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   <title>コラム_野球：一日一回野球の話をしようよ</title>
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   <subtitle>一日一回野球の話をしようよ</subtitle>
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   <title>娯楽。</title>
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   <published>2009-11-02T03:30:00Z</published>
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   <summary>　「野球とは神様が与えてくれた最大の娯楽だ」。そう語るのが千葉ロッテマリーンズを...</summary>
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      　「野球とは神様が与えてくれた最大の娯楽だ」。そう語るのが千葉ロッテマリーンズを今季で引退した小宮山悟投手だ。「娯楽」といわれると少し軽薄な感覚を受けるが、この言葉にたどり着くには理由があるようだ。
      　小宮山は、中学時代から注目される投手だったが、野球の強豪ではない高校に進学する。そして早稲田大学での野球を志し、２年浪人してまでその意志を貫き通した。そこで初めに小宮山にインパクトを与えたのが当時の石井連蔵監督との出会い。石井監督の指導する精神野球に共鳴し、それが投手としての支えとなる。

　そして、プロ野球に進み、ボビー・バレンタイン監督との出会いが小宮山の野球観を確立させた。それ以前とは全く異なる自主性を重んじるメジャースタイルの指導が新たな刺激となる。小宮山はそれまでの早大・石井監督の教えを精神的な柱に、全く対照的なバレンタイン監督の考え方をミックスさせ、小宮山独自のトレーニングや調整法を生み出していった。その結果、４０歳代半ばまでの長きにわたってマウンドに立ち続けることができた。

　小宮山は２人の監督について、石井監督を「典型的な精神野球」と位置づける一方、バレンタイン監督については「自分をリラックスさせてくれた」と語る。リラックスして楽しめる、すなわち娯楽。ぶっきらぼうな表現が、普段はあまり多くを語らない小宮山らしい。球界きっての理論派が、野球をとことんまで突きつめ、「楽しみ」にまで高められたからこそ、口にできる言葉なのだろう。そして最大の娯楽を与えてくれたという「神様」とはこの２人の監督のことでもあるのだろうか。それにしても運命の出会いを２度も経験するとは、それこそが神がかりともいえるだろう。
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   <title>小宮山 ｖｓ． ボビー（後編）。</title>
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   <published>2009-10-26T03:29:13Z</published>
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   <summary>　２００２年のシーズンが終わり、小宮山悟投手は帰国する。メジャーから帰った小宮山...</summary>
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      　２００２年のシーズンが終わり、小宮山悟投手は帰国する。メジャーから帰った小宮山は、まだ投げられる、もう１度マウンドに立ちたいとの強い意志を持ってプロ野球界からのオファーを待った。しかし、年が明け２００３年の春を迎えても名乗りを上げる球団がなく、母校早稲田大学の野球部の練習を手伝いながら、普段通りのトレーニングを重ねる。きっと自分を必要とする球団が現れる、いつでも投げられると信じて過ごす毎日だった。


      　２００３年のシーズンオフ、千葉ロッテ・マリーンズの監督にボビー・バレンタインが復帰。一方小宮山はトレーニングのかたわら、野球評論家として活動する中、あくまで自分は「現役投手」だと主張。これをバレンタイン監督に認められ、２００４年には念願のプロ野球復帰を果たす。バレンタイン監督の「力を貸してくれ」という一言が決め手となった。

　復帰したシーズンの翌２００５年にはレギュラーシーズン２位とし、西武、ソフトバンクを破って悲願のリーグ優勝を果たす。この頃には小宮山は中継ぎ投手として機能するようになる。先発投手が崩れた際、立て直しを任せられる投手として信頼されていたからだ。小宮山もこれにこたえるように試合が始まると、誰よりも早くブルペンで肩を温める。敗戦処理としての起用もあったが「若手に敗戦処理をさせるのは意味がない」という監督の考えを受け入れ、チームにとって、自分が果たすべき役回りであると納得した。小宮山とバレンタイン監督の間に、最初に出会ったときの戸惑いはない。日米で３度同じユニフォームを着た彼らにとって、互いに確固たる信頼関係がすでに構築されていたからだ。

