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   <title>www5：清原復刻ニュース</title>
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   <title>清原フルスイングで三振…神戸にさよなら</title>
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   <summary>＜オリックス７－１ソフトバンク＞◇１８日◇スカイマーク 　今季限りで引退するオリ...</summary>
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      ＜オリックス７－１ソフトバンク＞◇１８日◇スカイマーク
　今季限りで引退するオリックス清原が、フルスイングで神戸に別れを告げた。

      　スカイマークでの今季最終戦の８回、左足の蜂窩（ほうか）織炎発症後、１２日ぶりに代打で登場した。ファンが総立ちで声援を送る中、ニコースキーの１５０キロ真っすぐに空振り三振した。０６年８月２９日の西武戦で通算１２本目のサヨナラ本塁打、同２０本目のサヨナラ安打の日本記録をマークした場所。「この球場で（左ひざの）ケガをした。でもサヨナラの日本記録もつくれた。今はいい思い出しかない」。打席を去る際には、入る前と同じくヘルメットを脱ぎ、深々と一礼した。うっすらと涙が浮かんでいた。
（２００８年９月１９日付日刊スポーツ）
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   <title>清原引退試合で長渕剛が生「とんぼ」</title>
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   <published>2008-09-13T08:04:00Z</published>
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   <summary>　オリックス清原和博内野手（４１）の１０月１日ソフトバンク戦（京セラドーム大阪）...</summary>
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      　オリックス清原和博内野手（４１）の１０月１日ソフトバンク戦（京セラドーム大阪）後の引退セレモニーで、「アニキ」と慕う歌手長渕剛（５２）が清原のテーマソングでもある「とんぼ」を生でフルコーラス歌うことが１２日、明らかになった。球場では特大スピーカーを設置。清原の引退あいさつに長渕が熱唱で花を添える。
      　清原の幕引きを長渕が演出する。巨人時代から清原が打席でのテーマソングにしてきたのが、長渕の持ち歌の「とんぼ」だった。不遇の巨人時代、そしてオリックスでは度重なるケガとの闘い。心が折れそうになる度に、清原はとんぼを聴いてきた。
　「あの歌はオレの生き方と重なる。くじけそうになったら、とんぼで気持ちをリセットしての繰り返しやったな。ひと言では表現できない思いが、あの曲にはある」と、話したことがある。別れの際にも必ず口づさんできた。
　義母、オリックス仰木元監督の死、そして巨人との別れ…。カラオケが苦手の清原だが、「とんぼ」だけは歌った。よく歌詞の「東京のバカヤロー」に力を込めた。清原が愛した「とんぼ」への思いに、長渕がこたえる。９９年、長渕のコンサートで出会ってから意気投合。それ以来の付き合いで、清原は長渕を兄のように慕っている。９年前に長渕から贈られた詩絵は自らの「教訓」として自宅リビングに飾ってある。
　現在、清原は手術した左ひざ下から菌が入り、蜂窩（ほうか）織炎」で欠場中。最後の最後までケガと闘っている。長渕はこの日、そんな清原へエールを送った。
　「（とんぼは）今はオレの歌以上に清原和博の歌だ。一途な道を突き進もう、強くなろうとすればするほど人は傷つきやすいんだよ。（大手術で）片足を球団へささげて去っていくんだよ、和博は。だからオレは歌いにいきてえ。お疲れさまとかご苦労さまとか軽々しく言えるもんじゃねえ」。
　１０月１日のソフトバンク戦は超満員の３万人以上が予想される。ファン、長渕の「とんぼ」の大合唱で引退に花を添えるが、長渕は「和博は人の痛みが分かる男。（将来）きっといい監督になれるよ」と、第２の人生の出発を祝う歌にもなる。
　◇清原の自宅リビングに飾ってある長渕から贈られた詩額◇
　前略　
　清原和博様
　たまには病気
　もしないとね
　医者ももうかん
　ねえからな
　まだまだ九回裏じゃ
　あんめいし
　頑張れ！
　気合い
　気合い
　たまには休もうよ
　平成１１年８月６日
　　　　長渕剛
（２００８年９月１３日付日刊スポーツ）
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   <title>清原の引退試合が10・１のソフトＢ戦に決定</title>
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   <published>2008-08-20T08:02:55Z</published>
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   <summary>　今季限りで現役引退を表明したオリックス清原和博内野手（４１）の引退試合が１０月...</summary>
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      　今季限りで現役引退を表明したオリックス清原和博内野手（４１）の引退試合が１０月１日の今季最終戦となるソフトバンク戦（京セラドーム大阪）になることが１９日、分かった。引退セレモニー、引退会見も試合後に行われる。前日１８日の４１歳の誕生日に「最後のシーズン」と正式に引退表明したが、球団関係者は「清原選手は支えられてきたファンにきっちり報告したい思いがあるようです」と説明。１０・１の試合後に清原本人がマイクを持ち、ファンに引退の報告と感謝の気持ちを述べることが濃厚となった。
      　清原が生まれ育った地元大阪で野球人生の花道を飾る。現時点で今季最終戦の１０月１日のソフトバンク戦が最後のユニホーム姿になることが濃厚だ。悲願のクライマックスシリーズ進出へ、左ひざの故障をおして公式戦最後まで戦い抜くことを決意。現在Ｂクラスのチームは３位圏内が微妙な状況だが、「１０・１」が２３年間の現役生活の区切りの試合となる。
　清原の引退表明を受けて球団側も全面バックアップで盛り上げる。球団関係者は「こちらも球界の大功労者を誠心誠意、華々しく送り出したいです」と明かした。これまで６人しか達成していない２０００本安打＆５００本塁打＆１５００打点の大打者に敬意を表して、盛大な引退セレモニーを行う準備に入った。球団営業グループに「清原引退プロジェクトチーム」を結成。ドームビジョンで過去の勇姿映像を流すほか、清原の引退にふさわしい豪華企画を検討中だ。
　左ひざの故障が悪化した場合、また天候などによる日程変更で本拠地最終戦が延びた場合は変更される可能性があるが、清原本人も球団サイドも１０・１引退試合で一致している。３日の復帰戦でも京セラドーム大阪は満員となったが、引退試合となれば、背番号５の最後の勇姿をひと目見ようと過去にないヒートアップが予想される。
　涙か、それとも笑顔か…。バットを置く日、最後の清原節がドームを感激に浸らせる。
　○…オリックス宮内義彦オーナー（７２＝本社会長）は東京都内で１９日、清原が前日１８日に正式に引退を表明したことに「新聞を読んで知りました。残念です」と話した。今後は指導者として入閣を要請する可能性について「（現時点で）考えていません。（要請する）そういう時期ではない」と明言を避けた。これまでも１軍復帰した清原に、「当然、最後までやってもらわないと」と期待を寄せてきた。この日はスカイマークスタジアムで楽天１８回戦を観戦。すでに来季続投が決定している大石監督らを激励していた。

