清原 巨人特集
巨人 復刻ニュース
2005年04月30日
清原500号「一生忘れられない思い出に」
<広島-巨人>◇2005年4月29日◇広島
500号は真っすぐに伸びていった。清原は8回先頭で、カウント2-0から広池の144キロをフルスイング。29打席ぶり、通算8894打席目の1発は、美しいライナーとなって、清原らしくセンターバックスクリーンに吸い込まれた。
真っ赤に染まる満員の広島球場。広島ファンからも「キヨハラ」コールが起こり、拍手が送られた。ダイヤモンドを1周した清原はホームベースを踏むと、中堅、左翼に向かい、深々とお辞儀した。ベンチ前、堀内監督とは両手を握り合い、飛び出したナインからも祝福を受けた。一旦座り、タオルで汗をぬぐうと、再びグラウンドに飛び出し、両手の拳を天に突き上げファンの歓声にこたえた。敵も味方もない。男冥利に尽きる舞台だった。
清原 カープファンが圧倒的に多い中で、一生忘れられない思い出になった。広島ファンの方も、巨人ファンの方も声援してくれたので、グッときた。
一塁の守備に就くと、再び胸が熱くなった。守備位置の土に「おめでとう」のメッセージがあった。2000本安打にあと30に迫る広島野村が、指で書いたものだった。「それでまた、グッときた。うれしさが込み上げてきた」。清原も指で「ありがとう」の5文字を黒土に刻んだ。
あと1本に迫ってから7試合目。その間、チームは泥沼の6連敗で、4番の責任を背負い込んだ。体全体にのしかかる重圧…。「夢にうなされるような感じで、2時間おきに目が覚めた」。この日も午前3時に1度目覚め、午前6時にはベッドを離れた。浅い眠りを振り切るように、午前9時過ぎには広島市内のジムで汗を流した。本塁打を欲す本能がうずき、体を動かさずにはいられなかった。
500号はもちろん通過点。夢は続く。目標の選手の1人が、同じバットを使用する、あのバリー・ボンズ(SFジャイアンツ)だ。36歳で500号を達成、40歳の現在も704本塁打で、ケガと闘いながらメジャー記録の756本塁打を追い求める男。その姿が自らとたぶる。「あの豪快さと、圧倒的なパワー。あんなプレーヤーになりたいな。グラウンド外でドーピングが話題になっているけど、技がないと力だけでは本塁打は打てないから。みんなメジャー、メジャーって言うけれど、日本にもこんな力があるやつがいるところをみせたい」。
「夢」と表現した500号を、2000本安打ではかなわなかった勝ち試合で決めた。さらなる夢へ。清原の思いは、この日の打球と同じく、真っすぐに伸びていく。【金子航】
-待ち望んだ本塁打だったが
清原 そうですね。東京ドームで最後の1本になってからチームが負け続けた。まず勝てないのがつらかったです。最後の1本になってから、打席に入るたびに神経を使いました。でも、もう三振を恐れず振ってやれ、と。広池投手はすごく闘志のある投手なので、(カウント)2-0から速い球で勝負してくると思った。
-打った瞬間は
清原 2000本の時もうれしかったけど、今日はもっとうれしかったです。ホームランを期待されて入団して、途中でけがとかもありましたけど(500号は)絶対打ちたい数字だったので、すごくうれしい。
-バックスクリーンへの1発だった
清原 バッターとして、バックスクリーンに入るホームランは格別にうれしい。誰もいない空間に入っていくのがハッキリと見えますから。
-ホームランボールは戻ってきたのか
清原 ええ、あります。
-まずは家族に
清原 そうですね。家族に見せて、いろいろ分かち合えたらと。
数々の記録を達成してきた清原だが、その記念のバットやボールはほとんど手元にない。PL学園時代には甲子園で通算13本塁打を放ったが、高校2年の12月に死去した祖母のひつぎの中に、それまでの「6個」のホームランボールを入れている。「(祖母に)6個入れたから、その後に1本多い7本打たせてくれたと思ってるよ」。