　野球というスポーツがもたらす数奇な巡り合わせの中、固く絆を深めていった小宮山悟とボビー・バレンタイン。彼らはスタイルや考え方の違いを正しく認識し、時にはそのギャップを共鳴させながら進むべき道を模索し続け、数々の結果を出してきた。ファンのため、チームのため、お互いのため、その思いやる気持ちが野球の新しいスタイルを生み出してきた。そして２人が同じタイミングで野球人生に一区切りをつけた今、胸に去来するのはどんなことだろうか。来る１１月２３日、２人のトークショーが開催される。さまざまエピソードの中で彼らは何を思ったのか、注目したい。
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   <title>小宮山 ｖｓ． ボビー（中編）。</title>
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   <published>2009-10-19T03:09:04Z</published>
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   <summary>　ボビー・バレンタイン監督が就任したのは１９９５年。その当時まで、千葉ロッテ・マ...</summary>
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      　ボビー・バレンタイン監督が就任したのは１９９５年。その当時まで、千葉ロッテ・マリーンズは低迷を続け、次々と監督交代劇が繰り広げられており、いわゆる「お家騒動」の渦中、この人事は功を奏し、念願のＡクラス入りを果たした。　


      　この年、同チームの小宮山悟投手も、前の年の３勝を大きく上回る１１勝・防御率２・６０の成績を挙げる。同時にこれまでの日本野球にはない、バレンタイン監督の全く新しい采配、野球観に対する信頼感を確たるものにしていった。ところが、フロントとの確執が噂される中、球団はバレンタイン監督をわずか１年で解任。チームのご意見番といわれた小宮山は、フロントに異を唱えるもかなわなかった。
　
　一方、小宮山は１９９９年、シーズン中にフリーエージェント（ＦＡ）権を獲得。これに対し球団はＦＡ権を行使する前に、小宮山に戦力外を通告。その理由はチームの若返り。これまでチームを牽引してきたキーマンへの対応にファンたちは騒然となった。それでも同じ年の暮れには、横浜ベイスターズへの入団が決定する。

　ベイスターズで２シーズン活躍した後、小宮山はついにＦＡを宣言。２軍への降格も経験し、フィジカル面での限界も感じはじめる中、あこがれのメジャーへの挑戦を決意した。メジャーからのオファーの有無が確かでないにもかかわらずの賭けだった。それでも小宮山の思いは「あの監督のもとでもう１度マウンドに立ちたい」。あの監督とはもちろんバレンタイン監督、当時ニューヨーク・メッツを率いていた。

　そして小宮山は念願のメッツ入りを果たす。渡米後は自分自身が開幕メンバーに選ばれるかどうかの不安もあったが、その開幕のセレモニーでバレンタイン監督は小宮山をグラウンドに立たせる。小宮山は「そこにいたるまでいろいろあり、夢がかなった瞬間だった」と語る。運命の男たちは海を越えて再会し、新しいステージの幕を開けた。
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   <title>小宮山 ｖｓ． ボビー（前編）。</title>
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   <published>2009-10-13T02:59:17Z</published>
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   <summary>　球界を代表する投手がついに引退した。千葉ロッテマリーンズの小宮山悟選手である。...</summary>
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      　球界を代表する投手がついに引退した。千葉ロッテマリーンズの小宮山悟選手である。少し前の引退表明で知らされてはいたが、改めて行われたセレモニーを見ると、再び感慨深いものがある。当日、現役最後のマウンドで、最年長セーブという記録も置き土産にしてくれた。


      　小宮山を語るのに欠かせない男がいる。小宮山と同じく今シーズン限りで同球団を去るボビー・バレンタイン監督だ。かつてテキサス・レンジャーズ、ニューヨーク・メッツ傘下３Ａの監督としてその手腕を買われていた。そんな中１９９５年、低迷に悩む当時のロッテ・マリーンズに監督として招かれる。

　当時、強いチームとなるための糸口を、必死で模索していたエース小宮山にとって、バレンタイン監督の指導はすべて目新しかった。監督の指示するメジャー方式のトレーニングは、時には小宮山自身の持つ野球観とあまりにもかけ離れており、ぶつかることもしばしばあった。それでも小宮山は監督に疑問をすべてぶつける。研究熱心な小宮山にとって「言われたことをやる」だけでは納得がいかない。監督も根気強くそれに応える。そして監督から「俺に力を貸してくれ」との期待に、小宮山は奮起。ひじの故障に悩まされた前年の３勝を大きく上回る２ケタ１１勝を獲得。９年連続でＢクラスだったチームも２位までジャンプアップした。

