第4回 ヤクルト牧谷
ヤクルト牧谷、10年目の1軍デビュー/中
2007年1月、宮本らとの松山自主トレで温泉に入るヤクルト牧谷
ヤクルト牧谷宇佐美選手は、プロ入りわずか2週間で「投球イップス」にかかってしまった。シーズンが始まっても、ブルペンにも入れない日々が続いた。ネットに向かってボールを投げる。当事の伊東昭光投手コーチが付きっ切りで指導してくれた。それでも改善されない。「ブルペンで100球投げたとしますよね。納得のいくボールはそのうち1球だけ。そんな感じでした」。1年目の終盤、イースタン・リーグで1勝を挙げたが、失点し先発投手の勝ちを消した後に逆転勝ちという棚ボタ白星だった。
そして運命の日が訪れる。2年目のシーズンが終えようとした2000年10月。沖縄での教育リーグ中、小川2軍監督から野手への転向を告げられた。「投手失格」。苦労をともにした伊東コーチが泣いていた。ショックでもない、戸惑いでもない、ひたすら「申し訳ない」という気持ちがこみ上げてきた。ピッチャーなのに普通に投げることすらできない自分が恥ずかしい。
「周囲の期待を裏切った自分に対し、野手として生き残るチャンスを残してくれるなら、それに賭けてみようと思った」。感傷に浸る暇はない。翌日帰京するや、猛練習が始まった。「今までで、一番練習した」。朝から晩までノックの打球を追い、バットを振り続けた。しかし、やればやるほど、守備も打撃も成果が出ない。
3年目が終わり、4年目に入った2002年1月。松山で行われていた1軍選手の自主トレに参加した。主力選手の宮本、真中らと接し、野球への考え方が根本的に変わった。打席内での心得、プレーをしている自分とは別に、客観的な自分をつくること、そもそも野球とは何なのか…。糸口が見えた気がした。
「それまでは自分の感覚で野球をしていた。それが考えて野球をするようになった」。闇雲に猛練習していても成果が出なくて当たり前だった。実際、4年目は成績が上がった。打率2割9分2厘、2本塁打、17打点。打率1割9分2厘、7打点に終わった3年目に比べると飛躍的なアップである。「先輩方から教わったことが、その後、自分の体験を通して生かせたときは嬉しい。言葉では理解できても、なかなか分からなくて、2年越しくらいで分かることもある。そうやって、時間が経ってから分かることの方が多いかな。実際に自分が経験しないと、感じないまま終わってく」。それはそれで仕方がない部分もあるだろうと思う一方で、やはりどうしても未知の領域を開拓したい、そんな必死さが牧谷の原点となった。(続く)
◆牧谷宇佐美(まきたに・うさみ)1980年(昭55)5月1日、北海道旭川市生まれ。188センチの体格と身体能力を高く評価され、旭川実から98年ドラフト2位でヤクルト入団。2年目までは投手登録だったが、ファーム11試合登板1勝2敗、防御率14・03と結果を残せず、3年目から野手転向。今年6月、プロ10年目で初めて1軍登録され、デビューを果たした。現在体重95キロ。右投げ右打ち。血液型B。今季推定年俸670万円。
2008年8月04日 11:02
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