清原 PL学園特集
PL学園 復刻ニュース
1985年08月22日
清原2発、PL2年ぶりの全国制覇
<全国高校野球選手権:PL学園4-3宇部商>◇1985年8月21日◇決勝
けたはずれの怪物、PL学園・清原和博一塁手(3年)がまたまた衝撃アーチを連発、PLに2年ぶり3度目のVをもたらした。4回清原の猛ライナーの同点ソロ。さらに6回にも連続打席で一大会5ホーマーの新記録弾を左中間140メートルに打ち込んだ。そして、3-3の同点で迎えた9回2死二塁から主将・松山がサヨナラ打を放ち、PLは劇的な勝利を収めた。怪物清原、甲子園20勝男の桑田は、今オフドラフトの注目度はさらに高まるのは必死。「過熱KK奪取!」の緊急連載をお届けする。
キヨマー清原のお陰だ。松山のサヨナラ・ヒットも、感動で震えた2年ぶりの優勝も。3-3で迎えた9回裏2死二塁、松山の打球が緑の芝生ではねる前に、清原はネクストバッターサークルを飛び出していた。右手に愛用のバットを持ち、両手を突き上げて突進だ。二塁走者の安本が、まだサヨナラのホームを踏んでいないうちから、清原は「やったあ」。すでに目は真っ赤だった。
「次の回にな、オレが打ったるから。楽にいってこいや」。9回裏2死二塁だった。打席の松山の肩に力が入っていたから、清原はこう声をかけた。バットで主将のオシリをドンとこづいてやった。マウンドの宇部商の古谷は、松山に“怪物”の幻影を見てしまった。精いっぱい投げた速球が、はじき返された。常識的には守りやすさから歩かせてもよかった。だが、古谷はチラつく清原の影におびえてしまっていたのだ。
清原の打球が軽々とスタンドに飛び込んでいったのは4回裏と6回裏だった。甲子園12号、宇部商・藤井と並ぶ一大会4本目の一発は、左翼ラッキーゾーンへ入った。逆風だった。それなのにライナーで飛び込むホームランになってしまう。甲子園13号、大会5号、それはバックスクリーン左のスタンド中段へぶち込む140メートル弾。もちろん大会5本は新記録。2試合続けての2打席連発も67回の大会史上初めてのことだ。
朝、目覚めた清原は「イテッ!」と顔をしかめていた。準決勝で打球を右足ふくらはぎに当て打撲。一夜明けて激痛が走った。なのに清原はグラウンドに入ると、平気な顔をして打席に入って、マウンドの古谷をにらみつけていた。「右足はテーピングでぐるぐる巻きだったんです」。痛みをこらえていたと、試合が終わって初めて話した清原だった。歓喜の抱きつき合いは延々を続いていた。清原はバットを突き上げたまま、押されて体をグルグル回されて、そこに桑田がいた。清原と桑田がしっかりと抱き合った。甲子園で初めて桑田が泣いた。
「ボクは3点までに抑えるよ。だから、みんな4点取ってな」。桑田がナインに頼んだ通りになった。1年生の夏から、チームは強かったからサヨナラゲームなんか初めてだ。劇的につかんだ甲子園20勝に、桑田は思いきり泣いていた。夏の甲子園で優勝2回、準優勝1回などほかにはいないのだ。やはり桑田も“怪童”だ。
「こんなこと、一生忘れられへん」。サヨナラのヒーロー松山主将が大粒の涙を流していた。アルプス席の前で、15人の手によって恩師・中村監督の体が何度も何度も宙を舞っていた。超高校級の清原、桑田の個人技をチームワークの力で一つに結びつけた中村野球は、みごとに大輪の花を開いた。「松山がよくチームをまとめた」こう絶句した中村監督。メガネの奥はキラリと光っていた。【宇佐見】
(1985年8月22日付日刊スポーツ)
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