　○…「ＫＫコンビ」の元パイレーツ桑田真澄氏（４０＝野球評論家）が清原の本塁打を期待した。この日、７月下旬に打撃投手を務めたスカイマークスタジアムに仕事で訪れ、スタンドから試合観戦した。ＰＬ学園からの同期が引退を表明したことに「悔いのない１打席１打席を積み重ねていってほしい。彼の本塁打は、独特できれいなんで見てみたい」と話した。

　○…阪神金本が親交の厚いオリックス清原の「引退試合」観戦を望んだ。「最後の試合、引退試合には時間が許せば行きたい」と話した。同じスラッガーとして共感するところも多く、これまで幾度となく野球談議を重ねてきた。それだけに「残り試合で何とかホームランを見たい。お疲れさまじゃない。あと１本、ホームランを打ってください」。ともに球界を引っ張ってきた自負もある。「松井秀喜（ヤンキース）も『僕が何本打っても、あの人の１本には勝てない。あの人にはかなわない』と言っていた。スター性というか、あの選手しかできないことをやってきた」と振り返っていた。

　オリックス大石監督（清原の引退表明に）「野球界に長い間貢献した選手が自分で決断するのは大変なこと。気持ちを整理するのは大変だけど、良く決断したなと」
（２００８年８月２０日付日刊スポーツ）
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   <title>清原、702日ぶり復活打</title>
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   <published>2008-08-05T08:01:45Z</published>
   <updated>2008-09-22T05:16:38Z</updated>
   
   <summary>＜オリックス－ソフトバンク＞◇２００８年８月４日◇京セラドーム大阪 　左ひざ軟骨...</summary>
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      ＜オリックス－ソフトバンク＞◇２００８年８月４日◇京セラドーム大阪
　左ひざ軟骨移植手術から再起したオリックス清原和博内野手（４０）が、魂の復活安打を放った。ソフトバンク戦の７回１死一塁の場面で代打で登場。三瀬の１３７キロ直球を中前へ運んだ。０６年９月２日ロッテ戦で３ランを放って以来、７０２日ぶりの１軍安打。清原はヘルメットをとって総立ちのスタンドにこたえた。
      　前日、ロッカー前通路を埋め尽くしていた花輪は、跡形もなかった。「お祝いは１日だけでいい」。撤去を願い出たのは清原だった。復帰戦の三振後「今度は結果を出す」と誓った通り、結果にこだわった。１点を追う展開。バットもいつもより半握り短く持った。清原の執念打をきっかけにこの回逆転。結局は再逆転を許したが、復活を祝う拍手は鳴りやまなかった。
　昨年６月、コリンズ前監督の勧めで行ったロサンゼルスの病院で医師から衝撃の言葉を投げつけられた。「Ｙｏｕ　ａｒｅ　ｏｌｄ　ｍａｎ（きみは老人だ）」。９４年、ジョージ・フォアマンが４５歳でＷＢＡ世界ヘビー級王座に挑んだ。その時、王者モーラーがぶつけた言葉と同じだった。
　それほど左ひざは絶望的な状況だった。だが清原は言った。「でもフォアマンは勝ったやないか」。フォアマンは奇跡の１０回ＫＯ勝ちで、ヘビー級最年長王座となって返り咲いた。「オレと一緒に奇跡を起こしてくれ！」。同行していた本屋敷コンディショニングコーチに言った。今年２月、２軍高知キャンプに持ち込んだのはフォアマンのＤＶＤ。そしてこの夜、同じ言葉をはかれた男も「奇跡」を起こした。
　今日５日はオリックスから急転ソフトバンク入りしたパウエルが先発する。当時「登録名はＯＫＡＮＥや」と怒った男は、この日の敗戦に無言を貫き、新たな標的を見据えた。今季限りで引退の決意は固めた。しかし体の中には、熱いものがたぎっている。【松井清員】

　○…２日続けて一塁側で観戦した家族も清原のヒットに感激でいっぱいだった。父洋文さん（６９）と拍手を送った母弘子さん（６７）は「本当によく打ちました。昨日はバットとボールがだいぶ空いてたのに…。頑張ってよくここまできました」と目を潤ませた。弟幸治さん（３７）も立ち上がって拍手。亜希夫人（３９）も２人の息子を抱き「きょうは打ってくれそうな気がしていました。ここまで支えてくださった皆さんに感謝です」と目を潤ませていた。
（２００８年８月５日付日刊スポーツ）
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   <title>清原、695日ぶり三振復帰</title>
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   <published>2008-08-04T08:00:22Z</published>
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   <summary>＜オリックス－ソフトバンク＞◇２００８年８月３日◇京セラドーム大阪 　清原がフル...</summary>
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      ＜オリックス－ソフトバンク＞◇２００８年８月３日◇京セラドーム大阪
　清原がフルスイングで帰ってきた。左ひざを手術したオリックス清原和博内野手（４０）がソフトバンク戦の７回に代打で出場した。１軍出場は０６年９月８日日本ハム戦以来１年１１カ月、実に６９５日ぶりだった。初球から力強いスイングで、満員３万超の観衆から総立ちで拍手を受けた。空振り三振に終わったが、２日に引退の決意を明かした背番号５の熱く激しい最後の戦いが始まった。
      　代打清原のコールにドームが揺れた。「とんぼ」のＢＧＭに３万人を超える観客が総立ちとなった。左ひざの大けがを経て、清原が１年１１カ月ぶりに１軍舞台に帰ってきた。「やっとここまで来たんだと…。王さんの顔も見えたけど頭が真っ白。投手の顔も見えなかったし、構えることができなかった。こんなん野球やってて初めてだった。２―２の緊迫した場面でプロとしては失格ですけど」。７回、先頭で打席に入った。感極まっていた。
　「３球とも振ろうと思っていました」。初球、１４４キロの真っすぐを豪快に空振りすると、またドームが沸いた。２球目はこん身のスイングでファウル。ボール２球の後、最後はボール気味の１４０キロ真っすぐにバットは空を切った。
　引退を決意した男の魂の三振。敵味方区別ないスタンディングオベーションに、ヘルメットを掲げて応えた。「拍手もうれしかったし、歓声もすごかった。頑張ってきてよかった。（軟骨移植手術から再起という）日本でもアメリカでもやったことのないことをやった充実感がある。いろんな修羅場をくぐってきたけど、こういう気持ちは初めて」。
　兵庫・芦屋市の自宅は「穴だらけ」だという。リハビリにイラ立ち、拳で殴ったり、物を投げつけたりした。支えは家族の存在だった。長男の正吾君（５）は昨年の七夕、短冊に「パパの足が治りますように」と書いていた。物心がつき始めたばかりの次男勝児君（３）はケガばかりの姿しか知らない。寝顔を見ながら「この子にも、ホームランを打っているところを見せてあげたい」と涙が出た。穴の空いた壁は家族の写真や子どもが描いた絵でふさいだ。もう１度グラウンドに立つと固く誓った。５月からは酒を断った。
　８月３日が清原のお正月。シーズン開幕恒例、亜希夫人（３９）お手製のタイの尾頭付きと赤飯を平らげ出陣した。「ボール球も振った。明日からは結果を出せるよう精いっぱいやっていく」。復活の儀式はこれでおしまい。チームは負けた。今度こそ勝利へ導く１発を放つ。【松井清員】

