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清原 巨人特集

巨人 復刻ニュース

2005年04月15日

清原史上初、200人斬り弾

<阪神-巨人>◇2005年4月14日◇甲子園
 巨人清原和博内野手(37)が、前人未到の記録を打ち立てた。阪神戦(甲子園)の5回、苦手の福原から左越えにダメ押しの3号ソロ。通算495号は、1発を見舞った投手が200人の大台に達する一撃となった。やられたらやり返す、の積み重ねが生んだ、男・清原らしい記録だ。チームも快勝し、最下位を脱出。首位阪神との差は2・5ゲームに縮まった。

 5-1とリードして迎えた5回1死。阪神福原の流れ落ちるスライダーに、清原は迷わず踏み込んだ。白球は風に乗り、そのままレフトスタンドへ消えた。ダメ押しの3号ソロ。ベンチで仲間の祝福を受けると、人さし指を突き立て、両手を天にかざした。あこがれのバリー・ボンズの姿に、自らを重ね合わせた。

 男の勲章が、また1つ増えた。福原からの1発で、これまでアーチを浴びせた投手の数が「200」に到達した。史上初の快記録に「あっ、そう。知らなかった。何でも1番なのはええこっちゃ」と笑った。以前にも「多くの投手から(本塁打を)打っているのは誇りに思っている」と語っていた。節目のプロ20年目にふさわしい、200人退治となった。

 バットマンとして20年間貫くポリシーがある。「やられたら、やり返す」。第1号は西武に入団したプロ1年目の86年4月5日、南海の藤本から放った。だが、次の対戦で死球を浴びた。立場こそ逆だが「やられたら-」の精神を体で覚えさせられた。運命なのか、この日も本塁打の前の打席で、福原から頭部に死球を受けていた。

 チームも福原に6連敗中だった。自らも昨季は、ペタジーニとの併用で不遇の立場にあり、わずか4度の対戦。しかも、3空振り三振1死球と苦杯をなめた。今年3月13日のオープン戦でも2打数1三振と牛耳られ「今年は逆にしたるよ。その可能性はあるわけやから」と意気込んでいた。これまでの、そして死球の借りを今季初対戦で豪快に返した。通算868本塁打の王(現ソフトバンク監督)が浴びせたのは183人止まり。495本で200人は、苦手投手をつくるまいというポリシーがあったからこそだ。

 バースデーアーチでもあった。この日は亜希夫人の36歳の誕生日で「気合、バリバリ入ってた」。結婚して5年、これで祝砲は2年連続3本目だ。毎年、誕生日プレゼントは買わない。その代わり「ホームランがプレゼントや」と男気を見せてきた。この日も、いつものように妻子のプリクラが張ってあるヘルメットをかぶり、見事な1発。「何よりのプレゼントになったわ」。主砲が、そのときだけは愛妻家の顔に戻った。

 今年初の伝統の一戦を、まずは勝ち越した。堀内監督は「すごい軽いスイングで振ってるんですけど、飛びましたね」と、連勝を決定づけた主砲の活躍を称えた。天敵相手に連打あり、1発攻勢ありの試合運びに「今年初めてじゃないですか、こんな楽なゲームは」とご満悦だった。8日ぶりに最下位からも脱出した。

 清原も「チームも勝ったし、最高。ええ1日やった。ホンマうれしい」と、この上ない表情で甲子園を後にした。何より大切な「4・14」という日を、自らのバットで球史に刻んだ。【金子真仁】
(2005年4月15日付日刊スポーツ)


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