清原 西武ライオンズ特集
西武ライオンズ 復刻ニュース
1988年10月23日
清原場外弾、あわや新幹線直撃
<日本シリーズ:中日1-5西武>◇第1戦◇1988年10月22日◇ナゴヤ
西武清原が特大アーチで第1戦勝利に貢献した。
ドラファンで埋まったスタンドが、あまりの衝撃音に一瞬、息をのんだ。中日ベンチを奈落(ならく)の底に突き落とすように、清原の超ド迫力アーチは60度の放物線を描いて、高く、ゆっくりとレフトスタンド場外に消えていく。もう少し飛距離があれば、ひかり号も直撃した? 豪快弾。歓声は広がらない。レオ党もア然とする。球場全体の視線がレフト後方に注がれたまま、清原はダイヤモンドを悠然と回った。異様なムードが漂う中、余韻を楽しむかのように。
シリーズ開幕を告げる2回の先制弾。プロ3年目で勝利打点の初タイトルを獲得した清原ならではの一発だった。
「会心の手ごたえ。打った瞬間、場外までいくんじゃないかと思った。あれぐらいは飛ぶと思ってましたよ」。だから、一塁へ踏み出す足が2歩目をしるした時、もう右手を高々と上げていた。
マウンドには、昨年まで同じユニホームを着ていた小野がいた。が、打席の清原には何の感情もなかった。初球は空振り。ところがこの空振りで「硬さがほぐれた」というのだからなんとも頼もしい。「今日はホームランを含む3安打、約束します、必ず」。試合前、広野コーチに公約していた。150メートル怪物弾は出るべくして出たのだった。
プロ入り依頼、3年連続のシリーズアーチ。あの長嶋サンだって新人の年からは2年しか続けて打っていない。長嶋サンは3年目、日本シリーズには出られなかった。強運児清原はm与えられたチャンスにパワーを誇示、球史にその名を刻み込んだのである。
バットだけではない。オールスターでしか経験のないバットコーナー(三塁)でも、華麗に躍動した。2回裏無死一塁。宇野の三塁ゴロをさばき、辻―安部と渡る併殺もやってのけた。清家のグラブを借りて守った三塁。無難にこなしてみせた裏には、森監督の「エラーをしたらオレの責任や」のひと言があった。
ひそかに「心の師」と仰ぐ落合の前での大活躍。シリーズ対策のため、一時は、落合と同じ型のバットで、日本一決戦に臨もうとした。が、慣れぬバットはやっぱりしっくりこない。「自分流で押し通そう」と決めた。そして、見事に示した成長の姿。
落合がセに去り、「パ・リーグの4番」としての責任もあった。「最後まで(優勝を)争った近鉄の皆さんのためにも、ぶざまなゲームはできんでしょう」。
シーズン中でさえ、お目にかかれない最高の当たりで、ビッグゲームのスタートを切った清原。「めちゃくちゃうれしいですわ」と移動バスに通じる三塁側スタンド前を、満面笑みで歩く。数少ないナゴヤ球場のレオ党から「いいぞ」「明日も頼むぞ」の声が飛んだ。笑顔がいっそうはじけた。そのスタンドには、大阪・岸和田から駆けつけた父・洋文さん(51)もいた。
「(MVPの)車が近づいたね」と報道陣に言われて、またニコッとほほ笑んだ顔には、まだ「21歳」のあどけなさが残っている。が、星野竜にはなんとも恐ろしい若者である。【渡辺】
(1988年10月23日付日刊スポーツ)
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