　マリナーズ・イチロー外野手（３４）は２日（日本時間３日）、オリックス清原の決意を重く受けとめた。「公にするということは相当な覚悟であるなぁというふうに思いましたね。無理はできない状態の可能性もあるので、その場合はつらいですけど、無理をできるなら無理して欲しいですね」。イチロー流の言い回しでエールを送った。
　野球に対する姿勢を含めて尊重し合う仲。少し前にも電話で話したという。「ヒザの状態のことはちょっと聞いていた。まぁ僕が感じてたことよりももっとなんか重い感じととらえたので」と思いやった。
　清原の復帰を心待ちにしていた。「復帰して打席に立つ姿を楽しみにしてますけどね。その後の状態次第ではね、その気持ちが変わることなんてあり得るだろうし。僕はだからプレーする姿を楽しみにしているってことです」。祈るかのように話していた。（シアトル＝木崎英夫通信員）

　レッドソックス松坂大輔投手（２７）が２日（日本時間３日）、オリックス清原の来季以降の現役続行を望んだ。インターネットで清原の記事を読み、複雑な表情でメッセージを送った。
　松坂　「玉砕するつもりでやる」とお話しされていましたが「玉砕」などしてほしくないです。僕らの時代は、みんな清原さんにあこがれて野球を始めました。桑田さんが引退して清原さんまでそうなると、本当に寂しくなります。
　みけんにしわを寄せ、熱のこもった口調で真剣に願った。
　松坂　１歩進んでは２歩下がる、一進一退の状態で故障と戦ってこられましたし、体を大事にされて、まだまだ続けてほしいです。
　３日（同４日）はアスレチックス戦に登板する。数々の強打者との戦いを繰り返して米国に渡った松坂。清原の今後について、黙って見過ごせない感情が込められていた。（ボストン＝山内崇章）
（２００８年８月４日付日刊スポーツ）
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   <title>清原引退決意「野球人生最後」の１軍復帰</title>
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   <published>2008-08-03T07:58:49Z</published>
   <updated>2008-09-22T05:13:17Z</updated>
   
   <summary>　オリックス清原和博内野手（４０）が２日、今季限りでの現役引退を決意し、最後の戦...</summary>
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      　オリックス清原和博内野手（４０）が２日、今季限りでの現役引退を決意し、最後の戦いに挑む意向を明かした。今日３日の後半開幕ソフトバンク戦（京セラドーム大阪）から約２年ぶりに１軍復帰。復帰会見で「もう来年、グラウンドには立てないと思います」と涙を浮かべ語った。これからの出場は８年連続Ｂクラスに沈むチームの優勝のために「玉砕」覚悟で戦い抜く思いを激白。ＰＬ学園、西武、巨人で一時代を築いた伝説の男が、壮絶な現役最終章を迎える。
      　清原が涙を浮かべ悲壮な決意を語った。昨年７月に軟骨移植手術を受けた左ひざは限界に近く、「この状態では、もう来年はグラウンドに立てないと思います。明日からの１打席、１球が野球人生の最後と思ってバットを振りたいと思います」と話した。今日３日のソフトバンク戦から１軍に復帰する。この日の復帰会見では今季限りでの引退を決意し、最後の戦いに挑む意向を明かした。
　日米を問わず、軟骨移植手術から再起したプロ選手がいない中、２軍戦で２本塁打するなど“奇跡”を起こした。だが常に「いつ壊れてもおかしくない状況」で戦ってきた。家族には１週間前に決意を伝えた。リハビリの休日を利用して大阪・岸和田市の実家に帰り、両親と先祖のお墓参り。その際、清原は母を背負いながら、自らの決意を伝えた。「面と向かうとあれなんで…。母親をおんぶしながら、伝えました。泣いてました。両親に伝えた時が、一番つらかったです」。
　プロ生活の支えとなってくれた母弘子さん（６７）の顔を見て、報告することはできなかった。すべてを背中で受け止め、涙にくれる母に１つだけしっかりと約束した。もう１度グラウンドに立って残りシーズン死力を尽くして戦う―。「チームも今、すごくいい位置にいます。玉砕の精神で魂を込めて、チームのために戦います。心技体の最後に残った心、魂でバットを振ります。明日、つぶれるか、どこまでひざが持つかは分からない。でもひざの持つ限り最後まで戦い、少しでも貢献したい」とハッキリ言った。
　代打での復帰が予定される今日の打席で、ひざが壊れる可能性もある。それでも自らのプレースタイルであるフルスイングの代償なら、悔いはない。ひざをかばいながら、プレーするつもりもない。死球に当たってでも出塁する覚悟。清原は毅然（きぜん）とした態度で「限界なら今、ユニホームは着ていない」と言葉に力を込めた。
　「心技体」の技と体は万全ではないが、心だけは折れていない。現役の集大成を魂のスイングに変え、最後はグラウンドで散る覚悟だ。「今まで経験したことのない、２３年間で一番壮絶な戦いが始まります。１球１球魂を込めてスイングしますんで、ファンの方にはそれを見ていただければと思います」。３、４日は本拠地京セラドーム大阪でソフトバンクが南海の復刻ユニホームを着用する。くしくも清原が２２年前にプロ初出場、初安打、初本塁打したのは南海戦。現役最終章の“開幕”には最高の相手となる。【松井清員】
　清原は「引退」の２文字を使わなかった。引退と口にすることで、最後の戦いに挑む自分の心まで折れてしまう。そして首脳陣やナイン、周囲も気を使う。Ａクラスを目指して戦っているチームに、水を差したくなかった。ファン、球団への恩返しで「戦力」として戦いたい。持てる力がゼロになるまで出し尽くし、グラウンドで燃え尽きる覚悟を示したかった。
　ダブらせていたのは巨人を戦力外になった際、「オレがキヨの花道をつくったる」とオリックスへ誘ってくれた故・仰木彬元監督の姿だった。０６年、がんと闘いながら最後まで指揮を執った。９月末の最終戦は西武ドームの長い階段を登れず、関係者に両脇を抱えられバックスクリーン横から出るほど病状は進行していた。死去はその２カ月半後だった。「仰木さんは死ぬまでグラウンドで戦った。だから僕も、最後まで投げ出すことはない。まだ何１つ、恩返しできていないんだから…」。引退の言葉を使うのは今季、壮絶な戦いを終えてバットを置く日だ。