　優勝には届かなかったものの、たった１年で結果を出した監督に、小宮山は自分の能力を大きく引き出してくれる指導者として信頼感を大きくした。監督もまた、上位をねらうために必要不可欠なプレーヤーであると評価する。この信頼関係は２人だけのものでなくチーム全体に広がり、上位躍進の原動力になったのだ。テクニックやパワーではチームは強くならない。熱い思いが強い野球へと導く。しかしこのあと、２人の間に波乱が訪れる。
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   <title>覚醒。</title>
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   <published>2009-10-05T03:08:27Z</published>
   <updated>2009-10-05T03:11:22Z</updated>
   
   <summary>　今どきの子どもはＴＶゲームの影響か、切り替えがとても早い。とりあえず何となくや...</summary>
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      　今どきの子どもはＴＶゲームの影響か、切り替えがとても早い。とりあえず何となくやってみて、ダメならリセット、やり直し。気持ちを切り替えて、すぐにやり直すのはいいのだが、全力でやったのか、どうして失敗したのかを考えているのか疑問である。

      　ある日、ランニングの途中の河川敷で少年野球の練習が目に映り、足を止めた。一列に並んで次々とノックを受ける子どもたち。できの善し悪しはあるが一様に淡々としている。ナイスキャッチしては列の後ろに並び、エラーしてもまた並ぶ。粛々とプレイとリセットが繰り返される光景は、どこか単純作業のようで味気ない。

　ジョニー黒木が率いる「ＰＬＡＹ　ＢＡＬＬ！　ＰＲＯＪＥＣＴ」にやってくる子どもたちも例外ではない。“何となく”準備体操、ウォーミングアップランからはじまることが多い。その怠惰なムードを一変させるのがジョニーの“本気”だ。まずキャッチボールのお手本で全力投球をする。たった１球、ゴムボールを放るだけで、多くの子どもたちの目の色が変わる。その迫力に刺激され目が覚めるのである。

　ジョニー自身、「何をするにも全力でやらねば、相手に失礼になる。たとえ子ども相手の野球教室でも、全力で彼らにぶつかっていかなければ必ず後悔する。来てくれた子どもたちに自分の体全体で本気になる楽しさを全力で伝えていきたい」と主張する。現役時代から子どもたちとの関わりを大事にしてきた本人の言葉通り、集まってきた子どもたちに向けるまなざしは、マウンドで一流選手と対峙してきたときと変わらぬ輝きがある。

　ジョニーが現役で活躍する姿を見たことのない子どもたちも多いことだろう。はじめはタレントに会いに行く感覚の子もいるだろう。しかし、目の前にする本気の大人に刺激を受けた子は、きっと何かを得て帰って行く。彼らには、何事にも本気で挑戦するきっかけにして欲しいものだ。
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   <title>ヒーローインタビュー。</title>
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   <published>2009-09-28T02:23:53Z</published>
   <updated>2009-09-28T02:28:44Z</updated>
   
   <summary>　マジック点灯、リーグ優勝などといったニュースが聞かれ、いよいよ今シーズンも終わ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www5.nikkansports.com/baseball/honki/">
      　マジック点灯、リーグ優勝などといったニュースが聞かれ、いよいよ今シーズンも終わりが近づいてきた。ペナントの行方はさることながら、各選手のタイトル争いや最終成績も気になる。シリーズ終盤ならではの楽しみが増えてきた。しかしこの時期、期待感のある話題ばかりではない。今年限りでグラウンドを去ることになる選手の話題もちらほらと聞かれてくる。


      　中でも千葉ロッテマリーンズの小宮山悟投手の引退には衝撃を受けた。当時のロッテオリオンズで１９８９年にデビューして以来、戦力外通告、横浜ベイスターズへの移籍、ＭＬＢニューヨーク・メッツ移籍、浪人、ロッテ復帰と波乱の野球人生を歩んできた男だ。自身と同世代の小宮山にもついにその時がきたのかと思い知らされる。少し前に球団から現役続投を打診されていたと聞く。継続を求められながら、自ら区切りを付ける潔さに感銘を受けるばかりである。

　小宮山の会見を見守るうち、彼を師とするジョニーこと黒木知宏投手の「その時」が浮かんできた。２００７年の今ごろ、所属球団のマリーンズから戦力外通告を受けた。その時点では、黒木は現役続行の意思を表明。周囲からはトライアウトなどで自らをアピールすべきとのアドバイスもあったが、野球人生に強く自信を持っていた黒木は「自分を必要としているところが必ず現れる」と信じ、オファーを待った。

