2006年12月28日
生々しい裁判シーン
-それでもボクはやっていない(07年1月20日公開)-
阿曽山大噴火氏もコラム「裁判Showに行こう」に書いていたが、裁判シーンは実に生々しい。同氏のように継続的に観察しているわけではないが、取材で訪れた経験は何度もある。また、メディアの片隅に身をおく者として想定内のことには違いないのだが、心ならずも取材対象から提訴され、当事者として法廷の場に出かけたこともある。
映画やニュースで見る欧米の時代がかったものとは違い、東京地裁の法廷はシンプルで余計な威圧感はない。が、裁判官によってはその“感覚”と“常識”にどうしてもこちらとのズレがあり、心が泳いでそわそわする感じになるものである。私たちのような民事裁判の場合でも裁判官の“心証”によって判決は左右され、文字通り薄氷を踏む思いである。ましてや今作のような刑事裁判では―。
周防正行監督が3年以上かけた入念な取材をもとに緻密に組み上げた作品からは、被告の足元のおぼつかない感覚、さらには絶望がひしひしと伝わってくる。
映画はフリーターの青年(加瀬亮)が痴漢に間違われ、逮捕されてしまうところから始まる。否認を続ける青年は拘留、起訴され、本人はもちろん、家族や友人らの日常も一変する。裁判は1年にも及ぶ。周囲の努力で証人がみつかり、再現ビデオによって無罪が立証されたかに見えたが…。
痴漢の容疑者が否認しにくい理由、裁判官が刑事事件で無罪を出しにくい理由、痴漢事件に日本の刑事裁判制度の問題点が凝縮されている理由…。時系列、積み上げ型の実にストレートな手法で周防監督は多く「理由」を明かしていく。刑事裁判を題材にした“日本一受けたい授業”のような趣だ。
監督がたまたま目にした痴漢冤罪の新聞記事に興味を持ったのが、映画化のきっかけだという。取材を続けるうちにテーマは、被告を巡る人間ドラマから裁判制度そのものを抉るものに変わっていったのだそうだ。周防監督の映画作りの発端と経緯は、身内の不幸をきっかけにした「お葬式」(84年)を皮切りに様々な“業界”を題材にヒット作を連発した伊丹十三監督に近いものがある。
他に役所広司、瀬戸朝香、山本耕史、もたいまさこらが出演。裁判官役の小日向文世が印象に残った。
(このコラムは毎週木曜の更新です)
- 相原斎(あいはら・ひとし)
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1956年5月27日、東京生まれ。早大卒。1980年入社。
文化社会部では主に映画を担当。同部デスク、部長、編集局次長を経て現在総務局長。著書に「寅さんは生きている」(朝日ソノラマ)。