　－１軍復帰に
　清原　２度左ひざを手術して２年間、苦しいリハビリを続け、ようやくこの日を迎えることができました。以前のような清原らしいバッティング、プレーができるのか正直、不安でいっぱいです。ぶざまな姿をさらけ出すかもしれません。ＰＬ、西武で何度も日本一を経験しましたが、巨人では９年間で２度しか優勝できず、中心打者として責任を感じていました。そんな矢先、突然戦力外通告を受け、オリックスに移籍させてもらいました。でも何１つ貢献できずここまできました。年齢、体を考えればクビになって当然です。でもここまで全面的にサポートしてくれた球団に心から感謝しています。
　－ひざの状態はよくない
　清原　グラウンドでの姿を見てもらえれば、万全でないことは分かると思います。２軍投手と対決した時はひざも腫れなかった。でも先日（トレーニングを積んできた）桑田投手と対戦した時は、たった３０数球でたまった水が倍以上に増え腫れ上がりましたから。
　－復帰は本屋敷コンディショニングコーチが支えた
　清原　リハビリが（自分の都合で）朝８時から７時に変わっても、いつも僕より早く来てくれていました。辛くて行きたくない日もあったけど、アイツが待ってるから行こうと…。彼なしでここまでこれなかった。本当に感謝しています。

　◆清原和博（きよはら・かずひろ）１９６７年（昭４２）８月１８日、大阪府生まれ。ＰＬ学園高１年から４番を打ち、桑田投手とともに５季連続で甲子園に出場。通算１３本塁打を放ち、優勝２度、準優勝２度。８５年ドラフト１位で西武入団。１年目から４番に座り打率３割４厘、３１本塁打、７８打点で新人王。９６年オフにＦＡ権を行使して巨人に移籍。０４年に通算２０００安打、０５年に通算５００本塁打を達成した。５２５本塁打は歴代５位。西武と巨人で通算１０度のリーグ優勝と８度の日本シリーズ制覇に貢献した。０５年オフに巨人を自由契約になり、オリックスに移籍。１８８センチ、１０４キロ。右投げ右打ち。家族は夫人と２男。今季推定年俸１億１０００万円。

　巨人吉村２軍監督（ＰＬ学園の先輩）　直接聞いたわけじゃないからよく分からないが、長くやってほしいという気持ちは変わらない。後半戦は１軍の舞台に帰ってくると聞いているし、シーズンが終わってから考えたらいいんじゃないかな。

　中日辻２軍監督（西武時代の同僚）　先日、北神戸で会話をした。引退の話は出なかったが、打撃練習を見ていると、足の故障で思うような形で打てず、つらいんだろうなと思った。

　ソフトバンク王監督　来年のことを言っても仕方ない。今年（残り試合で）やってみて（来年）できるとなるかもしれない。ウチとしては対戦相手だからあまり活躍してもらっても困るが、いま彼が自分の打撃をすればみんな喜ぶ。彼はスターだし、球界に必要な存在。

　巨人村田コーチ　本人が決めたのならしょうがないけど、もう１度、ホームランを打つところを見てみたいねえ。

　巨人長嶋茂雄終身名誉監督（清原について）「やめるの？　指導者になるの？　いい指導者になってもらいたいね」

　中日立浪　ちょっと前に電話で話したんですけど、見切り発車でやると言っていた。とにかく、無事にがんばってほしい。それだけです。僕がどうこういうことじゃないですけど、打ってほしいですね。

　ヤンキース松井秀喜「頑張って欲しい。何度も復活してきている方ですから。また派手に復帰して欲しいです」

　名商大・中村順司監督（ＰＬ学園時代の恩師）　高校時代、僕自身にとっても素晴らしい３年間を経験させてくれました。西武に入団したあとも応援してきましたし、これからも１ファンとして活躍を見守っていきます。

　オリックス松山守備走塁コーチ（ＰＬ学園時代の同僚）　引退表明に近い話は聞いた。これから先の試合は野球人として完全燃焼してほしい。状態を見る限り、プロ野球選手として野球ができる体調に戻っているように思う。最近はファンに影響を与えるプロ野球選手は少なくなったけど、最後に何を伝えてくれるか楽しみ。命をかけ、最後までやり遂げる覚悟だと思う。

　西武渡辺監督　同世代の選手には少しでも長くやって欲しいけど、こればっかりは仕方がない。寂しいけど、あれだけの選手は自分で決めることだから。
（２００８年８月３日付日刊スポーツ）
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   <title>桑田魂が清原へ、最後の対決38球</title>
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      　オリックス清原和博内野手（４０）と元パイレーツ桑田真澄氏（４０＝野球評論家）の「ＫＫコンビ」が復活した。２９日、昨年７月の左ひざ軟骨移植手術から再起した清原の１軍復帰を桑田氏が打撃投手で後押し。清原の依頼に桑田氏が快諾し、スカイマークスタジアムで“ＫＫ対決”が実現した。激励を受けた清原は「魂をもらった」と現役生活を完全燃焼する構え。８月３日のソフトバンク戦（京セラドーム大阪）にも１軍復帰するが、最高のパートナーに力をもらって戦う準備を整えた。
      　清原は桑田氏が投げるボールを１球１球気持ちを込めてはじき返した。「これは行ったやろ」。右翼席への１発に、マウンドの桑田氏が舌を出す。空振りを取られると今度は清原が苦笑いした。９４年１０月２７日、西武と巨人の日本シリーズ第５戦以来、実現したＫＫ対決。打撃投手での対決はＰＬ学園、巨人時代もなく初めてだった。
　貸し切りのスカイマークスタジアムは、２人だけの空間だった。１８・４４メートルの距離に、ＫＫコンビの熱い友情が復活した。
　清原　生涯最高の練習だったと思います。人生で、こんな素晴らしい投手と対決することはもうない。
　桑田氏　高校１年生の時に彼と知り合ってなかったら、早くに野球辞めていたと思う。先に引退したけど、今までの感謝の気持ちを込めて投げさせてもらった。
　左ひざの故障から再起した清原は、３１日に約２年ぶりに１軍合流する。「桑田のボールを打ってから上がりたい」思いに、桑田氏がこたえた。桑田氏はパイレーツのユニホームで登場。引退の身ながら、前日まで連日ランニングや投球練習など、調整してきた。最高の形で復帰戦に贈る“応援球”を投げ込んだ。
　桑田氏　おそらくプロとしてのボールは今年しか投げられない。アマチュアのボールは彼に対して投げたくなかった。彼に最後投げるまではトレーニングも力を抜けないと、モチベーションを上げました。つらい時は彼の顔を思い出しながら最後は絶対、彼に投げるんだという気持ちでした。
　全３８球のラスト７球はガチンコ勝負だった。「真剣に投げてくれ」。清原の願いに桑田氏がうなずいた。初球ボールの後、ファウル、空振りでカウント２－１。そこから清原は右翼線へ１本、ネット裏へ２本のファウルで粘った。そして７球目、桑田氏は９４年日本シリーズ第５戦でバックスクリーンにたたき込まれた「真ん中高めの真っすぐ」で勝負を挑んで、清原は豪快な空振り三振に倒れた。次の瞬間、２人には笑顔で歩み寄って「ありがとう」と抱き合った。
　清原　最後は真剣に振ったし、今持ってる力を出し切った。決着もついたし桑田に背中を押してもらって怖いものはない。
　実は直前、桑田氏の左足首を鋭いライナーが直撃していた。だが桑田氏はコールドスプレーをかけて再びマウンドに立った。大きく腫れた左足。清原は泣きそうになっていた。
　清原　あの時点ですぐ病院に行った方がいいというくらいの打球。でも当たっても痛い顔１つせずに…。桑田の魂をもらった。桑田の魂を胸に１球１球これから頑張っていきたい。
　桑田氏　最後に痛いお土産ももらったけど、これも記念になる。２年間つらかったことのすべてをバットに込めて、彼らしいホームランを１本見たいですね。
　１５歳の春に出会って２５年目。ＫＫの「魂」が１つになって、清原が復帰舞台に挑む。【松井清員】