　その後、現役継続はならなかったが、自分を支えてきた野球のすばらしさ、楽しさ、そして怖さや厳しさを伝えていくため「ＰＬＡＹ　ＢＡＬＬ！　ＰＲＯＪＥＣＴ」を始動。野球を通じて心豊かな人づくりに取り組む同プロジェクトは、全国各地からオファーを受ける。プロのマウンドを降りたあとも黒木は多くの人々に必要とされている「魂のエース」であることに変わりはない。

　小宮山は「楽しいことしか頭に出てこない」、黒木は「ただの１球も悔いの残る球は投げたことがない」と自らのプロ野球人生を語っている。平々凡々と毎日を過ごす自身にとって、このふたりの引退会見は、ヒーローインタビューのようにすがすがしい。そしてふたりはともに生涯野球に携わっていくという。今後とも彼らには悔いのない人生を送るためのヒントを分けてもらえることだろう。いつまでも自身にとって同世代のヒーローであってくれることに期待したい。
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   <title>クライマックス。</title>
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   <published>2009-09-24T04:18:32Z</published>
   <updated>2009-09-24T04:29:42Z</updated>
   
   <summary>　プロ野球はシーズン終盤を迎え、クライマックスシリーズへの生き残りをかけた熱戦が...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www5.nikkansports.com/baseball/honki/">
      　プロ野球はシーズン終盤を迎え、クライマックスシリーズへの生き残りをかけた熱戦が続いている。パ・リーグは２００４年、セ・リーグは２００６年からはじまったこのシリーズ、未だに賛否両論あるところだが、導入されてから各球団の戦い方は確実に変化している。
      　クライマックスシーズン出場が有力視される球団はこれまで以上に優勝に向けて残りの試合を大切に戦うわけだが、残念ながら絶望視されるチームは、来季に向けての準備をすでに始めている。自身の地元である横浜では、ベイスターズが仁志敏久選手と工藤公康投手に対し、来シーズンは契約をしないと通告した。来季には必要がないと判断したのだ。それでも工藤は、残りの試合を全力で戦い、これまでの恩返しがしたいと意欲を燃やし続けている。通告のあった翌日の試合では、終盤のイニングで登板し、見事に打者を抑え、その意気込みを見せつけてくれた。現役続投を希望していると報道されているが、自身も同世代である「ハマのおじさん」には、これからもぜひ活躍の場をと、願うばかりである。

　同じような年代のベテランで、自ら引退を決意したのは千葉ロッテマリーンズの小宮山悟投手だ。球界きっての理論派・頭脳派といわれ、「堅物」「強情」とも形容される小宮山は多くは語らない。しかし衰えゆく球速や体力に対し、「投げる精密機械」と呼ばれる男が経験や技術を駆使して活躍し続けた。球団から来季もなくてはならない、必要な存在として現役続投の要請を受けたとの報道には喜ばされていた矢先の引退表明。どんな思いで決断したのか、今後の発言に注目していきたい。

　小宮山本人の数少ない語録の中で「プロの投手としてひとつでも多くアウトを取る」そして「必要とされる限り投げ続ける」というのがある。この強い心構えを貫くピッチングに励まされてきた。自身は必要とされているだろうか、必要とされる働きをしているだろうか。仕事でも家庭でもみんなのためにささやかながら、知恵を加えた全力投球をしていきたいものである。自身にとってのクライマックスはまだ先にあるはずだ。
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   <title>引退時期。</title>
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   <published>2009-09-14T02:48:54Z</published>
   <updated>2009-09-14T02:53:43Z</updated>
   
   <summary>　夏からのランニングが続いている。何事も長続きしない自身としては、きわめて異例、...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www5.nikkansports.com/baseball/honki/">
      　夏からのランニングが続いている。何事も長続きしない自身としては、きわめて異例、自分を褒めちぎって有り余る思いである。しかしながらこの間、挫折の危機にも遭遇した。走り始めた頃は４週間続けたところで足首を痛め、２週間歩くのもおぼつかない事態になった。以前から持論としていた「運動はケガのもと」を証明する結果でもあった。

      　悔しがる自身にカミさんは「トシのせいよ」と一蹴する。なるほど走り出した当初は、若い頃のペースで、時間と距離に挑戦していた。２０代の感覚をそのまま今の４０代の体に強いるのは酷というものだ。

　自身と同世代のアラフォー現役野球選手の活躍には力づけられる。成長著しい若手選手に負けることなく、長年にわたって第一線に居続ける彼らには一様に理由がある。若さにまさる巧みさである。スピードやパワーなどは年齢を重ねるごとに劣化するが、反面、経験を蓄積し、そこから掴み取った知恵を活かして、身体的劣化を上回る技術を身につけていく。そして、自分の体の状態を正確に把握し、トレーニングの取り組み方やメンタルコントロール、食事のメニューをはじめ、野球と直接関わりのないことにまで、細心の注意を払う。

