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コラム <1998−2008 松坂世代・10年の軌跡>

第5回 元阪神寺田
元阪神寺田さん、3年間のプロ生活/中

 予想もしていなかった戦力外通告を受け、わずか3年で寺田祐也さんの阪神でのプロ生活は終わった。しかし途方に暮れてばかりもいられない。家族や高校時代の恩師らに相談。そこで出した結論が大学受験だった。「高校野球の指導者になって、いつかは、教え子を阪神に入れたい」。大阪体育大受験を決め受験勉強を始めた。しかし、またしてもショッキングな事実が待っていた。学生野球の規約で、合格したとしても、元プロ選手の寺田さんは野球部の活動には一切関わることができないことがわかったのだ。これは大きな誤算だった。

 結局、受験してみたものの不合格。指導者としての道もふさがれた。これから、どうしよう。新たな目標を見出せない不安と言いようのないもどかしさ。同じ日に戦力外通告をされ、韓国のプロリーグで野球を続ける道を選択した、先輩の高山さんの練習を、パートナーして手伝いながら、自分の中に、現役選手として野球を続けたいという未練があることに気付いた。かと言って、どこでどうやって再起できるのか。悶々としたまま過ぎたこの1年間は、これまで走り続けてきた寺田さんにとって一番辛い時期だった。

とりあえずは動いてみよう。2002年秋、寺田さんは実家のある静岡に戻り、自身の練習を再開する。ジムに行き、母校のグラウンドを借り、少年野球を指導し、プロとして再起できる場を模索した。そして、2004年。新たな転機が訪れる。現在の会社の基盤となっている仕事仲間を通じ、イタリアのプロリーグで、日本人の内野手を探しているとの情報を聞きつけたのだ。約800ユーロ(約12万円)の月給制、見知らぬ地。しかし、躊躇する気持ちより、このチャンスを逃す手はないという気持ちの方が上回った。2004年11月、単身、フィレンツェに飛び、入団テストを受け、同年12月にはセリエA・フィオレンティーナに入団する。

2005年。イタリアでの選手生活は、寺田さんにとって一番「好きな野球」がやれた時期だった。仕事を掛け持つ選手が多いため、試合は週に1度、土曜日にダブルヘッダーで行われるだけ。レベルは日本の高校野球と大学野球の中間といったところか。遊撃のレギュラーを獲得。「野球を楽しめたし、このままイタリアで野球をやっていこう」と思っていた。
ところが、イタリアでもまた厳しい現実と直面することになる。(続く)

 ◆寺田祐也(てらだ・ゆうや)1980年(昭55)5月7日、静岡市生まれ。静岡高時代は主将を務め、強打の三塁手として活躍したが、甲子園には出場できず。98年ドラフト5位で阪神入団。3年目の2001年秋に戦力外通告を受け、退団。1軍出場はなし。その後指導者を目指し大学受験に挑戦も失敗。イタリアのプロリーグでのプレーなどを経て、現在は、大阪市内でアクセサリーやバッグをネットなどで販売する会社「ラフェ・デリース」の代表取締役を務めている。家族は夫人と1女。商品などの問い合わせは、大阪市中央区南船場1の3の17、電話06・6420・4150まで。

2008年8月06日 11:02


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