　○…８月３日にも１軍昇格する清原の起用法にオリックス大石監督代行は、まずは代打スタートの方針を示した。この日、「最初は当然、代打ですよ」と話した。清原復帰で、これまで指名打者出場が多かったローズが守備に就く回数も増える可能性があるが、「大丈夫と思いますよ。守る可能性が出てきたからといって、こっちから『練習してくれ』ということはないですね」と心配していなかった。

　◆ＫＫコンビ復活　９５年に右ひじを手術した桑田の復活登板となった９７年４月６日ヤクルト戦（東京ドーム）。この年、西武から巨人へＦＡ移籍した清原は４番一塁で先発出場。「今日は特別な日なんや。何が何でも打って援護したらなアカンのや」と、清原は３回に増田から巨人移籍１号アーチ。桑田は６回を１失点に抑え、９５年５月２４日阪神戦（東京ドーム）以来、６８３日ぶりの勝利投手となって、２人でお立ち台に立った。
　この２人に言葉はいらなかった。ＰＬ学園時代からエリート街道を歩んできた。８５年のドラフトでは清原が入団を熱望する巨人に、桑田氏が指名される因縁もあった。そのコンビがもう４０歳。清原は桑田氏との関係に「お互い本当に分かち合えるようになったのは、２人が巨人を出されてからかもなあ。どっちかがジャイアンツのユニホームを着てると、お互いどっかに心の傷が残ってたと思う」と言ったことがある。
　清原は０５年、桑田氏は０６年オフに構想外という形で巨人を退団した。栄光から挫折…。それ以降、２人ともケガでもがき苦しんだ。しかし、苦境に立ったからこそ、見えてくるものや分かるものがたくさんあった。昨年、メジャー挑戦した桑田氏が右足首をねんざして戦列を離れた際、清原は手紙を送った。桑田氏はすぐに国際電話で、逆に左ひざリハビリ中の清原を激励した。これまでは、なかなか出せなかった本音で話せるようになった。球界では「ＯＮ」に続く「ＫＫ伝説」。２人の感性でしか分からない世界がそこにあった。
（２００８年７月３０日付日刊スポーツ）
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   <title>清原８・３ソフトバンク戦で１軍復帰へ</title>
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   <published>2008-07-28T07:55:25Z</published>
   <updated>2008-09-22T05:11:51Z</updated>
   
   <summary>　左ひざ手術のリハビリなどで２軍調整していたオリックス清原和博内野手（４０）が、...</summary>
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      　左ひざ手術のリハビリなどで２軍調整していたオリックス清原和博内野手（４０）が、球宴明けの８月３日のソフトバンク戦（京セラドーム大阪）にも１軍復帰する。２７日、大石大二郎監督代行（４９）が１軍復帰を明言。３１日から１軍練習に合流後、最終的な日程を決める。１軍の試合出場は０６年９月８日が最後。約２年のブランクを乗り越え、ついに清原がグラウンドに帰ってくる。
      　ついに清原が１軍の試合に復帰する。大石監督代行はこの日、「３１日から本隊（１軍）に合流します。もしかしたらホークス戦から（昇格）という形になると思います」と明かした。１軍合流できる段階との申告を受け、球宴中の練習で最終決定する。起用法については「本人と話してから」としながらも、「打つ方で貢献してもらいたい」と大きな期待を込めた。
　一緒にリハビリを行ってきた本屋敷コンディショニングコーチも「手術前からひざの痛みがゼロになることはないと言われていました。完全な状態ではないですが、階段を１歩ずつ上がってきた結果、１軍で勝負できる動きが可能なレベルまできたと報告し、合流ということになりました」と説明した。
　左ひざを負傷した０６年９月８日を最後に１軍の舞台を離れ、約２年の月日が流れた。昨年７月、日米のスポーツ選手では再起した例のない軟骨移植手術を決断。「もう１度ホームランを打って、手術したこの足でベースを１周したい。だれもやったことのないことに挑戦している」と、奇跡を信じ故障と闘ってきた。
　今年５月に２軍戦で実戦復帰したが、今度は右ひじ痛を起こした。７月に再復帰し、２軍で結果を出した。ここまで慎重に調整してきたのも約２年で失った実戦感覚を取り戻し、ベストパフォーマンスを見せるためだった。２軍で２本の本塁打を放っても妥協はなかった。
　オリックスへ誘ってくれた故仰木元監督への恩返しがある。「チームを優勝に導くことが、恩返しですから」。最短復帰の８月３日は、相手のソフトバンクが南海の復刻ユニホームを着る。プロ初本塁打は８６年の南海戦の因縁もある。チームは３位まで２・５差とクライマックスシリーズ進出も射程圏内。さまざまな思いを胸に、清原が帰ってくる。
（２００８年７月２８日付日刊スポーツ）
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   <title>野茂引退、清原胸中激白「つらい」</title>
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   <published>2008-07-19T07:53:41Z</published>
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   <summary>　オリックス清原和博内野手（４０）が「平成の名勝負」を演じた野茂英雄投手（３９＝...</summary>
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      　オリックス清原和博内野手（４０）が「平成の名勝負」を演じた野茂英雄投手（３９＝前ロイヤルズ）の現役引退を惜しんだ。１８日、２軍戦のウエスタン・サーパス－中日戦の試合前に、北神戸あじあさいスタジアムで会見。「自分のボールで勝負できる最後の投手だった」と、同じ大阪府出身で１学年下のミスタートルネードの引退を残念がった。９０年から９４年まで、西武と近鉄で対戦した成績は、１１８打数４２安打で打率３割５分６厘、１０本塁打、２７打点、３４三振。野茂の初奪三振は清原だった。
      　野茂の引退に、清原も大きなショックを受けていた。引退を報じる前夜のニュースに、野茂の寂しそうな後ろ姿が映っていた。
　清原　石田さんの訃報（ふほう）といい、野茂の引退といい…。死闘を繰り広げた投手がいなくなるのは僕自身、つらいですね…。
　１５日には、８４年夏の甲子園決勝で戦った取手二のエース・石田文樹さんが死去。この春には盟友桑田も引退と、同世代の残念なニュースが相次いだ。そして今度は「平成の名勝負」を演じた最大のライバルの引退した。
　１番の思い出に西武５年目、野茂との初対決を挙げた。９０年４月１０日の藤井寺球場。いきなり初回無死満塁で４番に打順が回った。
　清原　同じ大阪でも高校３年間は１度も野茂の名前は聞こえて来なかった。でも打席からマウンドを見たら仁王立ち。大阪にこんな大きい、スゴイやつがいたのかと衝撃を受けました。
　野茂はプロ初登板。だが新人は憶（おく）せず２－１と追い込み、清原は真っすぐで空振り三振に倒れた。日米３１２２奪三振。奪ったプロ初三振が「平成の名勝負」の始まりだった。
　清原　何でここでフォーク投げないのかな、フォークなら僕は簡単に三振するのに、という場面でも真っすぐ勝負を挑んで来る男でした。それで近鉄が優勝を逃した年もあったと思う。
　当時、両球団は毎年優勝を争っていた。西武は野茂を打つこと、近鉄は清原を抑えることが優勝への近道だった。だが野茂は「清原さんとの対戦はカーッと燃える。真っすぐで打ち取りたい」との信念があった。当時の近鉄仰木監督も「お客さんのためのプロ野球」と勝敗の域を超えた、若者同士の「フルスイングＶＳ真っすぐ勝負」を認めた。清原は同年８月５日の対戦で野茂から１５０号本塁打を記録。スタンドは三振かホームランかで沸き、清原も燃えた。自分を育ててくれたのは「サムライ魂を持った投手」だった。
　清原　メジャーでもストレート勝負する姿は、やっぱり野茂だった。自分のボールで勝負できる最後の投手かも知れない。今の若い子らは“禁じ手”というか、満塁でも（交わそうと）クイックで投げる投手もいる。赤星のように足の速い走者がいる場合は別だけど…。偉大な投手。同じ時期に対戦できて幸せでした。
　投手を成長させるのが打者なら、打者を成長させるのも投手。野茂の大きさを改めて感じつつ、名勝負が減った現代野球への注文を忘れなかった【松井清員】
　◇オリックス清原一問一答◇
　－野茂が現役を引退した
　清原　あれだけのことをやっても「悔いが残る」とコメントしてましたね。だれも成し遂げていないことをやってのけた男でも、そう感じるのか…。改めて野茂のスゴさを感じました。
　－野茂も野球を愛してた
　清原　小学校から始めた野球が、本当に好きなんだなと感じました。あれだけ大きな手術をしてリハビリして３Ａ、２Ａで野球する姿には尊敬を覚えました。
　－野茂にかける言葉は
　清原　ゆっくり話したことは１度もない。いずれ機会があればゆっくりお酒でも飲みながら、あの時はああだった、こうだったと話せればいいなと思います。　―自身も左ひざ故障から２年ぶり復活を目指す
　清原　僕は今、（軟骨移植手術から再起するという）誰もやったことのないことにチャレンジしています。野茂の引退は残念なニュースですが、しっかり目標を定めてやっていきたい。
（２００８年７月１９日付日刊スポーツ）
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   <title>清原２軍戦で603日ぶり実戦復帰</title>
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   <published>2008-05-04T07:52:28Z</published>
   <updated>2008-09-22T05:10:50Z</updated>
   
