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第20回 日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞


20周年回顧

第20回
2007年

受賞者、関係者の皆さんが伝統作ってくれた

<20周年を迎えて>

 俳優の田中健さんとお会いして、93年(第6回)の助演男優賞受賞の思い出に水を向けた。つい最近、都内のあるパーティーでのことだ。

 「絶対に忘れませんよ」。14年前にもかかわらず記憶は鮮明だった。

 授賞式当日、田中さんは有楽町で舞台出演中だった。常識的に出席は不可能である。たまたま、助演賞表彰が舞台公演の幕あいのタイミングだったが、受賞会場のホテルまでは3キロの距離があり、十数分の幕あいでは、年末の渋滞で車の移動もままならない。

 唯一可能だったのがバイクでの移動である。渋滞は車の間を縫えばいい。だが、万が一のことがあったら舞台に穴があく、ではすまない。一線の俳優さんには例えかすり傷でも負わすわけにはいかない。

 日ごろ、勇敢に時間と勝負している当社のプレスライダーも田中さんを後ろに乗せる計画を聞いて二の足を踏んだ。だが、押し切った。そして、本人には快諾していただいた。頭が下がった。当日、田中さんはヘルメットを手に授賞式の舞台に上がり、5分余りで再びバイクで劇場に帰った。

 むちゃである。

 大先輩の谷口源美記者の指示だった。谷口は創設から一昨年の第18回までこの賞を見守り、昨年1月に亡くなった。

 思い込んだら折れない人だった。雪の夜に張り込んで雪だるまになったという伝説もあった。ずっと取材を続けていた裕次郎さんが亡くなって間がないころ、まき子さんにお願いし、石原プロの小林正彦専務をはじめとする皆さんの協力を取り付けた。いちずな思いが伝わったのだと思う。

 新聞社の賞で賞金300万円は破格である。受賞者全員が顔をそろえる授賞式はそれほど例がない。前年受賞者が全員そろって翌年のプレゼンターを務める賞もほかにない。各界から有識者を募って選考する映画賞もほかにない。

 先輩が作った伝統だ。

 表彰盾に故黒沢明監督の絵コンテの永久使用許可も取り付けた。田中さんがバイク移動した翌年のことで、交渉役の私は突き動かされるようにご家族にひざ詰めした。

 年末が近づくと、映画賞にかかわるスタッフはかなりむちゃになる。受賞者や関係者の皆さんに無理もお願いする。

 映画関係者の皆さんに年末恒例の行事として認知していただけるようになったのも、この「伝統」があったからだと思う。

 さすがにバイクのようなことはありませんが、これからも無理をお願いします。この賞の伝統とお許しください。【日刊スポーツ=相原斎】

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