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2009年6月03日

(2)「兄弟」勝新、最後の晩餐

東京・成城の自宅で勝新太郎、中村玉緒夫妻と食事をする石原裕次郎。2人が訪れた様子を、まき子夫人が写真に収めていた
東京・成城の自宅で勝新太郎、中村玉緒夫妻と食事をする石原裕次郎。2人が訪れた様子を、まき子夫人が写真に収めていた

 互いを「兄弟」と呼び合った。トップスター石原裕次郎(享年52)と親交のあった著名人は多いが、中でも勝新太郎(享年65)は特別な存在だった。圧倒的な存在感を放つ2人は、周囲からも俳優としてライバルとみられていたが、プライベートでは心を許しあう無二の親友だった。家族ぐるみの付き合いでみせた2人の素顔を勝夫人の女優中村玉緒(69)が明かす。

 1987年(昭62)8月11日、東京・青山葬儀所。勝は裕次郎の葬儀で友人代表の弔辞を読んだ。外は強い雨。しゃがれた低い声が響いた。「生きていながら死んでるようなやつが多い中で、死んでまた生き返った。このすごさ。頭が下がる」。勝の背中を見つめながら、妻の玉緒は忘れられない日を思い出していた。

 葬儀の5年前。生還率3%の手術の成功で、解離性大動脈瘤(りゅう)からカムバックした裕次郎を見舞うため、勝と玉緒は東京・成城の自宅を訪ねた。勝は米袋を持参した。「何を持っていけばいいのか迷ったあげく『うまい米を食わせてやろう』とお米を取り寄せていました」(玉緒)。迎え入れた裕次郎は「すごいな、お米か。勝ちゃん、ありがとう」と笑顔を見せた。

 応接間でくつろいでいると夕食の時間になった。勝夫妻の前にはお重に詰められたごちそうが並んだが、裕次郎は玄米のパンと野菜サラダだけ。食生活は、妻のまき子が徹底管理していたからだ。玉緒は米を持参したことを悔やんだ。ところが勝は、手みやげのことには一切触れず、おもむろに玄米パンを手に取りほおばった。「おい、裕次郎、これうまいじゃないか。これをもっと食べたいな」。「これがそんなにうまいか? 本当かよ」と裕次郎は笑った。玉緒は勝の気遣いだと感じていた。禁酒中の裕次郎に合わせ、勝も用意されたワインを一滴も口にしなかった。

 部屋には4人だけ。会話のほとんどはたわいのない話だった。「どこにでもいるごく普通のおじさん同士の会話です。今もどんな話をしたのか覚えていないぐらいですから」。裕次郎は勝を風呂に誘った。40分後、バスローブ姿の2人が戻ってきた。勝は玉緒に「裕次郎に手術あとを見せてもらった。すごかったぞ」とおどけた。裕次郎もつられて笑った。「まるでいたずらっ子の兄弟のようでした」。

 帰り際、玄関先で裕次郎が「勝ちゃん、今日はありがとう」と言葉を掛けた。勝は「じゃあ、またな」と手を上げて応えた。30年来の親友が交わした言葉はこれが最後になった。

 勝はその後入院した裕次郎を見舞ったことは1度もなかった。若いころから外で裕次郎と会って帰宅すると、「裕次郎がな…」と楽しそうに玉緒に報告していた勝が、裕次郎の話題を持ち出さなくなった。闘病経過を関係者に聞くこともなかった。「弱っていく裕次郎さんを見たり知ることが嫌だったんだと思います。本当は誰よりも会いたかったはずなのに」。

 葬儀場の雨はどんどん強くなった。勝は前日一睡もしていなかった。悲しみを酒でまぎらせることもしなかった。弔辞を読むことは玉緒にも伝えていなかった。「1人だけでゆっくり裕次郎さんと向き合いたかったのでしょう」。弔辞は原稿を用意せず、思いのたけをそのまま語りかけた。「どうせ、どっかで会うんだから。それまで、さようなら」。そう結んで振り返ると、大きく息を吐いて天井を見上げた。

 葬儀から数カ月後。成城の自宅を勝が訪ねた。まき子に「あのソファはどこ?」と聞いた。長年、裕次郎以外誰も座ったことのない愛用のソファだった。もう客間には置いておらず、保管されていた。勝は「おお、裕次郎」と言うと、染みだらけのソファに寝そべった。「しばらくこうしていていいかな?」。まき子は涙をこらえながら無言でうなずいた。(敬称略)【特別取材班】

 ◆石原裕次郎(いしはら・ゆうじろう)本名同じ。 1934年(昭9)12月28日、神戸市生まれ。56年日活映画「太陽の季節」でデビュー。同年の映画「狂った果実」で一躍トップスターに。「俺は待ってるぜ」「嵐を呼ぶ男」など主演作が次々と大ヒット。63年に石原プロモーションを設立し、以後「太平洋ひとりぼっち」「黒部の太陽」「栄光への5000キロ」などヒット作を製作。72年「太陽にほえろ!」でドラマ界に進出。以後「大都会」「西部警察」などヒット作に出演。60年に女優北原三枝と結婚。87年7月17日に死去。享年52。

 ◆勝新太郎(かつ・しんたろう)本名・奥村利夫。 1931年(昭6)11月29日、東京・深川生まれ。兄は若山富三郎。54年に大映入りし、同年「花の白虎隊」でデビュー。60年「不知火検校」で注目された。61年「悪名」62年「座頭市物語」65年「兵隊やくざ」はいずれも大ヒットしてシリーズ化された。67年に勝プロダクションを設立。71年「顔役」で監督デビュー。「座頭市」は74年からテレビドラマ化されてヒット。62年に女優中村玉緒と結婚。90年、ホノルルでマリフアナとコカイン所持で逮捕された。97年(平9)6月21日に死去。享年65。

 ◆石原裕次郎と勝新太郎 年齢は勝が3歳上。裕次郎は日活、勝は大映のトップスターとしてライバル関係にあった。初共演は69年映画「人斬り」で、勝が岡田以蔵、裕次郎が坂本竜馬を演じた。以後も74年「座頭市物語」75年「河内山宗俊」75年「新・座頭市」と、各ドラマで共演。互いにまったくタイプの違う俳優で、それぞれ独立プロを立ち上げた仲間でもあり、プライベートでも意気投合し、都内や京都で頻繁に酒を酌み交わした。酔った上でケンカもよくしたが、こじれたことは1度もなかったという。82年に勝が誕生日に開いたディナーショーに裕次郎がゲスト出演、83年の石原プロ20周年記念パーティーには勝が招かれ、それぞれデュエットを披露した。

 ◆石原裕次郎さん二十三回忌法要イベント 7月5日に東京・国立競技場で開催。石原プロでは当日、限定芋焼酎「一刻者」とメモリアル本をセットで用意。事前に応募した中から当せんした5万人にプレゼントする。希望者は、はがきに住所、氏名、年齢、電話番号を明記し、〒182−8799 調布支店「裕次郎プレゼント」係まで。10日消印有効。


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