   <summary>　左ひざの軟骨移植手術から再起を期すオリックス清原和博内野手（４０）が３日、ウエ...</summary>
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      　左ひざの軟骨移植手術から再起を期すオリックス清原和博内野手（４０）が３日、ウエスタン・リーグの阪神戦（北神戸）で６０３日ぶりに実戦復帰した。「５番ＤＨ」で出場。１打席目の二ゴロの間に１打点を挙げ、２打席目は中前適時打を放つなど四球を含む２打数１安打２打点。二塁から三塁へのタッチアップも決めた。
      　昨年の手術後に見せた松葉づえ姿を思えば、奇跡の復活だった。神戸の山奥の球場に押し寄せた超満員の観衆から「清原コール」が起こった。２回無死一、三塁の２打席目。アカペラで「とんぼ」を歌うファンにも背中を押され、伊代野の内角低め速球を中前へはじき返した。次打者の四球で二塁に進むと、右邪飛で三塁へ激走した。
　「４週間寝たきりで４カ月が松葉づえ生活。自力歩行まで５カ月かかったことを思えば、本当によくここまでこれた」。痛み止めの薬は手放せない状態だ。しかも左ひざには約１キロもあるプラスチック製の特製サポーターを装着する。その影響で足がむくんで、足首が動きにくくなる弊害もある。今なお続く激しい戦いがある。
　だからこそ浮かれず、１軍復帰についても日時を定めなかった。「そんなレベルでないし時間がかかる。まだリハビリの一環。走りだす時、また壊れるんじゃないかと身震いするような恐怖感があった。満塁ホームランより、いろんな体勢で走りだす時に痛みが少ない方が進歩です」と話した。
　実戦感覚を取り戻すため今後も２軍に帯同。今日４日以降の出場は状態を見ながら決めていく。「桑田が燃え尽きたといってすがすがしい表情をしてたように僕も…」。清原のゴールは、まだまだ先にある。【松井清員】
　【清原復帰までの経過】
　◆０６年９月８日　日本ハム戦（スカイマーク）で古傷の左ひざ痛を訴え５回途中交代。同１２日に出場選手登録抹消。
　◆０７年１月５日　アリゾナ自主トレ出発。２２日帰国
　◆同２９日　マリナーズ・イチローと初の合同自主トレ。
　◆２月１９日　宮古島キャンプで左ひざ痛再発、帰京
　◆同２８日　東京都内の病院で左ひざ関節の内視鏡手術を行い、一部軟骨を除去。
　◆６月２４日　左ひざ精密検査のため渡米。２８日帰国。
　◆７月６日　神戸市内の病院で左大腿（だいたい）骨関節の軟骨移植手術。
　◆同２８日　退院。同３０日から本格的なリハビリ開始も、約４カ月間の松葉づえ生活。
　◆０８年１月４日　ハワイ自主トレ出発。２５日帰国。
　◆２月１日　２軍高知キャンプ参加。５日に手術後初のマシン打撃開始。
　◆４月２８日　１日最多で４００～５００スイング振れるまでに回復。
　◆５月２日　神戸市内の病院で定期検査。試合出場にＧＯサイン。
　○…スタンドから家族が清原の復活を見届けた。亜希夫人（３９）と長男正吾君（５）、次男勝児君（３）、そして弟幸治さん（３７）夫妻が観戦。何度も清原コールを浴び、結果も出したパパの姿に子どもたちも大喜びだった。亜希夫人は「ウルウルしてしまいました」と、これまでの苦節を思い起こして感激。１日に３歳になったばかりの勝児君には最高のバースデープレゼントになった。
（２００８年５月４日付日刊スポーツ）
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   <title>清原が復活への思いを激白</title>
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   <published>2008-04-15T07:45:10Z</published>
   <updated>2008-09-22T05:09:25Z</updated>
   