　先日来、話題にしている千葉ロッテマリーンズの福浦和也選手はスラッガーであり続けるため、目のトレーニングも欠かさない。これはひとえに、大好きな野球を一日でも多く、ベストな状態で戦い続けるための生命線。そして、いつしか迎える引退の時を、納得いく形で迎えるための足場づくりにつながることでもあろう。

　足首のケガも治り、再び走り出した。今度はゆっくりと、ていねいに体を運んでいこう。いいトシをしてやっと知った、体を動かす楽しさを末永く味わうために。自身のアスリート習慣ははじまったばかり、引退時期はまだ見えてこない。
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   <title>マネの天才。</title>
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   <published>2009-09-07T02:56:18Z</published>
   <updated>2009-09-07T10:33:07Z</updated>
   
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      　千葉ロッテマリーンズの安打製造機・福浦和也選手について、もう少し話をしよう。福浦のトレードマークは振り子打法。そのバッティングスタイルはイチローと重ね合わせることが多いが、福浦がお手本にしたのは、ＭＬＢきってのスラッガー、シアトルマリナーズのケン・グリフィー・ジュニアである。


      <![CDATA[　福浦は入団当初から、周囲に天才とささやかれながら、怠惰な毎日を送っていた。それは、自分にいま何が必要なのかを探しあぐねる姿でもあった。そこで巡り会ったのがケン・グリフィー・ジュニアの活躍。流れるようにしなやかなフォームで、安打や本塁打を量産していく姿が、福浦を釘付けにさせた。福浦は数多くの映像を取り寄せ、徹底的にそのフォームを研究する。方向性を見失っていた男が、一筋の道をはっきりと見いだした。そして福浦がしたことは徹底的にマネすること。体の捌き方や腕の振り、走塁に映るまでを目に焼きつけ、マネすることを出発点に自分にあったスタイルにしていく。その取り組みが実を結び、念願の１軍昇格、そして６年連続打率３割の偉業達成につながっていった。

　ゼロから何かを生み出す「発明」は容易なものではない。しかし、すでに在るものを手本に「発展」させることで、成功の可能性を高めることができる。その点に気づき、結果を出した福浦はマネすることにも天才だったといえるだろう。

　そしていま、福浦自身もマネをされる、お手本になる選手を目指している。バッティングはさることながら、守備や走塁、練習への取り組み、その他すべてのプレーに熱く取り組む。人々の視線を受け、それに恥じないプレーを見せることで、野球への関心や期待、楽しみを高めていこうと考えている。そのひとつの方法として、福浦は休日のゲームに子どもたちをスタジアムに招いている。「ＰＬＡＹ　ＢＡＬＬ！ＰＲＯＪＥＣＴ・ＫＡＺＵＹＡシート」として福浦が守る一塁キャンバスの目の前のスタンドで観戦してもらおうというものだ。

　福浦のこの話をカミさんにすると、マネの天才はわが家にもいるという。ふたりの息子たちの仕草が自身に似てきたとよく言われるようになってきた。子どもというのは、まず身近なもののマネをしてみたくなるものだ。親としてひとつでもマネされることが増えるよう、日々を真剣に過ごしていきたいものだ。

<a href="http://www5.nikkansports.com/baseball/honki/T-f-P20090907-fukuura.jpg"><img alt="オリックス戦で、左翼へ先制適時打を放つロッテ福浦和也内野手（撮影・岡潤一）＝２００９年７月１４日（大阪ドーム）" src="http://www5.nikkansports.com/baseball/honki/T-f-P20090907-fukuura.jpg" width="180" height="250" /></a>
写真＝オリックス戦で、左翼へ先制適時打を放つロッテ福浦和也内野手（撮影・岡潤一）＝２００９年７月１４日（大阪ドーム）]]>
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   <title>福浦和也。（後編）</title>
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   <published>2009-08-31T02:56:26Z</published>
   <updated>2009-08-31T03:00:28Z</updated>
   
   <summary>　シーズン途中まで打率４割に上り詰めながら、なにより自分を応援してくれていた母を...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www5.nikkansports.com/baseball/honki/">
      　シーズン途中まで打率４割に上り詰めながら、なにより自分を応援してくれていた母を病気で失い、結局その年、満足な成績を残せなかった福浦和也選手。打者として認められる３割にあとヒット１本に泣いた翌年からは、意識改革をバネに日本人では８人目となる６年連続３割の快挙を手にする。

