2008年06月25日
第195幕 激アツ男、今なお熱く
熱い男というのは、どれほど時を経てもその熱を保っているものだ。中国ナショナルチームの監督、ジム・ラフィーバー氏(66)がその人である。北京五輪のホスト国として世界の強豪国を相手に「みっともない試合だけはしたくない」と、現在アリゾナで「激アツ指導」に明け暮れている。監督のその「熱」に誘われるように、中国の選手たちは着実にプレーの精度を上げてきているようだ。
我々がラフィーバー氏の「激アツ度」を知ることとなったのは、助っ人外国人選手としてロッテにやってきた1973年。30歳を越えたばかりの彼が、今よりさらに血気さかんだっただろうことは容易に想像がつく。当時の金田正一監督とはしばしば激突。「瞬間湯沸かし系」に属する2人が激しく火花を散らしたのは、今でも語り草になっている。
そんな昔の話にフィードバックしたときも、当時の「激アツ感覚」が体の中によみがえっていったのだろうか。ラフィーバー氏の目はだんだん「マジ」になっていき、筆者に1つの言葉も挟ませることなく熱烈な調子で「カネダサン」についてしゃべり倒した。それにあきれてあんぐりしていると「クレージーな2人が向き合うと、ものごと、いっそうクレージーになるものなんだ」とフツーに言ってのける始末。
日本から帰国してメジャーリーグの監督を務めた時も、球団フロントと「激突」することしばしばで、それが原因で監督をやめたこともあった。彼の言動を見ていると、自分の性格とあいまって、ロッテ時代に「瞬間湯沸し系DNA」を金田監督から譲り受けたことで、その「激アツ度」に拍車がかかったのではなかろうかと思えたほどだ。
そんな激アツ監督に、中国チームの取材を申し込むと、「シャワールーム以外は自由に取材してもOK!(笑)」と快諾してくれた。選手たちが個々にケージに入って打撃練習を行うときにも、すべての選手を相手に球出し役を務める激アツ指導を行う。それを見ていた筆者に「自分の後ろに立って体感して見てみろ」とケージの中に招き入れてくれた。
ラフィーバー氏の背中の真後ろから、肩越しに見る打者のスウィングや打球の迫力にド肝を抜かれながらの初体験取材。気がつけば、こちらまで彼の激アツペースに巻き込まれたかっこうになっていた。恐るべし激アツ男。本番の北京五輪まで、その熱と激アツ度はますます加速して行くことだろう。
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- 鉄矢多美子(てつや・たみこ)
- 福岡県に生まれる。成城大在学中から、硬式野球部のマネジャーを務めるかたわら、ウグイス嬢の道に。1977年にロッテ・オリオンズ球団(現在の千葉ロッテ・マリーンズ)に入社して、ウグイス嬢と広報担当を兼務。87年12月からフリーに。 野球のあるとこどこまでも、の精神で、日本国内はもとより、アメリカ大リーグをはじめ、キューバ、ドミニカ共和国、プエルトリコなどに足繁く通う。将来は野球をモチーフにした一大スペクタル小説を書くのが夢。著書は「サミー・ソーサ 心はいつもホームラン」(集英社インターナショナル)、「もっとカゲキにプロ野球」(講談社)、「素顔の野茂英雄」(小学館)、「熱球伝説」(岩波書店)。
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