2009年10月20日
第240幕 亡き僚友とともに戦うエンゼルス
アナハイム、エンゼルス・スタジアムのセンター後方のフェンスには「34」という背番号とともに、今は亡きニック・エイデンハート投手の大きな写真がデイスプレーされている。シーズンがスタートしたばかりの4月9日未明、交通事故に巻き込まれて22歳の若さでこの世を去った。4月8日のオークランド戦に先発し好投。その直後の死にチームメイトは立ち直れないほどの大きな衝撃を受けた。
そのショックを引きずっていたのだろうか、オールスターまではエンゼルスらしからぬモタつきが目立ち、なかなか首位に立つことができなかった。広報担当からは「ニックのことはなるべく選手に聞かないで欲しい」と水面下でお達しが出るほどみんながナーバスになっていたのだ。特にセンターを守るトリー・ハンターは、守備につく度、そのモニュメントと真正面に対峙するだけに、特別な思いを持っていた。
守備位置につくと、時には写真に向かって敬礼し、時には走り寄ってタッチした。それが「一緒に戦っているんだ」という意識をチーム全体に行き渡らせた。故人は冗談で人を笑わせムードを明るくする性格だった。ハンターは「自分の守備位置に向かいながら、事故の悲しみを反芻するのではなく、彼と過ごした楽しかったことだけを思い出すように努力した」とこのシーズンを振り返った。
ポストシーズンに入り、レッドソックスとの第1戦目。先制3ランを放ってその思いを爆発させたハンター。その打席では満員の観客の歓声が遮断され「真空状態」になったのだという。第2戦では満塁でエリック・アイバールが三塁打を放ち、2打点の活躍。センターの左よりに落ちた打球は、不思議なことに右よりのエイデンハートのモニュメントの前まで転がって行った。まるで、自分のほうにボールを呼び寄せているかのようだった。

ホームでの第1戦、2戦、センターのフェンスから見守るエイデンハートと共に戦ったエンゼルスが連勝した。そしてその勢いは止まることなく、アウエイでのボストン戦にも勝利しスイープ。ア・リーグ優勝決定シリーズではヤンキースに2連敗発進。だがホームに戻っての第3戦では延長戦を制し勝利を手にした。今もなおそのままに残されているエイデンハートのロッカー付近で、チームメイトたちはきっと勝利を分かち合ったにちがいない。
2002年以来となる頂点に上り詰めるまで、彼らは亡き僚友とともに戦い抜く。
※写真=毎試合エンゼルスベンチに掲げられる今は亡きエイデンハートのユニフォーム
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- 鉄矢多美子(てつや・たみこ)
- 福岡県に生まれる。成城大在学中から、硬式野球部のマネジャーを務めるかたわら、ウグイス嬢の道に。1977年にロッテ・オリオンズ球団(現在の千葉ロッテ・マリーンズ)に入社して、ウグイス嬢と広報担当を兼務。87年12月からフリーに。 野球のあるとこどこまでも、の精神で、日本国内はもとより、アメリカ大リーグをはじめ、キューバ、ドミニカ共和国、プエルトリコなどに足繁く通う。将来は野球をモチーフにした一大スペクタル小説を書くのが夢。著書は「サミー・ソーサ 心はいつもホームラン」(集英社インターナショナル)、「もっとカゲキにプロ野球」(講談社)、「素顔の野茂英雄」(小学館)、「熱球伝説」(岩波書店)。
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