」。すぐに分かった。夫の親友の裕次郎だ。予想しない展開に驚いたが、夫の声を聞いて冷静ではいられなくなった玉緒は思わず「裕次郎さんなんかいらないんです! 主人と代わってください!」と怒鳴りつけた。するとさきほどよりも甘い声で「やだなぁ。僕はそういう玉緒ちゃんは嫌なんだよ。僕はやさしい玉緒ちゃんが好きなんだから、さびしいな」と裕次郎がささやいた。玉緒はもともと裕次郎の大ファンだった。「参りました。それまで怒りで体を硬くしていたのですが、思わずへろへろと崩れてしまいました。主人を許すも何も、もう仕方がないという気持ちになりました」。

 裕次郎に「はい」と答えるしかなかった玉緒に、勝は「じゃあ、玉緒、そういうことだから」と一言だけ言って電話を切った。「電話を切った後に2人で笑い合っている姿が目に浮かびます。あの後は主人が『兄弟、悪いな』とか言って肩でも組んで飲みに行ったんでしょう。でもどうして裕次郎さんは京都にいたのかしら」。

 玉緒は思う。「私たちのけんかの仲裁ができたのは裕次郎さんだけ。あの時も『勝ちゃんをかんにんしてくれよ』とは言わないところが裕次郎さんらしくて格好いい。いつの間にか私をいい気持ちにさせるんですから、ずるいですよね」。

 裕次郎と勝はよく互いの自宅に電話をかけあった。「おお、元気か」で始まる会話は玉緒いわく「何てことのない雑談であっという間に切ってしまう」。それでも「トップスターという自分が置かれた立場など何も気にせず話ができる仲だったのでしょう。本当に楽しそうに話してましたから」。昭和を代表する俳優たちの素顔だった。(敬称略=この項終わり)【特別取材班】

 ◆裕次郎と紅白 「俺は待ってるぜ」「銀座の恋の物語」「夜霧よ今夜も有難う」などヒット曲は多数あるが、「歌は素人だから」と、人前で歌うことは苦手だった。NHK紅白歌合戦の出演依頼は毎年のように受けていたが、断り続けた。年末年始をハワイで過ごすようになったのは、毎年依頼してくれる担当者に断りを言い続けるのを気にしたから、とも言われている。

 ◆石原裕次郎さん二十三回忌法要イベント 7月5日に東京・国立競技場で開催。石原プロでは当日、限定芋焼酎「一刻者」とメモリアル本をセットで用意。事前に応募した中から当せんした5万人にプレゼントする。希望者は、はがきに住所、氏名、年齢、電話番号を明記し、〒182・8799 調布支店「裕次郎プレゼント」係まで。10日消印有効。


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