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清原 オリックス特集

オリックス 復刻ニュース

2008年08月03日

清原引退決意「野球人生最後」の1軍復帰

 オリックス清原和博内野手(40)が2日、今季限りでの現役引退を決意し、最後の戦いに挑む意向を明かした。今日3日の後半開幕ソフトバンク戦(京セラドーム大阪)から約2年ぶりに1軍復帰。復帰会見で「もう来年、グラウンドには立てないと思います」と涙を浮かべ語った。これからの出場は8年連続Bクラスに沈むチームの優勝のために「玉砕」覚悟で戦い抜く思いを激白。PL学園、西武、巨人で一時代を築いた伝説の男が、壮絶な現役最終章を迎える。

 清原が涙を浮かべ悲壮な決意を語った。昨年7月に軟骨移植手術を受けた左ひざは限界に近く、「この状態では、もう来年はグラウンドに立てないと思います。明日からの1打席、1球が野球人生の最後と思ってバットを振りたいと思います」と話した。今日3日のソフトバンク戦から1軍に復帰する。この日の復帰会見では今季限りでの引退を決意し、最後の戦いに挑む意向を明かした。
 日米を問わず、軟骨移植手術から再起したプロ選手がいない中、2軍戦で2本塁打するなど“奇跡”を起こした。だが常に「いつ壊れてもおかしくない状況」で戦ってきた。家族には1週間前に決意を伝えた。リハビリの休日を利用して大阪・岸和田市の実家に帰り、両親と先祖のお墓参り。その際、清原は母を背負いながら、自らの決意を伝えた。「面と向かうとあれなんで…。母親をおんぶしながら、伝えました。泣いてました。両親に伝えた時が、一番つらかったです」。
 プロ生活の支えとなってくれた母弘子さん(67)の顔を見て、報告することはできなかった。すべてを背中で受け止め、涙にくれる母に1つだけしっかりと約束した。もう1度グラウンドに立って残りシーズン死力を尽くして戦う―。「チームも今、すごくいい位置にいます。玉砕の精神で魂を込めて、チームのために戦います。心技体の最後に残った心、魂でバットを振ります。明日、つぶれるか、どこまでひざが持つかは分からない。でもひざの持つ限り最後まで戦い、少しでも貢献したい」とハッキリ言った。
 代打での復帰が予定される今日の打席で、ひざが壊れる可能性もある。それでも自らのプレースタイルであるフルスイングの代償なら、悔いはない。ひざをかばいながら、プレーするつもりもない。死球に当たってでも出塁する覚悟。清原は毅然(きぜん)とした態度で「限界なら今、ユニホームは着ていない」と言葉に力を込めた。
 「心技体」の技と体は万全ではないが、心だけは折れていない。現役の集大成を魂のスイングに変え、最後はグラウンドで散る覚悟だ。「今まで経験したことのない、23年間で一番壮絶な戦いが始まります。1球1球魂を込めてスイングしますんで、ファンの方にはそれを見ていただければと思います」。3、4日は本拠地京セラドーム大阪でソフトバンクが南海の復刻ユニホームを着用する。くしくも清原が22年前にプロ初出場、初安打、初本塁打したのは南海戦。現役最終章の“開幕”には最高の相手となる。【松井清員】
 清原は「引退」の2文字を使わなかった。引退と口にすることで、最後の戦いに挑む自分の心まで折れてしまう。そして首脳陣やナイン、周囲も気を使う。Aクラスを目指して戦っているチームに、水を差したくなかった。ファン、球団への恩返しで「戦力」として戦いたい。持てる力がゼロになるまで出し尽くし、グラウンドで燃え尽きる覚悟を示したかった。
 ダブらせていたのは巨人を戦力外になった際、「オレがキヨの花道をつくったる」とオリックスへ誘ってくれた故・仰木彬元監督の姿だった。06年、がんと闘いながら最後まで指揮を執った。9月末の最終戦は西武ドームの長い階段を登れず、関係者に両脇を抱えられバックスクリーン横から出るほど病状は進行していた。死去はその2カ月半後だった。「仰木さんは死ぬまでグラウンドで戦った。だから僕も、最後まで投げ出すことはない。まだ何1つ、恩返しできていないんだから…」。引退の言葉を使うのは今季、壮絶な戦いを終えてバットを置く日だ。

