清原 西武ライオンズ特集
西武ライオンズ 復刻ニュース
1990年09月24日
清原、秋山アベック弾で西武優勝
<西武9-3日本ハム>◇1990年9月23日◇西武
西武がV奪回した。清原、秋山のアベック弾日本ハムを破り、2年ぶりのリーグ優勝を果たした。
ウイニングボールを手にした清原が両手を広げ、マウンドに駆け寄る。ニッコリ白い歯を見せながらうれしいダッシュだ。もう一人、猛烈な勢いで走り始めた男がいた。秋山だ。中堅から胴上げの輪に遅れまいと懸命に突き進んだ。二人、AK砲が地元V決定の立役者だ。5万大観衆が次々と立ち上がり、優勝を確信したのは7回裏だった。まさに手負いの清原がこん身の力をこめてバットを振った。高々と舞い上がった白球がポールを巻く。自己最多、V決定のダメ押し36号。興奮のるつぼと化した西武球場のボルテージは最高潮に達した。
「左手が痛くてしびれていたんです。でも、最後まで出たかったから……」。気迫の一発だった。「きょうこそ決めてやる」と臨んだものの、初回の第1打席で出ハナをくじかれた。柴田のシュートが左手首を直撃。骨には異常はなかったが、しびれが激しくバットを振れる状態ではなかった。
そんな清原を奮い立たせたのが、秋山だった。この日、前日(22日)の3番から6番へ。いきなりの3失点で迎えた初回裏、清原が歩いた2死満塁で、そのバットが火を噴いた。左中間芝生席へ飛び込む逆転のグランドスラムだ。
「もう大きいやつ(本塁打)しか狙っていなかった。今季最高の一発だった」。秋山は喜びを隠せない。平和台、西武とさまよったV決定をやっと「本物」にする価値ある一撃。「チャンスに打てない」「頼りにならない」とレッテルを貼り続けられた秋山が、もうどうしても負けられない一戦でやってのけた大仕事。逆転キングの夢を乗せたアーチでもあった。
秋山が打てば負けられない。ここからがケガに強い清原の本領発揮だ。5回、四球で出塁。三塁まで進んだ清原は2死後、一塁走者のデストラーデと重盗を敢行。バットが振れなきゃ足でとばかり、鮮やかにホームスチールを成功させた。
「伊原さん(三塁コーチ)から思い切っていけと言われていたんです」としてやったり。これで盗塁は10個目。2ケタ盗塁という目標も成し遂げた。
故障との戦いだった。昨年からの腰痛が慢性化、4月15日のダイエー戦は右肩炎症で欠場した。そして今季も14個目という死球禍。しかし、不屈の根性で克服してきた。清原は以前、冷え性に悩む母・弘子さんに足温器をプレゼントしたことがある。そのとき、こう付け加えるのを忘れなかった。「あんまり機械にばかり頼ってちゃあかんで。自分の力で治す努力もせんと」。これぞ清原のケガに打ち勝つ信条だ。その姿勢が優勝を決める大一番で花開いた。「素晴らしい日に打てて最高だった。うれしいとしか表現のしようがありません」と声を弾ませた。
4月7日。AKアベックアーチで幕を開けペナントを最後も二人のバットで締めくくった。くしくも昨年の9月23日はロッテ平沼の死球に怒り、清原がバットを投げ退場となった日でもあった。その汚名を昨年の悔しさを1年後のこの日すべて晴らし、MVPをも決定的とする働きをみせた。
さあ次は巨人との日本シリーズ。「今回は前回(87年)と違ってジャイアンツの胸を借りる立場ですからね。ジャイアンツの胸に飛び込んで目いっぱい暴れたい」。87年のLG決戦。巨人を倒した清原は涙を流した。だが、もう泣かない。清原のチャレンジャー宣言にレオ戦士たちが大きくうなずいていた。【福田豊】
(1990年9月24日付日刊スポーツ)
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