      　福浦の意識改革はまず、ひとつひとつのプレーを大切にすること。打つ、走る、投げる、捕る。すべての場面で本気でプレーすること。怠惰な生活態度で寮を追い出されるほどだったころに比べると、まるで別人だ。そして、観客とのつながり。以前、ガンを宣告された母に、より多くの活躍を目に焼きつけてもらいたいと奮起した。それが今では、福浦を見つめてくれる観客からも大きな力を与えてもらっていることに気づいたのだ。そして、観客の期待に応えることで彼ら自身に歓びを与えられることを感じ取るようになる。

　福浦は、さらに人とのつながりを求める。普段球場に足を運ぶチャンスが少ない人たちにも、野球を通じてこちらからコンタクトすることに取り組んでいる。そのひとつが、特別支援学校などの生徒たちの球場への招待。ジョニー黒木らが進める、野球を通じて人を育むことを目指す「ＰＬＡＹ　ＢＡＬＬ！ＰＲＯＪＥＣＴ」の一貫として、福浦は千葉マリンスタジアムに「ＫＡＺＵＹＡシート」を用意している。週末の昼下がり、野球観戦をきっかけに外に出て、青空のもと野球の楽しさを感じてもらおうというものだ。そしてこの「ＫＡＺＵＹＡシート」、座ると目の前で守備につく福浦がより大きく、身近に感じられる。自分たちをゲストに招いてくれた本人が目の前でプレーする。子どもならずとも実にワクワクさせられる特別席だ。このほかにも、オフには自らが特別支援学校や福祉施設などに足を運び、バッティングの指導やキャッチボールを通じて子どもたちと交流を図っている。

　野球を通じて人々との関わりを持つ。ヒーローインタビューでもあまり多くを語らない寡黙な男ならではの、コミュニケーションである。
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   <title>福浦和也。（前編）</title>
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   <published>2009-08-24T06:39:21Z</published>
   <updated>2009-08-24T06:42:19Z</updated>
   
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      　１９９３年千葉ロッテマリーンズにドラフト７位で入団。均整のとれた長身にスキンヘッド、振り子打法がトレードマーク、通算打率２割９分８厘のアベレージヒッター。守備では柔らかな股関節を活かした一塁手として定評のある福浦和也選手。

      　２軍時代の福浦はその才能をもてあまし、怠惰な生活を送っていた。寝坊で練習に遅れることもしばしばで、寮から追い出される始末。そんな福浦でも１９９７年には１軍デビュー、一塁レギュラーに定着する。ところがその矢先、福浦の活躍を誰よりも楽しみにし、彼を支え続けてくれていた母の体にガンが見つかる。

　この衝撃を機に、福浦の野球に取り組む姿勢が一変する。病魔と闘う母に、オールスターで活躍する姿を見せるべく２０００年は開幕から奮起、打率4割をマークし、念願の出場を果たす。しかし、母のガンは進行が早く、福浦の活躍を見ることを許さなかった。母の死が原因かどうかは定かではないが、その後は２割９分９厘と打率を落としてシーズンを終える。強打者といわれる３割に届かない不甲斐ない成績。亡き母をはじめ応援してくれたさまざまな人々に、決して胸を張れるものではないと、福浦は強く感じていた。

　たった１本のヒットあるいはフォアボールが足らず、３割に手が届かなかったシーズンの翌年は、ワンプレーワンプレー、一日一日を大事に過ごすようになる。この意識改革は、スタンドのファンに対する感謝の気持ちも芽生えさせる。観客の熱い気持ちに背中を押され、同時に自分のプレーが観客を楽しませることができる歓びを実感できるようになっていた。結果、これまで王や川上、イチローなど日本人ではこれまで７人の選手しか達成していない、６年連続３割の偉業を果たした。
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   <title>希望の星。</title>
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   <published>2009-08-17T02:38:25Z</published>
   <updated>2009-08-17T02:41:08Z</updated>
   
   <summary>　いよいよ高校野球の甲子園大会がはじまった。自身の暮らす神奈川代表で初出場の横浜...</summary>
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      　いよいよ高校野球の甲子園大会がはじまった。自身の暮らす神奈川代表で初出場の横浜隼人高校につながる「希望ヶ丘商店街」は地元の星の試合を心待ちにしているようだった。商店街の主催で試合当日は近くの小学校でパブリックビューもあるという。

