2008年04月21日
第188幕 藪、今再びの夢を
3年ぶりのメジャー勝利の翌日、マイナーに。その心情はいかに…と藪のブログ(http://www.yabulog.net/)をのぞいてみたら、これが恐れ入った。「マイナー経験の乏しい私にはこれも必要なことなのです。若いプロスペクト選手達を見ながら、またマイナーの組織を勉強するということができて、また一歩前進出来ると思います」と、自身で書きこんだこんなコメントが目に飛び込んできたからだ。
しかも、その言葉は「けっして悲観的には受け取っていませんし、それに対して同情や落胆することなく常に前向きに考えてください」と続き、逆にこのサイトを訪れ、心配するファンを慰めているではないか。たとえマイナーに行ってもタダでは帰って来るわけがないと、想像はついてはいたものの、これほどまでに「ポジティブ」で「貪欲」だとは…。と、感心している間もなく、再びメジャーに呼び戻され、3Aの「滞在」はたった4日で終わった。
ノンロースターの招待選手という立場でキャンプに参加した藪にとっては、メジャー契約の選手と比べると、契約上はるかに不利な点が多い。たとえばメジャー契約している選手は「ケガや故障以外ではマイナーに落とせない」などの条項でプロテクトされている場合があり、割を食うのは、藪のような立場から這い上がってきた選手になるのだ。逆に言えば、そんな不利な条件にもかかわらず、開幕メジャーを勝ち取ったのだから、すごいとしかいいようがない。
2月にキャンプインして以来、約45日間というもの、招待選手という立場上、結果を残さなければ明日の保証はなかった。そんな想像を絶するプレッシャーの毎日を送るあまり、痛む歯の治療さえままならず、キャンプ後半にはマウンド上で取れた差し歯を瞬間接着剤でくっつけて投げ続けた。ジャイアンツで初勝利を挙げた日(4月14日)の朝は、痛み出したその歯のインプラント手術を行い、その状態で試合に臨んでいたのだという。
マウンドで投げたくてもそれがかなわなかった2年間。それを思えば、少々歯が痛かろうが、突然マイナー行きを通告されようが、藪の中ではそれほど大きな問題ではなかったのだろう。ユニフォームを身にまといマウンドに登れる幸せ感のほうが、それらより何倍も勝っていたからだ。
オークランド時代の藪も経験しているが、日本人メジャーリーガーのほとんどには、通訳がつき、本人と家族をサポートしてくれることが当たり前のようになっている。しかし再チャレンジする藪には、そういうサポートは一切ない。たった1人で練習場やトレーニング場などを探し、自炊をしながらここまでの道を切り開いてきた。「いい勉強になりました」と本人はいうが、日本の家族と離れ離れで暮らす寂しさや、孤独感をじっと胸に閉じ込め、黙々とトレーニングに明け暮れる日々は、生半可な気持ちでは越えられなかったはずだ。
「もう1度メジャーのマウンドに帰りたい」。執念にも似たその強い気持ちが、再びの夢を叶えたといえるだろう。そして、真の意味での藪のメジャー挑戦は、今始まったばかり…といえるのかもしれない。
- 鉄矢多美子(てつや・たみこ)
- 福岡県に生まれる。成城大在学中から、硬式野球部のマネジャーを務めるかたわら、ウグイス嬢の道に。1977年にロッテ・オリオンズ球団(現在の千葉ロッテ・マリーンズ)に入社して、ウグイス嬢と広報担当を兼務。87年12月からフリーに。 野球のあるとこどこまでも、の精神で、日本国内はもとより、アメリカ大リーグをはじめ、キューバ、ドミニカ共和国、プエルトリコなどに足繁く通う。将来は野球をモチーフにした一大スペクタル小説を書くのが夢。著書は「サミー・ソーサ 心はいつもホームラン」(集英社インターナショナル)、「もっとカゲキにプロ野球」(講談社)、「素顔の野茂英雄」(小学館)、「熱球伝説」(岩波書店)。
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