第3回 ソフトバンク和田
ソフトバンク和田毅、壁の向こう側/上
浜田高時代の甲子園で力投するソフトバンク和田
ソフトバンク和田毅投手(27)はマウンドの上でもがいていた。7月6日のロッテ戦。何かを模索するように、腕の振りを何度もチェックする。7回を投げ5失点。自ら描く理想の投球とはほど遠い内容だったのだろう。チームの連敗が止まったというのに、試合後、和田に笑顔はなかった。
それから3日後、和田は今の状態を素直に話してくれた。「調子はあまり良くないですね。今シーズンはまだ1度も納得できる試合がありません」。その時点で、すでに7勝を挙げている彼の口からは意外な言葉が返ってきた。
そして彼は続けた。
「プロに入って初めての壁。なんだろう…。横に長い壁。高い壁って感じじゃないんです。跳び越えられそうなんだけど、抜け道がない。正面からぶつかるしかないというか」。
「横に長い壁」。独特の表現で現状を示した。「この壁を越えれば、新しい世界が見えてくるんだろうなと思います。ちょうど大学1年の時みたいに」。悩んではいるが、焦っている様子ではない。むしろ、その瞬間が来るのを心待ちにしている様子さえ感じさせた。
今回、松坂世代の特集をする上でなぜ、和田を人選したか。早大時代に彼を取材したことがあり、接点があったということだけではない。大学時代に大きく成長した姿を間近に見て、さらにプロでもエースと呼ばれる投手に進化した。高校卒業後10年間のプロセスを知りたかったからだ。
大学入学時、彼はどこにでもいる平凡な左腕投手だった。浜田高3年夏に甲子園でベスト8入りしたが、直球の最速は130キロ程度。小柄で華奢。レベルの高い東京6大学リーグで活躍できるとは、ほとんどの人が思っていなかったに違いない。ところが、1年秋、彼は突然変異した。球速が10キロ以上も増した。元々ボールの出どころが見づらい独特のフォームだったが、ストレートが140キロを超えると、バッターはキリキリ舞いし始めた。秋にリーグ戦デビューを果たすと、2年春からはエースとして投げまくった。その後の活躍は周知の通りである。
当時の取材ノートを開いてみた。和田が常に意識していたことは、先発して9回を投げ抜くスタミナを維持することだった。信頼するトレーナーをはじめ、周りから言われたことをまずは素直にやってみた。自分に合わないことは捨てるが、合えば必ずモノにする。自分に不足していることを素早く察知し、補うための努力は惜しまなかった。一番大きかったのは、一定期間、徹底した走り込みをしたことだろう。下半身が鍛え上げられたことで、突然の変化が訪れた。「本当に、あれっ!?って感じだった」と当時の彼は話している。
開眼した瞬間の喜び。それは、本人にしか体得できない特別なものなのだろう。その瞬間がいつ訪れるなんて誰にも分からない。でも、いつかできる。日々考えながら、これが一番いいなと思えるものを積み上げていく。そうやって気長にやるしかない。続けていれば、「横に長い壁」を越えられる日がやってくる。それを大学時代に経験して知った。だからこそ、今、焦らずに新たな壁と格闘しているのだろう。(続く)
◆和田毅(わだ・つよし)1981年2月21日生まれ、島根県出身。浜田高時代2、3年夏に甲子園出場。3年時はベスト8入り。早大に進学し1年秋のリーグ戦でデビュー。2年春からエース格となり、通算27勝。4年春秋のリーグ優勝に貢献し、江川卓(法大)の持っていた通算奪三振記録を更新する476三振を奪った。02年ダイエー(現ソフトバンク)に自由獲得枠で入団。03年14勝を挙げリーグV、日本一に貢献、新人王に輝く。179センチ、77キロ、左投げ左打ち。家族は夫人と1女。今季推定年俸2億2000万円。
2008年8月02日 11:01
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