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2006年10月 9日

捜索を開始したけれど…

「消えたフィルム編4完」

 大の阪急ブレーブス(現オリックス)ファンだった故浦山桐郎監督(85年死去)のドキュメンタリー「鍛えぬかれた勇者たち」は、阪急が75~77年に日本一3連覇を達成した翌春、高知キャンプで撮影された。浦山監督は「キューポラのある街」(62年)で華々しくデビューしながら、24年間で9本しか撮ってない寡作家だけに、このフィルムが見つかれば大発見…上田利治監督に会って、記者も見ていないこの“幻のフィルム”を捜索した。

 ところが、ブレーブス関係者は「うちが作ったものじゃない。見た記憶はあるが、ブレーブスにフィルムはなかった」という。撮影当時、ブレーブスのスコアラーをしていた金田義倫氏(現オリックス球団本部付部長)は「確かにグラウンドで撮っていた。特守のシーンだったかな。助監督が『泥の河』の小栗康平さん。でも、フィルムはオリックスにはないですね」。

 中身が分かったのは、当時ブレーブスの広報担当だった増井政治さんに連絡がついてからだった。増井さんはその時、浦山監督に付いて撮影の便宜を図ったという。「浦山さんは面白い人でね。二日酔いでスタンドで寝てても、福本が練習中にねんざしたら、そんな時はちゃんと起きて見に来ていた。『ええシーンには必ず上田監督が写ってる』なんて言ってた。関西テレビ(フジ系)で放送しましたよ」と証言してくれた。

 聞けば、そのころのブレーブスは山田、福本、加藤英ら大選手がキラ星のごとくいたが、中で浦山監督の目を引いたのが背番号もないのにやたら元気な練習生だったという。彼こそはその年、球団職員として入団(翌年、支配下選手登録)していた松永浩美選手だった。浦山監督の目は映画と同様、無名の新人の将来性を見ていたのだろう。

 だが、関テレ広報では放送の事実すら不明。放映映像の貸し出しを扱う部門でも「勇者 78年」で検索の結果、ヒットせず。つまり所在確認は出来ずじまいだった。幻の浦山作品は残念ながら幻のままに終わった。当時、プロ野球は巨人一辺倒の時代。社会の底辺で、したたかに生き抜く人々を描いてきた浦山監督は、同じ匂いをブレーブスに感じ取り、フィルムに焼き付けた、と思う。そんな「弱者の逆襲」映画なら、上田監督ならずとも「見たい」思いがさらに強くなった。

 (このコラムは毎日更新します)

安永五郎(やすなが・ごろう、大阪日刊スポーツ新聞社映画担当)
安永五郎の顔写真  1948年(昭和23年)8月24日、大阪市生まれ。小学校時代に「荒野の七人」、中学校時代に「史上最大の作戦」、高校時代に勝新太郎「座頭市」シリーズ、関大時代に大島渚、今村昌平監督作品にハマり、映研で16ミリの製作を手がける。シネラマのOS劇場でアルバイト。
 大学卒業後、大阪日刊スポーツに。1973年から、東映、大映、松竹の京都撮影所を担当。1980年からプロ野球記者として、阪神、阪急(現オリックス)を担当。編集委員等を経て、2004年から2度目の映画担当。
 阪神担当時代、米国キャンプに同行した際、当時、日本では手に入りにくかったサウンドトラック盤のレコード約50枚を購入した経験を持つなど、映画に関しては相当の「オタク」。


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