2009年8月25日
日本一へ導いた中京大中京・山中
「長いこと監督をしていますが、情けない結果ばかりで申し訳なかったです」。
中京大中京・大藤敏行監督は優勝の喜びよりも、過去の謝罪から話し始めた。
同校は04年夏の甲子園を最後に、甲子園が3年も遠のいた。その間に愛工大名電がセンバツで優勝と準優勝を飾り、愛知県高校野球でも頭一つ抜け出していた。当時の現役選手は「僕らの時代は暗黒時代。春も夏も3回戦負けで本当に弱かった」と、振り返る。名門復活の兆しが見え始めた06年。伊藤隼太外野手(慶大2年)、難波真史内野手(法大2年)ら好選手を擁したチームだった。それでも、秋の東海大会で6点リードを守りきれず、翌年夏の県大会決勝も9回に2点を入れられ逆転負け。
堂林翔太投手ら3年生は、結果の出なかった時代を見て入学してきた世代。そのなかに野球部に息を吹き返した選手がいた。主将の山中渉伍遊撃手(3年)だ。
山中は2年生のときに試合中に送りバントでヘッドスライディングをして、「先輩たちはこんな試合で悔しくないんですか」と泣き叫んだことがある(1月9日のブログ記事参照)。
新チームになって、彼は早速動き出したのだ。大会期間中は試合後に試合会場で解散する“現地解散”が慣例だった。だが、山中は一人、学校へ戻り練習を続けていたのだ。それも密かにではなく、堂々と。
「みんなも戻ってくると思ったのに。どうして練習しないんだよ?ミスも出たのに…おかしいだろ!」。
その熱意と感情のこもった言葉に、全員がハッとした。今では試合後の練習は当たり前になっている。堂林は「練習の虫、山中が中京の歴史を変えた」と、一目置いている。
左が享栄戦を機に山中が書いたボール(撮影・矢島彩)
さらに秋の愛知県大会準決勝、享栄に1つのミスから9失点を喫した。「守りのチームが情けない」と、熱田球場でそのままミーティングに突入した。さらにこれだけでは終わらなかった。
「1球に楽しんで泣かされて。たった1球なのに、こんなに重たいんだなと思った。それをわかってもらいたかった」(山中)。
ボールに享栄戦のスコアと日付、「負けらんねえよ」の文字を書いた。学校のグラウンドで全選手で輪になってボールを回し合った。そこには下級生の女子マネジャー2人も入っていた。女子マネジャーはノックなど必要最低限の仕事以外ではグラウンド外の部室で過ごしている。山中は「2人も野球部員なんだから」と、わざわざ2人を呼んだ。
「こんなことは初めて。選手たちが山中さんについていく理由がわかった」(喜多川蒼さん)。
山中の手に渡った深紅の大優勝旗。トレードマークの八重歯もきらりと光っている。前田裕貴グラウンドマネジャー(3年)は言う。
「選手からマネジャーになり客観的にチームを見るようになってわかったこと。それは山中の野球に対するひたむきな姿勢と、チームを勝利に導くために本当にいろいろなことを考えているところ。こんなキャプテン、どこにもいない」。
43年ぶりの日本一は、山中という一人の選手無くしてあり得なかった。
(ノート)
※日記を書く方法はこちらで紹介しています。
この記事には全0件の日記があります。
コメントを書くには日刊スポーツIDでログインしてください。日刊スポーツIDについてはこちら
- 新井「勉強しないと」読書で自己啓発 [24日11:12]
- 松田、外野も一塁も守る!李加入で決意 [24日11:10]
- 金本、瞑想修行で心も鉄人へ [24日11:10]
- 江川、合宿所から巣立ち [24日11:10]
- 馬原、城島に改めて感謝 [24日11:09]
- 利府バッテリーが東北学院大入り
[21日10:56] - 磐田西など4校の対外試合禁止を上申 [20日23:40]
- 専大北上元野球部コーチが勝訴 [20日12:06]
- 大垣日大V…野球の怖さ知った/神宮大会 [20日10:40]
- 東海大相模・一二三が痛恨ボーク/神宮大会
[20日09:03]
- 佑ちゃん1190日ぶり甲子園!!/全早慶
[24日09:01] - 慶大一気に8点で早大に逆転勝ち/全早慶 [23日18:59]
- 佑ちゃん3連続K甲子園で輝く/全早慶
[23日18:22]
- 立正大、初優勝の秘密とは… (矢島彩「アマ〜い野球ノート」) [11月23日]
- 堂上剛6年間の秘密 (ドラ番ブログ) [11月17日]
- ジョーには「何もない」はない (虎番ブログ) [11月17日]
- 野球選手のゴルフ賛成 (鷹番日記) [11月17日]
- 神宮の洗礼浴びた両校エース/神宮大会 (矢島彩「アマ〜い野球ノート」) [11月16日]