      　そして迎えた初戦。スタンドには同校の１、２年生の生徒全員とＯＢ約２０００人が、アルプススタンドをスクールカラーの青で染め上げた。遊びに行ったり夏期講習に通ったりする予定があった人もいるはずだろうが、よくまとまったものである。実に高校野球ならではといったところか。横浜からバスで１２時間かけ、道中興奮して眠れなかったという女子生徒。「それでも応援できることがうれしい」と声を弾ませているのを聞いて、思いの深さと若き情熱を感じさせられる。

　地元はもとより、横浜隼人は大阪の人々にも受け入れられている。同校の監督は、ユニフォームをそっくりまねてしまうほどの大のタイガースファン。今大会の出場前には、これまで黒だった帽子のつばの縁取りを黄色に変えてしまうほどの凝り性だ。本家タイガースが苦戦している最近にあって、「ハマトラ軍団」として注目を集めている。

　試合のほうは夢の「本拠地」で初勝利をあげる。いくつか空回りするような場面が見られたが、それも含めて同校らしい野球ができたと監督は語る。４万５０００の大観衆の前でプレーしたエースは、満員の試合は県大会で慣れているという。全国最多１８９チームの頂点に立つだけあって、初出場ながら堂々としたものである。一方で同校はいつでも笑顔でプレーするのが印象的だ。たとえピンチの時でも笑みを絶やさない。どんな状況でも野球を楽しんでいるようで、すがすがしい。笑顔をトレードマークとする同チームは開会式前日に、なんばグランド花月に「笑い」の練習の出かけたとか。物見遊山できたのではない、と眉をひそめる人もいるかも知れないが、野球をする上で「笑顔」にも重点を置く同校にとって、本物の笑いにふれることは今後の成長にプラスになると考えたのだろう。本番前にリラックス、という目的もあったかも知れないが、これを敢行した柔軟な発想に、自身は深く感心する。ともあれ注目の初出場校、今後もさまざまな話題に期待したい。
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   <title>欲望。</title>
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   <published>2009-08-10T03:59:05Z</published>
   <updated>2009-08-10T05:28:09Z</updated>
   
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      　ランニングをはじめて４週間になる。当初は重度の全身筋肉痛や足のけいれんに見舞われたが、最近ではその苦痛の時期を乗り越え、ずいぶんと慣れたものである。同時に、こらえ性のない自身がよくここまで続いたものだと、自画自賛である。
　
      　子どものころにも、毎朝のランニングに挑戦したが、そのたびに挫折した。それがなぜ今になって続けられるようになったのかは、自身の中では明白である。子どものころには「走らなければいけない、続けなければいけない」という強迫観念があった。今はその呪縛（じゅばく）はない。毎日思いついたコースを、気が済む分だけ走ればいい。気が乗らなければその日は走らないだろうし、雨が降ったら休んでもいいと思っている。ただ体を動かしてみたいという気持ちが、たまたま毎日続いているのである。

　意欲というものは人を前向きにさせてくれるものだ。走ることに慣れてきたら、少し距離を伸ばしてみたくなったり、ウエートを持って走ってみたり、ゴールに決めている公園の鉄棒で懸垂などしてみたくなる。その日その日で、コースやメニューを考えながら走りだすときは、相変わらずの近所の風景にすらワクワクするものだ。

　スポーツマンの育成にもこのワクワク感が必要だと思う。どんなスポーツであれ、興味や関心を持ってそこに踏み入れてきたものが、その楽しさにふれ、自分の頭で考えながら技術を磨き、さらに楽しさを増幅させながら、能力を高めていくものであってほしい。実際には、スポーツの世界では楽しいことばかりではないだろうが「ああしなさい、こうしなさい」と義務感を押しつけず「ああしたい、こうしたい」という前向きな環境のほうがいい。せっかくはじめたスポーツが、するほどに期待以上の楽しさを味わえる場であれと願う。ＰＬＡＹ ＢＡＬＬ！ ＰＲＯＪＥＣＴの野球教室からの帰り道、近所の学校の前でランニング中の野球部員がすれ違いざまに「あと何周？かったるいな」とこぼすのを聞いて考えさせられた。
　　

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   <title>初出場。</title>
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   <published>2009-08-03T03:09:57Z</published>
   <updated>2009-08-03T03:13:10Z</updated>
   
