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2009年10月19日

小宮山 vs. ボビー(中編)。

 ボビー・バレンタイン監督が就任したのは1995年。その当時まで、千葉ロッテ・マリーンズは低迷を続け、次々と監督交代劇が繰り広げられており、いわゆる「お家騒動」の渦中、この人事は功を奏し、念願のAクラス入りを果たした。 

 この年、同チームの小宮山悟投手も、前の年の3勝を大きく上回る11勝・防御率2・60の成績を挙げる。同時にこれまでの日本野球にはない、バレンタイン監督の全く新しい采配、野球観に対する信頼感を確たるものにしていった。ところが、フロントとの確執が噂される中、球団はバレンタイン監督をわずか1年で解任。チームのご意見番といわれた小宮山は、フロントに異を唱えるもかなわなかった。
 
 一方、小宮山は1999年、シーズン中にフリーエージェント(FA)権を獲得。これに対し球団はFA権を行使する前に、小宮山に戦力外を通告。その理由はチームの若返り。これまでチームを牽引してきたキーマンへの対応にファンたちは騒然となった。それでも同じ年の暮れには、横浜ベイスターズへの入団が決定する。

 ベイスターズで2シーズン活躍した後、小宮山はついにFAを宣言。2軍への降格も経験し、フィジカル面での限界も感じはじめる中、あこがれのメジャーへの挑戦を決意した。メジャーからのオファーの有無が確かでないにもかかわらずの賭けだった。それでも小宮山の思いは「あの監督のもとでもう1度マウンドに立ちたい」。あの監督とはもちろんバレンタイン監督、当時ニューヨーク・メッツを率いていた。

 そして小宮山は念願のメッツ入りを果たす。渡米後は自分自身が開幕メンバーに選ばれるかどうかの不安もあったが、その開幕のセレモニーでバレンタイン監督は小宮山をグラウンドに立たせる。小宮山は「そこにいたるまでいろいろあり、夢がかなった瞬間だった」と語る。運命の男たちは海を越えて再会し、新しいステージの幕を開けた。


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