2009年01月01日
第215幕 故郷で300勝に挑むジョンソンと競争心
ランディー・ジョンソン投手のサンフランシスコ・ジャイアンツ入りが決まった。300勝まであと5勝、600試合登板まであと4試合、そして5000奪三振まであと211三振…などなど、今季はジョンソンがマウンドに上がるたびに記録が気になることとなる。
ジョンソンは1999年から2004年までアリゾナ・Dバックスでプレーした後、ニューヨーク・ヤンキースに移籍して2005、2006年の2年を、そして07、08年は再びDバックスに戻ってプレーしていた。今季もそのまま続けて自宅があり家族と共に暮らす地元アリゾナでプレーするのが理想だった。その自宅にはスポーツジムさながらの「ビッグユニット・ジム」と名付けられたトレーニング設備も整っており、球場入り前にここでウオームアップして出かけていた。年齢面も考えれば家族のサポートも受けられる地元は条件が整っていた。
ならば…と年俸面で大幅に譲歩していたジョンソン側に対し、未曾有の経済不況で経営難に立たされているDバックスは、その条件にも応えることができず契約交渉は決裂した。結局、昨年末に同地区のライバル球団、ジャアンツへの入団が決まった。そしてジャインツと契約した際、記者のインタビューに「最後のシーズンになるかもしれない」と答えたことが伝えられた。だが、それはにわかに信じ難かった。というのも「引退」に関して彼は以前のインタビューで次のように話していたからだ。
「ワールドシリーズも制し、多くの個人記録も作りサイヤング賞も取った。それに、今はお金を必要としているわけでもない。だから、引退しようと思えばいつでもできる。それをしないのは、私の中に依然として競争心が残っているからだ。私たちは何か勝負ごとをする時、だれでも勝ちたいと思うはずだ。私が必要としているのは勝ちたいと思うその競争心を表現する手段だ。私にとって、それはメジャーでプレーすること、そして与えられたチャンスに自分の持っているもののすべてを出し切ることなんだ」。
ジャイアンツと契約したということは、なみなみならぬ「競争心」を保っているという証拠である。この9月には、これまで数々の教示を仰ぎ、尊敬してやまないノーラン・ライアンが引退した年齢の46歳になる。そんなことが頭のどこかに思い浮かんだのかもしれないが、しかし彼が言う「競争心」が失せない限り、怪我さえなければプレーを持続する精神力を持っている。そしてそれをそっと後押しするのが生まれ故郷なのである。
ジョンソンはカリフォルニア州オークランド近郊のウオールナットクリークで生まれ育った。その小さな町には今でも母親が住んでいるという。今は亡き父から手ほどきを受けた野球。それから40年もの時を経て、生まれ故郷に程近いサンフランシスコでプレーすることになった。ジョンソンは、これも何かの引き合わせだと思わずにはいられなかった。その地で300勝に挑むこと、ペナントを戦うことは、彼の中の競争心、モチベーションを一層かき立てるにちがいない。
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- 鉄矢多美子(てつや・たみこ)
- 福岡県に生まれる。成城大在学中から、硬式野球部のマネジャーを務めるかたわら、ウグイス嬢の道に。1977年にロッテ・オリオンズ球団(現在の千葉ロッテ・マリーンズ)に入社して、ウグイス嬢と広報担当を兼務。87年12月からフリーに。 野球のあるとこどこまでも、の精神で、日本国内はもとより、アメリカ大リーグをはじめ、キューバ、ドミニカ共和国、プエルトリコなどに足繁く通う。将来は野球をモチーフにした一大スペクタル小説を書くのが夢。著書は「サミー・ソーサ 心はいつもホームラン」(集英社インターナショナル)、「もっとカゲキにプロ野球」(講談社)、「素顔の野茂英雄」(小学館)、「熱球伝説」(岩波書店)。
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