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      　夏のあいさつに、友人の仕事場を訪ねた。久しぶりに会う友人に、前日の海水浴で日焼けした自身のさまに少し後ろ目たさを感じながら向かう。先方に着いて奥からのぞかせる相手の顔にびっくり。日に焼けて、見事なほどまっ黒なのである。こちらが聞くよりも先にその理由を話してくれる。前日の日曜日、高校野球の決勝を観戦してきた、しかも彼の母校の試合だという。ライバルは甲子園大会に幾度も出場した強豪校。それを破っての初出場を、スポーツ紙を広げながら教えてくれた。まるで自分が選手たちのクラスメートか、自分がいまでも在校生であるかのように、熱く語る。彼同様前日は自身も一日中、日盛りにいたが自身は遊びで彼は本気、その焼けっぷりの違いは歴然。気持ちが熱いほどよく焼けるものかと感心する。
      　それに遅れること数日、いよいよわが地元でも決勝戦。勝ち抜いてきたのはおなじみの名門校と、初出場を目指す学校。その高校はカミさんの実家のすぐ近くにある。ただそれだけのことで、応援したくなる。野球に限ったことではないが、スポーツプレーヤーたちはちょっとしたつながりでどんどん味方を増やしていく。地元だから、同じ都道府県だから、日本だからと、観るものたちを巻き込んでいく。今回の地方予選を通して、スポーツは人々の思いをひとつに集める、不思議で強い力を持っていると実感した。

　決勝戦はまさに死闘といった試合で、延長のすえ応援した学校が初出場を決める。翌日、様子見がてらカミさんの実家に行きたくなった。普段は気恥ずかしさもあってカミさんといっしょに行くのだが、多忙とのこと。それではと１人でも出かける気になった。小さな勇気をもてるようになったのも、初出場校に感謝したい。

　駅に降り立つとわずか一晩しか経っていないのに、駅前の商店街は甲子園出場を祝うのぼりやポスターで活気づく。初出場校につながる商店街の坂を上っていく、買い物を済ませたお年寄りたちも、なんだか誇らしげだ。このあたりでは小さな社会現象が起きたようだ。

　実家について義母にそのことを話す。「それじゃあ駅前のスーパー、『記念セール』やるかしら。優勝でもしたら『大特売』かもね」。初出場に寄せる期待はさまざまである。いずれにせよ球児たちの健闘を楽しみにしている。
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   <title>クール・ガイ。</title>
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   <published>2009-07-27T02:42:12Z</published>
   <updated>2009-07-27T02:44:35Z</updated>
   
   <summary>　数日前からランニングをはじめた。小学校はサッカー、中学校ではバドミントン、高校...</summary>
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      　数日前からランニングをはじめた。小学校はサッカー、中学校ではバドミントン、高校ではテニスを半年で挫折したスポーツ歴があるが、それ以降はこれといった運動はしていない。「運動するとケガをするから」と言い訳をして２０年近く敬遠してきた。


      　近頃は寝苦しさからか、はたまた年をとったせいか早起きになった。家族より先に起きる。そんな退屈な時間をもてあましているとき魔が差したのか、体を動かしてみようと思いつく。カミさんが起きてきて、そのうち走ろうかと思っていると話すと、「そのうち」を聞き漏らしたのか、わざとなのか知らないが、さっさとＴシャツと短パンを差し出すと、追い出されるように玄関まで見送られる。起きてきたばかりの息子も「いっしょに行きなさい！」とまくし立てられる。運動嫌いの彼にはとんだとばっちりだ。

　そもそも自身がこんな柄にもないことをしようと思ったきっかけは、ＰＬＡＹ　ＢＡＬＬ！　ＰＲＯＪＥＣＴの野球教室。前話でも紹介したジョニー黒木と立川隆史は、子ども相手に終始真剣だった。ウォームアップのランニングはきっちりと走り、キャッチボールの手本を示せば、現役を彷彿とさせるピッチング。マイクを使った方が楽なのに、顔中汗まみれになって会場のすみずみまで届く大声を張り上げている。見ているだけでも、これが実にすがすがしく、かっこいい。このふたりに、しばらく経験していなかった憧れさえ覚えた。そして体を動かすことの魅力を目撃した。そこでまずは体力回復を目指して走り出したのである。

　ランニングをはじめて２日目、体全体が重くだるい。３日目、全身の筋肉が硬直。4日目ふくらはぎがつる。やはり自身にとって運動はケガのもとなのか。はたして颯爽たるオヤジにたどり着くことはできるのか、もう少し考えながら走ってみよう。
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