   <summary>　現在左ひざリハビリ中のオリックス清原和博内野手（４０）が１４日、復活への思いを...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www5.nikkansports.com/baseball/kiyohara/reprint/">
      　現在左ひざリハビリ中のオリックス清原和博内野手（４０）が１４日、復活への思いを激白した。昨年７月にプロスポーツ選手として前例のない軟骨移植手術を受けて約９カ月。ようやく復活への光を見だした清原が復帰プランを明かした。２軍戦、１軍代打、そしてスタメン出場。復帰した際にはメジャー挑戦が確実な巨人上原浩治投手（３３）や阪神藤川球児投手（２７）との勝負を熱望した。再起した前例のない暗闇から清原が奇跡を起こす。【構成・松井清員】
      　春季キャンプ終盤から厳しかった清原の表情が和らいでいた。復活への光が見えてきたからだ。レッドソックス松坂から「お守り代わり」にプレゼントされた主砲ラミレスのマスコットバットで黙々と打撃練習をこなしている。
　清原　３月、１年半ぶりに外でフリー打撃をした時はガク然とした。中学生時代以下のバッティング。イメージと体がついていかない。野球の技術をこなすには到底及ばなかった。
　ひざには重さ１キロもあるプラスチック製の特性サポーターを装着。誰もいない神戸の合宿所で、来る日も来る日も感覚と体の動きを一致させるためにバットを振った。
　清原　１球１球、ズレた一致したの繰り返し。この１カ月はかなりの球数を打ってようやく、感覚が合いつつある。これはものすごく重要。牛歩みたいなもんだけど、よくここまでこれた。（復帰が）何となく見えてきてるし、今が最後の踏ん張りどころ。あとはスライディングの練習ができるようになったら、実戦にいけると思う。
　やっと復帰計画も描ける状態になった。２軍戦、１軍代打、そして先発出場の３段階方式だ。
　清原　１年間半ぶりにプロの生きた球を見るのは初めての経験。最低限の準備をして、まず２軍の試合に出たい。その時の衝撃はどうなのか。感覚を取り戻すのに、どれぐらい時間がかかるかは正直想像できない。不安もある。でもバッティングに関しては妥協できないから。そして１軍に上がれた時、最初は代打だけかもしれない。もちろん監督の起用次第だけど、野球人として最終的には４打席立つことを目標に置いて準備してます。
　あえて復帰日時は設定しない。予定通りに行かなかった時の焦りを排除するためだ。ただ復帰した際の目標はある。
　清原　上原とやってみたいな。（ＦＡで）メジャーに行く前に。松坂もオレに真っすぐ勝負して、４打席４三振取ってメジャーに行った。上原とは巨人時代の紅白戦でも対戦がない。あの真っすぐ、フォークがどれだけすごいか確かめたい。藤川ともやりたいよ。かすりもしない速球がどんどんレベルアップしていってる。川上や岩瀬、クルーンともやりたいね。
　左ひざの骨に５カ所も穴を開け、軟骨ごとえぐり取ったものを患部に金づちで打ち込む壮絶な移植手術を受けた。この手術を受けたスポーツ選手で再起した前例はない。それでも立ち上がろうとするのは、なぜなのか。
　清原　１度はあきらめかけた。でもグラウンドに立つ姿をＰＬ、西武、巨人時代から応援してくれる皆さんに見てほしい。それが仰木さんが用意してくれた花道だと思う。高卒ルーキーで３割３０本と誰もやってないことをやった。だから最後も誰もやってないことをやりたい。グラウンドに立てば球界だけでなく、同じような状況の人たちも希望を持てる。そういう使命感もある。あれだけの苦しみに耐え抜いたんだという人生のプラスにもなる。
　「清原コール」を浴びる日を信じ、引退覚悟で挑む０８年のシーズン。清原は色紙に「不屈」と書いた。
　清原　ひざは１試合で壊れるかもしれない。ぶざまな格好になるかもしれない。ただ桑田も言っていたように納得するまでプレーしたい。最後まで戦い抜きたい。不屈の精神で必ず、もう１度グラウンドに立ちます。
　前例のない奇跡へ、立ち向かう清原。復帰する日が現実味を帯びてきた。
（２００８年４月１５日付日刊スポーツ）
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   <title>桑田引退、清原「心にポッカリ穴」</title>
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   <published>2008-03-28T07:43:35Z</published>
   <updated>2008-09-22T05:08:39Z</updated>
   
   <summary>　「ＫＫコンビ」の１人、オリックス清原和博内野手（４０）も、桑田の引退発表にショ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www5.nikkansports.com/baseball/kiyohara/reprint/">
      　「ＫＫコンビ」の１人、オリックス清原和博内野手（４０）も、桑田の引退発表にショックを隠せなかった。引退の一報を午前のニュースで知り、左ひざリハビリ中の神戸市西区の合宿所で会見。「心の中の整理がつかない。桑田が決断したことだけど、ポッカリ穴があいている状態です」と何度も言葉を詰まらせた。
      　出会いは１５歳の春のＰＬ学園。「普段は声も小さいし体もそんなに大きくない。でもユニホームを着ればすごい球を投げるし、打てば僕より飛ばした」。ガキ大将投手だった清原が「この男には勝てない」と投手を断念し、打者で勝負するきっかけを作ったのが桑田だった。運命のドラフトで激しく揺さぶられた時期もあった。だが「桑田がいなければここまでやれていなかったと思う。存在が僕自身を磨いてくれた。今のリハビリでも、桑田も頑張ってるから僕も頑張ろうと思っていた」という。
　今掛けたい言葉を問われると「お前、かっこ良かったな。うん、多分そう言うな」とほほ笑んだ。
　「巨人をああいう形で終えたけど、背番号１８のユニホームを下に置かなかった。その巨人の聖域の１８番を背負ってメジャーに上がれたというのが、最高にかっこいいやんけとね。そしたらアイツ、目をパチパチしながら照れ笑いするかな」
　桑田の引退で昭和４２年会現役は清原１人になった。「日本に帰ってきた時はぜひ神戸に来てもらっていろんな話をしたい。そして僕が１軍に上がる時は、桑田の球を打ってから試合に出たい」と話した。【松井清員】
（２００８年３月２８日付日刊スポーツ）
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   <title>清原引退覚悟や！復活のため開幕戦断念</title>
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   <published>2008-02-29T07:42:28Z</published>
   <updated>2008-09-22T05:07:46Z</updated>
   
