清原 巨人特集
巨人 復刻ニュース
2005年08月31日
清原、巨人からすでに戦力外通告
巨人清原和博内野手(38)の退団が30日、決定的となった。清原は31日に都内の病院で左ひざの手術を受けるが、関係者の話によると、来季も現役続行を希望する清原に対し、球団が来季の契約は結ばないことをすでに通告。他球団へ移籍できる自由契約にする方針を固めた。清原は9年間プレーした巨人と別れを告げ、来季は他球団へ移籍する可能性が高くなった。
巨人とはこういう運命にあるのか。関係者の話を総合すると、清原が球団から来季は契約しない通告を受けて、今季限りで退団することが決定的となった。この日、今日31日の左ひざの手術のため、都内の病院に入院。自らの去就問題には無言を貫いたが、表情は険しかった。
20年目のシーズンは順調にスタートしたが、5月11日にオリックス山口から受けた頭部死球を機に下降線をたどった。両太ももの張り、左ひざ痛などにも苦しみ、欠場や途中交代が相次いだ。開幕からBクラスに低迷したチームの責任を痛感し、シーズン最後までプレーを続ける覚悟はできていた。
しかし、今月13日に出場選手登録を抹消された。これが伏線だった。「足がちぎれるまでやりたい」と訴えた清原に、球団は治療専念の方針で2軍へ送った。清原の左ひざは「半月板損傷」の状態だったが、7月13日の中日戦中のアクシデントで悪化させている。今日31日の手術は内視鏡手術で30分ほどで終了。2年前には右ひざに同じ手術を受けたが、損傷部を除去すれば完治するものだ。
清原が最後までプレーを希望したのは熱狂的なファンの存在だった。万全の状態ではないにしても、30本塁打、100打点近くはクリアする自信を持っていた。打率は2割1分2厘と規定打席到達者の中では最低だが、22本塁打、52打点は離脱するまでチーム内ではベスト3の成績だった。だが球団はフル出場できない状態を考慮した上で若返りの方針を理由に抹消。清武球団代表はこの日「契約にかかわることは話す時期ではないよ」と明言を避けたが「言うべき時期がくると思う」と方針を固めていることを示唆した。
昨オフには清原が球団へ乗り込んで、去就について直談判をし球団は一時は構想外とした。だが1年契約が残っていることやファンの後押しもあって、残留が決定。熱いファンのためにプレー続行を希望したが、その希望もかなわない形で、清原は巨人のユニホームを脱ぐことになった。
清原の退団が決定的となったことで、ローズも来季構想から外れることが濃厚。桑田、江藤らベテラン勢の去就も微妙になってくる。清原は来季現役続行を希望する以上、他球団への移籍を模索するしかなくなったが、球団関係者には「そういう時期がきたら」と意味深な発言を漏らしている。現在シーズン中で他球団も静観するしかないが、正式退団となれば、金額面など条件次第では数球団が獲得へ名乗りを上げると見られる。
◆清原和博(きよはら・かずひろ)1967年(昭42)8月18日生まれ、大阪府出身。PL学園高1年から4番を打ち、桑田(巨人)とともに5季連続で甲子園に出場。通算13本塁打を放ち、優勝2度、準優勝2度。85年ドラフト1位で西武入団。1年目から4番に座り打率3割4厘、31本塁打、78打点で新人王。96年オフにFA権を行使して巨人に移籍。昨年6月4日のヤクルト戦で史上31人目の通算2000本安打、今年4月29日の広島戦で史上8人目の通算500本塁打を達成。西武と巨人で通算10度のリーグ優勝と8度の日本シリーズ制覇に貢献した。188センチ、104キロ。右投げ右打ち。
(2005年8月31日付日刊スポーツ)
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