清原 巨人特集
巨人 復刻ニュース
2004年12月01日
清原残留発表「一から出直す」
去就が注目されていた巨人清原和博内野手(37)が11月30日、東京・神田錦町の球団事務所で清武英利球団代表(54)と会談を行い、4年契約最終年の来季も残留することが決まった。清原は去就騒動で迷惑をかけたファンや球団に謝罪。ドラフト入団時に巨人の指名を受けず、涙を流した「運命のドラフト」と同じ日に決意したことを明かした。来季はプロ20年目。「集大成と思ってやる覚悟です。一から出直すつもりでファンの方へ恩返しする」と復活を誓った。一連の騒動は23日目で決着した。
男の夢を貫いた。
午後4時。清原が球団に姿を見せて清武代表と約20分間の会談に臨んだ。会談後の記者会見で「球団、監督、ファンの方に迷惑、ご心配をかけたことをおわびした」と謝罪の言葉を述べた上で、清原は巨人の一員として原点から出直す決意を言葉ににじませた。「希望した巨人でプレーできることに感謝してます。来季は巨人で最高の成績を残せるように頑張ります」。最後は同代表と握手を交わし、スッキリした表情を見せた。
オフに入ってから間接的に伝わってきた戦力外の情報。困惑の日々を断ち切るように11月8日、覚悟を決めて球団に乗り込んだ。「必要な戦力なのか。編成は球団か監督なのか」。家族や応援してくれる人々の意見にも耳を傾けた。それでも去就は決まらない。1カ月近く悩んだ胸の内には引退の二文字もよぎった。
清原 巨人のユニホームを脱ぐべきか、来年も巨人でプレーしていいのか悩んだ。昨年は体調が悪くて原監督が辞任された責任も感じていた。今年1年も故障(骨折)で3カ月近く戦列を離れ、その中でこのまま巨人でプレーしていいのか悩んだ。引退も考えた
直面した野球人生の岐路。残留しても来季出場の保証はない。それでも巨人でのプレーを選択したのは子供のころからの夢とファンの声援だった。
清原が明かす。「11月20日が1つのタイムリミットでした」。PL学園時代の85年11月20日はドラフト「運命の日」を指していた。相思相愛と思われた王巨人は同僚桑田を1位指名。涙を流した当時の思いを回想すると、このまま夢を終わらせることはできなかった。「巨人でやらなあかん」。決断に迷いはなかった。
11月23日のファン感謝デー。5万人観衆の「キヨハラコール」を受けてあらためて決意を固めた。「こんなに精神的に追い詰められたのは初めてだった」。逆境の中で逃げ出すわけにはいかなかった。それがこの男の生き方だった。
清原 ファンの声援に応えないでユニホームを脱ぐのはつらかった。2000本安打をはじめ、僕を支えてくれたのは大きな声援だった。来季は必ずプレーでグラウンドで、大きなホームラン、勝利に貢献するヒットで恩返しをしたいです。そんな気持ちをプレーで表現するのがプロ。それを示したいです。
ペタジーニが去っても、「スピード野球」の方針を掲げる堀内監督からレギュラーの座が保証されているわけではない。通算492本塁打の実績を捨ててでも、一から出直す。泥水を飲む覚悟で…。「置かれている状況が厳しいのは、認識しています。ただマイナスからのスタートになるかもしれないですが、必ずプラスに持っていく」。
確執がささやかれた堀内監督とはキャンプ前に調整について話し合いをする意向。「みなさん(報道陣)を通じて監督と話をするのは失礼だから、直接やります。もうスッキリしています」。来季は節目のプロ20年目。復活。それが応援してくれたファンへの最大の恩返しとなる。【平井勉】
(2004年12月1日付日刊スポーツ)
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