2008年03月05日
第182幕 名前のない戦士、元中日三沢興一の挑戦

ホワイトソックスのマナイナーリーグキャンプにテスト生で参加している三沢興一(元中日)のユニフォームには、1人だけ背番号の上に名前が入っていない。「何で名前ないの?」と仲間に聞かれ、三沢は答えに窮していたが、正式に契約を交わしておらず「テスト生」という身分でのキャンプ参加のためである。それでも「ホワイトソックス」のユニフォームを身にまとった高揚感からか、練習中にも終始笑みがこぼれていた。
練習の途中、三沢はそれまで長く伸ばしてはいていたユニフォームのズボンの裾を、突然たくしあげた。ストッキングが見えるはき方は、実にアマチュア時代以来なのだという。現在、サンフランシスコ・ジャイアンツの招待選手(マイナー契約)としてメジャーを目指し奮闘中の藪と同じ着方だ。「藪さんにあやかりたくて…」。そこからは、原点にもどり、アメリカの地で自己再生しようという三沢の強い意志が見てとれた。
その藪もまた、つい最近まで「名前のない」ユニフォームを着てトレーニングに励んでいた。彼の場合、名前ばかりか、背番号すらなく、背中は全くの空白だった。近くのスポーツ用品店で自ら調達してきたというそのユニフォーム。「これ? 安かったんですよ」。そう言って屈託のない笑顔を見せ、それをつけて黙々と孤独なトレーニングを積んできた。
たとえ安物のユニフォームであろうと、名前も背番号もなかろうと、なりふりかまわずやってこられたのは「メジャーのマウンドにもう1度」というただ1つの目標に、ひたすら照準を合わせてきたからだ。阪神の暗黒時代を一身に背負って投げ続けてきた男のプライドが、孤独な挑戦を支えてきたように思えた。
藪がメジャーキャンプに招待選手として参加することになり、ジャイアンツのクラブハウスに行くと、「72」「YABU」と縫い取られたユニフォームがロッカーに吊るされていた。日本ではコーチのつける大きな背番号だが、同僚のジトもずっと「75」を着けており、メジャーでは背番号の大きい、小さいは関係ない。「いや、着ていると背番号にも不思議に愛着が沸くものですね」。
空白だった背中に背番号と名前を取り戻した藪。その藪が苦労を重ねてやっとつかんだメジャー挑戦への道。ユニフォームに名前のない三沢は、藪の域までたどり着こうと必死な毎日を送っている。ユニフォームに自分の背番号と名前を取り戻し、メジャーのマウンドに立つ。確かな目標を見据えながら、名前のない戦士の挑戦は続く。
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- 鉄矢多美子(てつや・たみこ)
- 福岡県に生まれる。成城大在学中から、硬式野球部のマネジャーを務めるかたわら、ウグイス嬢の道に。1977年にロッテ・オリオンズ球団(現在の千葉ロッテ・マリーンズ)に入社して、ウグイス嬢と広報担当を兼務。87年12月からフリーに。 野球のあるとこどこまでも、の精神で、日本国内はもとより、アメリカ大リーグをはじめ、キューバ、ドミニカ共和国、プエルトリコなどに足繁く通う。将来は野球をモチーフにした一大スペクタル小説を書くのが夢。著書は「サミー・ソーサ 心はいつもホームラン」(集英社インターナショナル)、「もっとカゲキにプロ野球」(講談社)、「素顔の野茂英雄」(小学館)、「熱球伝説」(岩波書店)。
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