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      　オリックス清原和博内野手（４０）が２８日、改めて引退覚悟で今季に復活を懸ける決意を明かした。昨夏に軟骨移植手術を受けた左ひざリハビリのため、参加していた２軍高知キャンプを打ち上げた。左ひざの状態次第では今季を現役ラストシーズンにする可能性に触れた。また、見切り発車となる３月２０日の西武との開幕戦（西武ドーム）の出場は、断念する意向も表明。万全での復帰を目指すリハビリは、明日３月１日から神戸に場所を移す。
      　２３年目の孤独なキャンプが終わった。快晴の高知東部球場サブグラウンドでの５０㍍ダッシュの３本目。清原は思わず感傷的になっていた。
　「高知は（西武で）ルーキー時代に初めて降り立った場所。最後の１本を走る時に思った。高知で走るのも、これで最後かなあって…。そう考えたら複雑な気持ちになった」
　最悪の覚悟はできている。リハビリ中の左ひざの状態次第では、もう来年は高知に来れない。その覚悟をあらためて口にした。
　だが、必ずグラウンドに立つ闘志は消えていない。患部への影響から酒も飲めず、食べたいものも食べられない食事制限など、高知で修行僧のような１カ月を送って来たのは、すべて「復活」のためだ。室内での打撃練習では「１日２本ぐらい、ホームラン性でとらえたなという当たりが増えてきた」と手ごたえをつかんでいる。ただ、最も怖いのは見切り発車。西武との開幕戦出場は、断念することを明かした。
　「このケガは次の一撃で野球人生が終わる可能性がある。軟骨を移植しているから他の骨となじむまで時間も必要。だから開幕に無理やり、何が何でも合わせることは考えてない。打席に立つことが先決だから」
　左ひざにはプラスチック製で約１㌔もある特製サポーターを装着。負担から練習量も制限される中でイメージ通りに下半身が動かず、もどかしさも募る。だが支えになっているのはもう１度「清原コール」を浴びる夢があるからだ。
　「これだけ苦しい戦いも皆さんの声援で報われる。とにかく１試合でも１打席でも多く打席に立つ姿を見てほしい。復帰する時はぜひ球場に来て、僕が打席に立つ姿を焼き付けてほしい。これからどうなるか自分も予想できない。でもその日を信じて１日１日悔いのないよう精いっぱいやりたい」
　２９日は神戸市内の病院で定期検査。１日からは神戸市の球団合宿所に場所を移し、復活の光を探る。【松井清員】

　オリックス清原一問一答
　－キャンプを打ち上げた
　清原　毎日毎日が勝負。試合と同じ気持ちでリハビリに取り組んでいた。（フリー打撃は最大５０振など）制限のある中で気持ちのコントロールも難しかったし、もどかしさもある。この１カ月で劇的な変化があった実感はない。
　－左ひざの今の状態は
　清原　マシン（打撃）の場合は５～６割。ティーは７～８割の力。ベースランニングも左足で踏むと軟骨へのダメージが大きくなる。打って走り出したあと、右足を中心にブレーキをかけたり方向転換を連動して練習していくことが３月のテーマになる。
　－振りは力強く見えるが
　清原　ひざにあれだけ大きな１㌔のプラスチック（特製サポーター）をつけているので、まだイメージ通り曲がってくれないことも多い。打ち損じも多い。その辺でまだ時間がかかっているし、もどかしい。
　－ファンも復帰を期待
　清原　半月板損傷とか、軽いケガなら何月何日に試合に出ると言える。でも自分自身でも予想できない。ドクターやコンディショニングコーチと相談してやっていきたい。
（２００８年２月２９日付日刊スポーツ）
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   <title>清原が決意の卵10個飲み</title>
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   <published>2008-02-06T07:41:07Z</published>
   <updated>2008-09-22T05:06:57Z</updated>
   
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      　左ひざのリハビリで２軍高知キャンプに参加中のオリックス清原和博内野手（４０）が１０個分の卵白が入ったコップを一気飲みした。練習後に「ロッキーになりたいんや！」と吠（ほ）えた。人気映画ロッキーで主人公が復活決意表明で生卵を飲むシーンがある。清原は「ロッキー・ザ・ファイナルを見てたら、プロテインを飲んでる場合とちゃうわ」と豪快に笑った。
      　タンパク質を取り入れ、両手に１０キロずつのダンベルを握って筋力トレした。室内練習場では１２０球のティー打撃の後、カーブマシンを３０球打ち込んだ。マシンを打つのは昨年７月の左ひざ軟骨移植手術後初。「一段階上がった？　そうですね」と回復は順調だ。
　本屋敷コンディショニングコーチは「リハビリというより、実戦に向けた調整に近いもの」と説明。地面に置いたマーカーの間を走るウエーブランも開始した。復活のレベルは着実に上がっている。【堀まどか】
（２００８年２月６日付日刊スポー）
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   <title>清原鬼になった「心にスイッチ入った！」</title>
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   <published>2008-01-05T07:40:02Z</published>
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      　０８年は年明け早々から鬼になった。オリックス清原和博内野手（４０）が４日、成田空港から自主トレ先のハワイへ出発。昨年大みそかの格闘技「やれんのか！大晦日！２００７」をさいたまスーパーアリーナで観戦したが、友人の秋山成勲が三崎戦前に観衆のブーイングを受けるなどしたことに憤り「心にスイッチが入った」と、怒りを復活に向けてのエネルギーとしていることを明かした。闘志に火が付き、元旦の朝からトレーニングを開始。ハワイには約３週間滞在し、２月のキャンプ参加は、昨年手術した左ひざの状態を見ながら決める。
      　清原は怒っていた。穏やかな口調と裏腹に、眼光は鋭い。自主トレ先のハワイへ出発する直前の会見とは思えない緊張感が漂った。
　発端は昨年の大みそかのことだった。一昨年にはセコンドを務めた友人である秋山の試合を、会場の青コーナー後方客席から見守っていた。前年の桜庭戦で「ヌルヌル事件」を起こした秋山には入場から容赦ないブーイングが降り注ぐ。試合にも敗れたが、後日、相手に反則の疑いが浮上。清原のやるせなさは、憤りに変わり、完全に燃え上がっていた。
　清原　きちんと（秋山は）罰も受けたのに、どうしてブーイングを受けるのか。憤りを感じましたし、心にスイッチが入った。ましてや秋山選手が相手の反則（の疑い）によって負けたのが昨日（３日）分かって、完全にボクの心の中で戦闘モードに入りました。
　倒れたままの秋山に相手が説教する姿にも「ボクがセコンドだったら絶対引きずり降ろす。桜庭選手が秋山選手にするならわかりますよ」と止まらない。結局、年が明けても眠れなかった。午前３時すぎに夢の中に入ったが、元旦朝からトレーニングを開始。友人の無念さを晴らすことが、野球人としてのモチベーションの１つに変わっていた。
　気持ちは充実している。昨年手術した左ひざの回復を考え、温暖なハワイに自主トレ先を選んだ。昨年末には約３０メートルのジョギングを２、３本開始していたが、すでに５０～６０メートルのランニングを５本ほどできるまできた。主治医から２０キロの減量を指示されているが、手術後、１２０キロあった体重は１０８キロまで落とした。
　清原　どれだけ１、２月の間で走ったり打ったりできるか、こればかりは読めない。でも今のところ、リハビリは後退していないんで、少しずつでも前に進んでいる。万全になれば、だれよりも飛ばす自信がある。
　ハワイで約３週間、砂浜を走り、芝生を蹴る。友の痛みも忘れない。清原の完全復活ロードは、もう始まっている。【今井貴久】
（２００８年１月５日付日刊スポーツ）
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