日刊スポーツのニュースサイト、ニッカンスポーツ・コムの芸能ページです。



ここからこのサイトのナビゲーションです

共通メニュー

企画特集


2010年2月09日

“母”山田五十鈴との深いきずな

 「誠さん、私よ。元気にしてる?」。

 昨年のある日、携帯電話へかかってきた声に、松井誠は驚いた。それは、2002年から病気療養を続けている山田五十鈴(92)からだった。「母上ですか!」と思わず声が弾む松井が「早く元気になって、一緒に舞台に出ましょう」と続けると、「恋人役じゃないと嫌よ」と山田。こんな“母子”の会話がしばらく続いた。

 数々の舞台や映画に主演、00年には女優として初めて文化勲章も受賞した山田。松井は彼女の「芸養子」(芸を継承するうえでの親子関係)になり、いまも交流が続いている。

 きっかけは、松井が主演した「女形気三郎」(ジョージ秋山原作、1994年)を山田が観劇したこと。終演後に楽屋を訪れた山田は「あなたには、長谷川一夫さん(映画スター)の色気と花柳章太郎(新派の女形)さんの品の良さがある。いつか一緒に舞台をやりましょう」と声をかけた。

 それから4年後に東京・帝国劇場での「花のうさぎ屋」で実現。松井は山田の息子役に抜擢され、彼女の数少ない「芸養子」として認められた。大衆演劇を原点に大劇場の舞台にも立つようになった松井にとって、歩んできた道が間違ってはいなかったという“晴れがましい証”だった。

 そしていま、山田は舞台復帰を目標に療養しながらリハビリを続けている。演劇関係者など面会できる人が限られているなか、松井は年に数回は訪問、昨年末も会ってきた。

 「一緒に食事をしていると長谷川(一夫)さんの思い出や歌舞伎のセリフを言われたり、ずっとお芝居の話をされています。母上のそんな一言、一言が私の心の中にすっと入ってきて…。お互いにがんばろうね。一緒に舞台をやろうねと励まし合っています」。女優として生き続ける姿に心酔している。

 自宅には、昨年に山田から届いた「誠頑張れ、山田五十鈴」という手紙を大切に保管。松井はそれを心の糧に舞台をつとめている。

(松井誠)


このニュースには全0件の日記があります。


ソーシャルブックマークへ投稿

  • Yahoo!ブックマークに登録
  • はてなブックマークに追加
  • Buzzurlにブックマーク
  • livedoorクリップに投稿

ソーシャルブックマークとは

ニッカン座 人生劇場
ニッカン座・人生劇場
 笑いあり、涙あり、感動あり。毎日、日本のどこかで繰り広げられる人情舞台。その一瞬、一瞬に人生をかけて、全国巡業を続ける大衆演劇のヒーローを追います。
松井誠
 (まつい・まこと)1960年4月8日、福岡県大牟田生まれ。大衆演劇一座に生まれ育ち、85年に「劇団・誠」を結成。商業演劇の座長公演をはじめ、大河ドラマ「風林火山」などに出演。若手劇団「下町かぶき組」の育成のほか、舞踊「誠心流」家元、着物デザインなど幅広く活躍。
竜小太郎
 (りゅう・こたろう)1974年8月2日、東京生まれ。父は大衆演劇役者、母はダンサーで4歳の時に日舞を習い始め、森川長次郎劇団に入団。関西を中心に活躍して7歳の時に「初代・浪花のチビ玉」と呼ばれる人気者に。85年には「必殺・ブラウン館の怪物たち」で映画デビュー。舞台、映像と幅広く活動している。アイエス電話03・3355・3561。
大川良太郎
 (おおかわ・りょうたろう)1978年(昭53)3月6日、静岡県生まれ。大阪府育ち。劇団九州男(げきだんくすお)座長。輝く役者だけのユニット「シリウス(天狼組)」でも活動中。
橘大五郎
 (たちばな・だいごろう)1987年(昭62)1月27日、大分県生まれ。橘菊太郎劇団若座長。大衆演劇の若きカリスマ。2003年、北野武監督の映画「座頭市」に出演。2007年には早乙女太一らとのハワイ公演を成功させた。趣味はタップダンス、映画・舞台鑑賞。

最近の記事




日刊スポーツの購読申し込みはこちら

  1. ニッカンスポーツ・コムホーム
  2. 芸能
  3. コラム
  4. ニッカン座 人生劇場
  5. 松井誠

データ提供

日本プロ野球(NPB):
日刊編集センター(編集著作)/NPB BIS(公式記録)
国内サッカー:
(株)日刊編集センター
欧州サッカー:
(株)日刊編集センター/InfostradaSports
MLB:
(株)日刊編集センター/(株)共同通信/STATS LLC

ここからフッターナビゲーションです