通算400号のバットもそうだった。故障で苦しんで復活のきっかけとなったのが00年7月11日の広島戦で放った400本塁打だったが、その血と汗がにじんだバットは、亜希夫人の母が病気でなくなった際に「天国で見守ってくださいね。亜希はオレが幸せにします」とひつぎに入れた。そして昨年6月に達成した2000本安打のバットは、母弘子さんに「いつもいつも心配かけてごめんな。お母さんにもらってほしかった」と書き込んで贈った。
500本塁打のバットは亜希夫人、子供、両親の家族に贈ると決めている。この取材の際、亜希夫人も同席していたため「500本のバットはどうしようかな」とテレ隠しもあって言わなかったが、「亜希には苦労をかけているから。亜希と子供と両親のために持って帰る」。5月5日の5回目の結婚記念日に、間に合った。【平井勉】
▼清原が広島4回戦の8回、広池から今季8号を放ち、史上8人目の通算500本塁打を達成した。初本塁打は西武時代の86年4月5日南海2回戦で藤本修から打ち、通算2177試合、37歳8カ月で到達。年齢では王(巨人)野村(西武)に次ぐ3位の年少記録だ。入団以来19年連続2ケタ本塁打(張本に次いで2人目)を記録している清原だが、シーズン最多は90年の37本で、本塁打王を獲得したことがない。シーズン40本以上、本塁打王なしで500本塁打は張本(ロッテ)衣笠(広島)に次いで3人目になる。
▼史上最多の204人から本塁打を記録しているように誰からでも1発を打つ清原だが、もう1つの特長が広角アーチ。左翼へ引っ張ったのが243本で、中堅が114本、右翼が143本。500本以上の打者で3方向へ100本以上は清原しかおらず、3打席連発した01年6月9日阪神戦では右→中→左の順できれいに打ち分けた。右翼方向にも良く伸び、01年9月8日ヤクルト戦では東京ドームの右中間にある看板に流し打ちでぶつけている。また、満塁を10本、サヨナラも10本打つなど、貴重な場面での1発が目立つ。先制104本、同点42本、勝ち越し64本、逆転30本と、肩書付きの殊勲アーチが500本のうち48%にあたる240本。殊勲アーチの割合は落合(日本ハム)の46%を抑え500本以上の打者では最も多い。
清原の亜希夫人、長男正吾君、両親ら家族は都内の自宅でテレビ観戦した。500号達成に亜希夫人は「運命的なものを感じます。本当に良かった。家族みんなで手を合わせて祝うことができた。応援していただいたファンの方々には感謝しています」と涙ぐんだ。00年7月11日広島戦で400号を打った時も家族と両親が一緒にテレビ観戦していた。昨年11月の去就問題で揺れた時期には「悔いのないようにやってくれればいいです。私ら家族は信じてついていくだけです」。そんな家族の姿が清原の力になり、苦難を乗り越えての復活につながった。亜希夫人は現在、妊娠中で「主人が大仕事をやってのけましたから、次は私が頑張る番です」と感激していた。
○…清原の500号本塁打の記念グッズが発売される。手ぬぐい、刺しゅうサインボールなどが予定されており、詳細は巨人の球団ホームページで発表予定。写真付き切手シート、記念フィギュアなどの記念アイテムも発売する。問い合わせは、読売新聞東京本社スポーツ事業部商品開発課電話03・5159・5884まで。
◆清原和博(きよはら・かずひろ)1967年(昭42)8月18日生まれ、大阪府出身。PL学園高1年から4番を打ち、桑田(巨人)とともに5季連続で甲子園に出場。通算13本塁打を放ち、優勝2度、準優勝2度。85年ドラフト1位で西武入団。1年目から4番に座り打率3割4厘、31本塁打、78打点で新人王。96年オフにFA権を行使して巨人に移籍。西武と巨人で通算10度のリーグ優勝と8度の日本シリーズ制覇に貢献した。188センチ、104キロ。右投げ右打ち。
◆報奨金 清原の通算500本塁打達成の偉業に対し、巨人は報償金として1000万円を贈る。巨人での通算500本塁打達成が王貞治、落合博満に次いで3人目であることを高く評価した。
(2005年4月30日付日刊スポーツ)
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