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コラム <1998−2008 松坂世代・10年の軌跡>

第5回 元阪神寺田
元阪神寺田さん、3年間のプロ生活/下

1998年 阪神入団発表時の寺田裕也さん(後列右端)1998年 阪神入団発表時の寺田裕也さん(後列右端)

 イタリアでのプレーは楽しかった。しかし2005年のシーズン終了後、元阪神内野手の寺田祐也さんはシビアな現実に直面する。イタリア野球協会が、イタリア人選手をレベルアップさせたいという理由から、今後外国人は採用しないという方針を決定したのだ。18歳で阪神に指名されてから7年後、寺田さんは野球選手としての生活に、ついにピリオドを打つことを決意した。

 それでも、うなだれるだけで終わらず、ただでは帰らないのが寺田さんらしい。面白いことに、現職とフィレンツェでの選手生活が見事に繋がっている。帰国する際、真っ赤な旅行バッグを買ったところ、これが仲間うちで評判になった。「それ、どこのバッグ?」。靴やアクセサリーだけでなく、イタリア製の皮バッグを輸入販売するというのはどうだろうとひらめいた。イタリアのブランド、CHIARUGI(キアリュージ)に大阪でのネット販売を提案。トントン拍子で話が進み、現在は日本での普及に汗を流している。

 これで行ける。そう思ったところで、出鼻をくじかれる。人間誰しもそんな経験はあるだろう。しかし、寺田さんの場合は毎回そうだった。これからが勝負という阪神入団3年目にして戦力外通告。道を変え、大学受験をしようと思ったら、野球部に関われない。イタリアで再起できると思ったら、今後は外国人は採らないと言われる。それなのに、寺田さんの口から、後ろ向きの言葉は1度たりとも出てこなかった。阪神についても「うらみなんてまったくありません」と潔かった。

 「10年前の自分は今の自分なんて想像してなかったですね、当たり前ですけど。28歳なんていったら、現役でバリバリやっているイメージしかわかなかった。でも、不思議ですよね。今はこうやってバッグ売っているのですから」。淡々とした語りだが、どんな状況下に置かれても、自分の足で立ち、道を切り開いてきたという気概が、ビシビシと伝わってくる。「前向きっていうとカッコいいですけど。そんなんじゃなくて、考える前に行動しちゃうんですよ」。

 昨年、当時から付き合っていた高校の同級生と結婚し、現在は4カ月の長女のパパとなった。とはいえ、今の仕事にしても将来が保障されているわけではない。「現役時代も、商売をしている今も、いつだって不安ですよ。野球やっている時には自分だけの問題だったけど、今はお客さんがいいと言ってくれないと進まないので、そういう意味では今の方が不安」という。それでも、「何とかなる」。これまで、何とかしてきた寺田さんが言うからこそ、説得力がある。突然立ちはだかった壁を前に、迷い、落ち込むことは誰しも経験するところである。問題はそこからどう抜け出すのか。その壁をどう乗り越えるのか。人の生き様は、結局そこで決まるのだということを、寺田さんを通じて再認識させられた。(終わり)

 ◆寺田祐也(てらだ・ゆうや)1980年(昭55)5月7日、静岡市生まれ。静岡高時代は主将を務め、強打の三塁手として活躍したが、甲子園には出場できず。98年ドラフト5位で阪神入団。3年目の2001年秋に戦力外通告を受け、退団。1軍出場はなし。その後指導者を目指し大学受験に挑戦も失敗。イタリアのプロリーグでのプレーなどを経て、現在は、大阪市内でアクセサリーやバッグをネットなどで販売する会社「ラフェ・デリース」の代表取締役を務めている。家族は夫人と1女。商品などの問い合わせは、大阪市中央区南船場1の3の17、電話06・6420・4150まで。


<寺田祐也さん・10年間の軌跡>
1998年 ドラフト5位で阪神入団、背番号66
1999年 1軍出場なし
2000年 1軍出場なし
2001年 1軍出場なしのまま9月に戦力外通告を受け退団
2002年 大阪体育大を受験も失敗
2003年 実家のある静岡で練習をしながら待機
2004年 大阪でアパレル関係の仕事を始める
2005年 イタリアのプロリーグでプレー
2006年 帰国しアクセサリー関係の仕事を始める
2007年 結婚
2008年 「ラフェ・デリース」代表取締役に就任


<寺田さんを取材して…>
 松坂との接点は、阪神入団1年目のオフに「昭和55年会」の会合で1度会っただけ。10年前、松坂をどう見ていたかについて聞くと、「ただただ凄いなと思っていた」という答えが返ってきた。松坂を同じ野球選手として意識する余裕もないほどに、当時はプロ野球選手としてやっていくのに必死だったのだろう。野球という世界では、遠過ぎる存在という意味で、寺田さんはそう表現した。しかし、今振り返ってみれば、寺田さん自身のこの10年も「ただただ凄いな」と表現するしかないほどに波乱に満ちた10年だったと言えるのではないだろうか。彼の夢は、ネット上だけでなく、輸入商品を販売できるお店を構えること。今後の人生の中で、野球とは違う世界で、松坂と肩を並べる日が来るかもしれない。(川口敦子)

2008年8月06日 11:03


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