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企画特集


2009年6月02日

(1)昭和に風、長嶋さん語った

59年正月の紙面企画として、肩を並べて書き初めをする石原裕次郎と長島茂雄(左)。右は当時大関だった朝汐。
59年正月の紙面企画として、肩を並べて書き初めをする石原裕次郎と長島茂雄(左)。右は当時大関だった朝汐。

 この夏、日本人が最も愛したスター石原裕次郎さんの二十三回忌を迎える。1956年(昭31)にデビュー、87年に52歳で永眠した生涯は、多くの伝説を残した。連載「裕次郎とともに」は裕次郎さんが縁の深い人たちとともに残したエピソードや思い出を、東京・国立競技場で法要が行われる7月5日まで月〜金曜日付に掲載します。第1回はもう1人の大スター、長嶋茂雄氏(巨人軍終身名誉顧問)の登場です。

 長嶋 昭和の時代ですか? 活気があって新しいことに何でもチャレンジできたかなあ。裕次郎さんは映画の世界に新しい風を入れ、私は野球界に風を入れてね。
 裕次郎について取材させてほしい。こちらの願いを、長嶋はすぐに了解してくれた。質問は文書によるやりとりだったが、スタッフがそのニュアンスまで伝えようと「長嶋語」そのままに、書き記してくれた。冒頭のコメントは、2人が活躍した「昭和」についての質問だった。

 ◆ ◆ ◆

 56年、裕次郎は映画「太陽の季節」でデビューし「狂った果実」であっという間にスターになった。多忙を極め慶大を中退したが、東京6大学の通算本塁打記録を更新する8号を慶大戦で放つなど、1学年下の長嶋の活躍は慶大生の集まるすし屋店主に聞かされていた。そして、巨人入団前には対談の企画で面識ができた。写真にある横綱朝汐(初代)を交えた座談会は59年正月。長島が新人王に輝いたオフだった。

 長島 何を話したか? 忘れてしまいました。50年前ですから(笑い)。ルーキーの年でしたから、たぶんこれからの野球のことでしょう。

 対面を重ねるうち、親密になった。長嶋は従来の二枚目俳優のセオリーを逸脱して不良性を漂わせた裕次郎さんのスタイルは、セオリーより感覚を大事にする自分のプレースタイルに通じるものがあったと感じていた。59年には裕次郎が応援歌「男の友情 背番号3」を制作。試合を終えた長嶋は東京・成城の石原邸を訪れ、たびたび食事した。

 長嶋 ずいぶんかわいがられましたよ。ジャケットを4、5着いただいたかなあ。

 裕次郎は182センチ、75キロ。日本人離れした体格は、176センチ、76キロとがっちりした筋肉質の長嶋にも十分なサイズだった。

 62年1月には雑誌の企画で、前年結婚したまき子夫人を交え、米国を旅行した。芸能界と球界の若きスターの海外旅行など、現在では考えられないが、当時は海外に渡ることすら難しい時代だった。この2人の親密さは、それさえも実現させた。そして、現地でさらに大物が加わる。

 長嶋 ニューヨークに行って、大きなステーキを食べたなあ。当時、ヤンキースのロジャー・マリスに会いましたよ。物静かな方でしたね。それから、フロリダに行って、マイアミに泊まったかな。海水浴したり、ヨットで遊んだり、2週間ぐらいいたのかな。

 マリスは当時、ベーブ・ルースの年間記録を上回る61本塁打を記録したメジャー屈指のスターだった。旅行のエピソードは尽きない。5番街の高級帽子店を訪れ、裕次郎がソフト帽をつくると、長嶋は自分はヘルメットが一番似合うからと断った。過酷な寒さの中でブロードウェーで観劇したりエンパイアステートビルを上るなど過密スケジュールが続くと、宿舎で長嶋が裕次郎の足をマッサージした。

 2人の交流で最大のイベントだったこの旅を、後に長嶋は述懐した。裕次郎はハリウッドに、自分はメジャーリーグにあこがれていた時代だったと。昭和を強烈に吹きぬけた風が本当に目指したかったのは、日本を飛び出すことだった。

 亡くなる前年の86年、長嶋が病床の裕次郎を見舞うと、裕次郎は1時間も2時間も映画にかける思いを語り続けた。今もう1度、語り合うとしたら…。

 長嶋 何かなあ…裕次郎さんは映画が好きだったので、映画の話を聞かされるのかな。

 出演作は99本。裕次郎は弟のように慕う長嶋の前でも、生涯映画人だった。

 ◆ ◆ ◆

 壮大な二十三回忌法要が発表された国立競技場で、まき子夫人、渡哲也らが会見を終えるとグラウンドを突風が吹きぬけた。「嵐を呼ぶ男」とも呼ばれ、長嶋も風を吹かせたと表現した。この連載そんな風を感じた人たちとのエピソードを紹介しながら、今なお愛される裕次郎に迫る。(敬称略)【特別取材班】

 ◆裕次郎と野球 少年時代は野球チームを作って活躍した。デビューしてからも、たびたび後楽園で巨人戦を観戦していた。また、毎年開催されていた「映画人野球大会」には、多忙な日程をぬって参加した。60年の大会では、試合開始ぎりぎりに球場に到着し、いきなりホームランを打ち、観客も大喜びだった。映画「スパルタ教育 くたばれ親父」では審判員を演じたこともある。

 ◆「天国からのラストメッセージ『ありがとう』石原裕次郎二十三回忌」 7月5日に東京・国立競技場で開催。開場は午前7時。菩提(ぼだい)寺の横浜・総持寺の本堂を同競技場内に再現し、参列者は献花できる。
 石原プロでは当日、二十三回忌限定芋焼酎「一刻者」とメモリアル本「昭和の太陽 石原裕次郎」をセットで用意し、事前に応募した中から当せんした5万人に手渡し、プレゼントする。希望者は、はがきに住所、氏名、年齢、電話番号を明記し、〒182・8799 調布支店「裕次郎プレゼント」係まで。10日消印有効。


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