 -1軍復帰に
 清原 2度左ひざを手術して2年間、苦しいリハビリを続け、ようやくこの日を迎えることができました。以前のような清原らしいバッティング、プレーができるのか正直、不安でいっぱいです。ぶざまな姿をさらけ出すかもしれません。PL、西武で何度も日本一を経験しましたが、巨人では9年間で2度しか優勝できず、中心打者として責任を感じていました。そんな矢先、突然戦力外通告を受け、オリックスに移籍させてもらいました。でも何1つ貢献できずここまできました。年齢、体を考えればクビになって当然です。でもここまで全面的にサポートしてくれた球団に心から感謝しています。
 -ひざの状態はよくない
 清原 グラウンドでの姿を見てもらえれば、万全でないことは分かると思います。2軍投手と対決した時はひざも腫れなかった。でも先日(トレーニングを積んできた)桑田投手と対戦した時は、たった30数球でたまった水が倍以上に増え腫れ上がりましたから。
 -復帰は本屋敷コンディショニングコーチが支えた
 清原 リハビリが(自分の都合で)朝8時から7時に変わっても、いつも僕より早く来てくれていました。辛くて行きたくない日もあったけど、アイツが待ってるから行こうと…。彼なしでここまでこれなかった。本当に感謝しています。

 ◆清原和博(きよはら・かずひろ)1967年(昭42)8月18日、大阪府生まれ。PL学園高1年から4番を打ち、桑田投手とともに5季連続で甲子園に出場。通算13本塁打を放ち、優勝2度、準優勝2度。85年ドラフト1位で西武入団。1年目から4番に座り打率3割4厘、31本塁打、78打点で新人王。96年オフにFA権を行使して巨人に移籍。04年に通算2000安打、05年に通算500本塁打を達成した。525本塁打は歴代5位。西武と巨人で通算10度のリーグ優勝と8度の日本シリーズ制覇に貢献した。05年オフに巨人を自由契約になり、オリックスに移籍。188センチ、104キロ。右投げ右打ち。家族は夫人と2男。今季推定年俸1億1000万円。

 巨人吉村2軍監督(PL学園の先輩) 直接聞いたわけじゃないからよく分からないが、長くやってほしいという気持ちは変わらない。後半戦は1軍の舞台に帰ってくると聞いているし、シーズンが終わってから考えたらいいんじゃないかな。

 中日辻2軍監督(西武時代の同僚) 先日、北神戸で会話をした。引退の話は出なかったが、打撃練習を見ていると、足の故障で思うような形で打てず、つらいんだろうなと思った。

 ソフトバンク王監督 来年のことを言っても仕方ない。今年(残り試合で)やってみて(来年)できるとなるかもしれない。ウチとしては対戦相手だからあまり活躍してもらっても困るが、いま彼が自分の打撃をすればみんな喜ぶ。彼はスターだし、球界に必要な存在。

 巨人村田コーチ 本人が決めたのならしょうがないけど、もう1度、ホームランを打つところを見てみたいねえ。

 巨人長嶋茂雄終身名誉監督(清原について)「やめるの? 指導者になるの? いい指導者になってもらいたいね」

 中日立浪 ちょっと前に電話で話したんですけど、見切り発車でやると言っていた。とにかく、無事にがんばってほしい。それだけです。僕がどうこういうことじゃないですけど、打ってほしいですね。

 ヤンキース松井秀喜「頑張って欲しい。何度も復活してきている方ですから。また派手に復帰して欲しいです」

 名商大・中村順司監督(PL学園時代の恩師) 高校時代、僕自身にとっても素晴らしい3年間を経験させてくれました。西武に入団したあとも応援してきましたし、これからも1ファンとして活躍を見守っていきます。

 オリックス松山守備走塁コーチ(PL学園時代の同僚) 引退表明に近い話は聞いた。これから先の試合は野球人として完全燃焼してほしい。状態を見る限り、プロ野球選手として野球ができる体調に戻っているように思う。最近はファンに影響を与えるプロ野球選手は少なくなったけど、最後に何を伝えてくれるか楽しみ。命をかけ、最後までやり遂げる覚悟だと思う。

 西武渡辺監督 同世代の選手には少しでも長くやって欲しいけど、こればっかりは仕方がない。寂しいけど、あれだけの選手は自分で決めることだから。
(2008年8月3日付日刊スポーツ)


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