2009年10月26日
小宮山 vs. ボビー(後編)。
2002年のシーズンが終わり、小宮山悟投手は帰国する。メジャーから帰った小宮山は、まだ投げられる、もう1度マウンドに立ちたいとの強い意志を持ってプロ野球界からのオファーを待った。しかし、年が明け2003年の春を迎えても名乗りを上げる球団がなく、母校早稲田大学の野球部の練習を手伝いながら、普段通りのトレーニングを重ねる。きっと自分を必要とする球団が現れる、いつでも投げられると信じて過ごす毎日だった。
2003年のシーズンオフ、千葉ロッテ・マリーンズの監督にボビー・バレンタインが復帰。一方小宮山はトレーニングのかたわら、野球評論家として活動する中、あくまで自分は「現役投手」だと主張。これをバレンタイン監督に認められ、2004年には念願のプロ野球復帰を果たす。バレンタイン監督の「力を貸してくれ」という一言が決め手となった。
復帰したシーズンの翌2005年にはレギュラーシーズン2位とし、西武、ソフトバンクを破って悲願のリーグ優勝を果たす。この頃には小宮山は中継ぎ投手として機能するようになる。先発投手が崩れた際、立て直しを任せられる投手として信頼されていたからだ。小宮山もこれにこたえるように試合が始まると、誰よりも早くブルペンで肩を温める。敗戦処理としての起用もあったが「若手に敗戦処理をさせるのは意味がない」という監督の考えを受け入れ、チームにとって、自分が果たすべき役回りであると納得した。小宮山とバレンタイン監督の間に、最初に出会ったときの戸惑いはない。日米で3度同じユニフォームを着た彼らにとって、互いに確固たる信頼関係がすでに構築されていたからだ。
野球というスポーツがもたらす数奇な巡り合わせの中、固く絆を深めていった小宮山悟とボビー・バレンタイン。彼らはスタイルや考え方の違いを正しく認識し、時にはそのギャップを共鳴させながら進むべき道を模索し続け、数々の結果を出してきた。ファンのため、チームのため、お互いのため、その思いやる気持ちが野球の新しいスタイルを生み出してきた。そして2人が同じタイミングで野球人生に一区切りをつけた今、胸に去来するのはどんなことだろうか。来る11月23日、2人のトークショーが開催される。さまざまエピソードの中で彼らは何を思ったのか、注目したい。
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